第十一話 王配の職場
俺、マティス・エルス――いや、今はマティス・エルス・イェマか。俺がイェマに婿入りしてから一週間経った。その間、俺は何をするでもなく茫洋と過ごしている。
ああ、ここでも俺のアイデアは活かされないのか。
午前中、王宮の人々が忙しなく働く中、俺は一人で青みがかった白い建物の中央、王宮の中庭の端に置かれたベンチに座って空を眺めていた。
俺の視界に、灰色の寒空が映り込んでいる。今日は晴天、空には僅かな白い雲が棚引いている。その様子を見ていると、何となく自分の現況のように錯覚した。
何をするでもなく、そこに有るだけ。
いっそ、どこかに流れていきたいとすら思う。しかし、俺には強力な根っこが生えている。その根っこと言える存在が、俺の視界の端に移り込んだ。
青みがかった白い建物の中から、白銀髪の美女が現れた。彼女は俺を見付けるや否や、こちらに向かって真っ直ぐ歩いてくる。その行為を直感して、俺は「はぁ」と溜息をいた。
その直後、冷気を孕んだ空気の中に雪解け水のような澄んだ美声が響き渡った。
「こんなところにいたのね」
白銀髪の美女、イルメリ・イェマの声音に僅かばかり呆れているような響きが籠っていた。それを直感して、俺の眉が僅かに歪んだ。
何もすることが無いからね。
文句の言葉が俺の喉下まで込み上げた。それを無理矢理飲み込んで、俺は苦笑を浮かべながら立ちあがった。
「何か――御用でしょうか?」
御用。自分で言いながら、俺は「どうせつまらん雑用だろう」と考えていた。その想像が当りか否か。俺の視界の中で、イルメリの可憐な口が僅かに開いた。
「そろそろ仕事をして貰います」
仕事。女王が言うからには、それなりに重要なもの――と、思いたい。何れにせよ、婿入りした王配如きが拒否する訳にはいかないだろう。
「分かりました」
俺は即応で首肯した。すると、イルメリは「付いてきて」と告げるや否や、踵を返して青みがかった白い王宮の中へと入っていく。その後を追い掛けて、俺も建物の中に入った。
女王直々に先導されて、着いた先は――女王の執務室だった。
「入りなさい」
イルメリは、俺に声を掛けるや否や、ノブを捻って分厚いイェマの杉製のドアの中に入った。それに続いて、俺も中に入った。
その直後、俺の視界に書物の詰まった本棚が映り込んだ。
執務室というより書庫だな。
殆どの壁は本棚と化していた。他に有るものと言えば、出入り口の対面に有る窓。その前に、黒いイェマ杉製の執務机が二台並んでいる。
それぞれの机上に、書物や資料と思しき紙の束が乗っかっていた。それらが目に入った瞬間、何となく内容を直感した。
これは――王領の帳簿か?
女王の執務室に置かれたものだ。それなりに重要な情報なのだろう。その可能性を想像していると、俺の耳に感情を覚えない無機質な声が飛び込んだ。
「其方には、私の秘書を務めて貰います」
「!」
秘書。その言葉を聞いた瞬間、俺は息を呑んだ。直感的に、イェマの国政を左右する要職だと思えた。
一応、イェマにも尚書部(国の書類を預かる役職)が有る。しかしながら、尚書部に長官はいない。イェマの伝統として、女王が尚書部長官を兼ねている。
イルメリは法案を認可するだけでなく、立案したり、書類を作ったり、整理したり――と、面倒な仕事も行っている。その秘書とれば、実質的に尚書部長官だろう。
まさか、ここまで重用されるとは。
国家の運営を担う要職を任された。その事実を知って、俺の喉がグビリと鳴った。その音は、イルメリの耳にも届いていた。
「できない?」
イルメリの可憐な口に意地悪そうな笑みが浮かんだ。その変調を直感した瞬間、俺の腹は決まった。
「任せろ」
俺は態と横柄な物言いをして胸を張った。続け様に右拳で胸をドンと敲いた。その反応は、イルメリの視界にバッチリ映っていた。
「よろしい」
イルメリはコクリと小さく頷いた。続け様に、二台並んだ執務机の内、正面から見て右側のものを指し示した。
「其方の机は、こちら」
「分かった」
俺はイルメリに指示された机の前に立った。その際、俺の視界に豪華な背もたれ付きの椅子が映った。
青い革張りの椅子。中に綿が詰まっている様子。尻を預けると、吸い込まれるように埋まっていく。中々の座り心地だ。俺の口角が勝手に上がっていく。
これなら良い仕事ができそうだ。
俺は、自分で思うより単純な人間かもしれない。要職を与えられたと思うだけで、瞳にヤル気の炎がメラメラと燃え盛っていく。
俺は直ぐ様机上の資料を手にとって、超速で内容を確認した。
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