第十二話 女系の王族
俺、マティス・エルス・イェマがイェマに来てから早一か月。女王の秘書という役目を得て、それなりに充実した日々を過ごしている。イェマの女王イルメリの補佐役として、それなりに頑張っているつもりだ。
尤も、俺の仕事振りを知るものは存外に少ない。俺は職場である女王の執務室に籠りがち。その際、基本的にイルメリと二人きり。
国家元首の傍にいることは、身に余る光栄にして、これ以上ないくらいの厚遇だとは思う。しかし、その好機を、俺は活かし切れていない。その原因は、俺とイルメリ双方に有った。
俺は「今は仕事を覚えることが先決」と、書類の内容確認や整理――と、事務に徹している。
イルメリは用が有るとき以外は無言。偶に彼女の視線を覚えるくらいだ。尤も、俺が彼女の方を見ると、直ぐに顔を背けられる。その度に、俺は「何なのだ?」と首を傾げていた。
斯様に、四六時中傍にいるイルメリとも仲良くなれていない。傍にいない廷臣達との関係も、推して知るべし。その事実を想像する度、俺の口から溜息が漏れる。しかしながら、全く希望がない訳ではない。
現況の打開策は俺の目の前に有った。
机上に積み上げられた資料は、女王の立場でしか知りえないイェマの情報だ。それを読み進めていく内、イェマに関する最新の知識が脳内に蓄えられていく。
尤も、「どうしてこうなった?」という原因を知らなければ、完全に理解したとは言い難い。
俺は余暇を見付けては、執務室に置かれたイェマの歴史書を読み漁った。その過程で、様々な事実を知ることができた。
イェマは、俺の想像以上に小さな国だった。
この国の領地は全て女王の直轄地、王領だ。領地持ちの上級貴族が一人もいない。この国で貴族と言えば、王族に仕える下級貴族ばかり。その上、現状の王族は王配を除けばイルメリ一人だけ。
領地を持つ権利が有る者はイルメリ一人。このような状況なった原因は、王族の家系の特異性に有る。 何の因果か、イェマの王族は女子しか生まれなかった。
必然的に国家元首は女系女王になる。女王に選ばれなかった者は、その殆どが他国に嫁いでいる。
唯一の例外は先代女王の妹、即ちイルメリの叔母、イリアナ・イェマ・メリアル。彼女とは、実は謁見の間で顔を合わせている。イルメリと同じ白銀髪の青いドレスをまとった中年女性だ。
イリアナの外観は、王族であることの何よりの証拠だろう。しかしながら、今の彼女は王族ではない。
イリアナは、下級貴族であるメリアル子爵の許に嫁いだ。名前に「イェマ」と入っているものの、彼女の立場は飽くまで子爵婦人。この事実は、他国から来た俺にとっては驚きであった。
エルスを含めた諸国では、王家から離れた王族は公爵、或いは侯爵といった上級貴族の位を得る。それに伴って、独自の領地を得ることになる。女性であろうとも、上級貴族の位を得ることは、この世界では普遍的な因習だ。
しかし、イリアナは上級貴族にはならなかった。子爵婦人の立場に拘った。領地を持とうとしなかった。何故なのか? その理由は、本人の口から幾度か聞いていた。
「領地運営など面倒です」
自由奔放というべきか? 姪のイルメリとは正反対の性格だ。メリアル子爵との婚姻も、互いの立場を完全に無視して、互いの気持ちだけを理由に決めたのだとか。
イリアナの考え方に対しては、同じ王族として首を傾げる。尤も、少なからず羨望を覚えることも否定できない。その想いが、仕事中にポロリと口から零れ出た。
「好きな人と婚姻――か」
誰に言うとも無い独り言だ。しかし、周囲の静寂が僅かな声音を鮮明に響かせている。イルメリの耳にも届いていたようだ。
唐突に、俺の顔に痛みが奔った。本気で針が刺さったかと錯覚した。その刺激に反応して、顔を上げた。
その直後、俺の視界に白銀髪の美貌が映り込んだ。
「…………」
イルメリは無言で俺を見詰めていた。一見、普段通りの無表情。しかし、少しだけ瞳の大きさが増している。その眼圧は、俺の顔に穴を開けるほどに強力だ。
何なのだ?
俺は首を捻りながらイルメリを見詰め返した。
尤も、先の独り言が原因であることは、何となく察している。だからと言って、イルメリの反応の理由は分からない。
俺達は、暫く無言で見詰め合った。すると、イルメリの白い耳が赤みを帯び出した。その変調は何なのか? 俺の首は一層傾いだ。
その直後、イルメリは徐に右拳を口許に掲げて――
「こほん」
咳払い。続け様に視線を机上に戻して、そこに置かれた資料を読み出した。その様子を見て、俺も机上に視線を戻して残りの作業に取り掛かった。以降、何事もなく互いの職務に没頭している。
しかし、俺の心底にはイルメリの奇行に対する疑念が燻り続けていた。
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