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週末限定、異世界ソロキャンプ! ~残業疲れのOLが現代のキャンプギアとスーパーの食材でまったり飯テロ極めます~  作者: RIU


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第8話:待たされる騎士

「……えっと、騎士さんだっけ? ごめんね、お米炊いてる時は本当に目が離せないの。お話なら聞くから……とりあえず、あと十五分待って!」


静寂に包まれた異世界の森に、千秋の間の抜けた声が響き渡った。

オースの街の治安維持部隊の小隊長を務める女騎士、リネット。彼女は今、生涯で最も理解不能な状況に直面し、完全に思考を停止させていた。


魔の森の奥深くに住み着いた、恐るべき邪法を操る魔女。

街の住人をたぶらかし、スライムを食らうというおぞましい噂を聞きつけ、決死の覚悟で単身乗り込んできたのだ。

強大な魔力による攻撃、あるいは凶悪な魔獣を召喚しての反撃。どんな死闘になるかと、全身の筋肉を極限まで張り詰め、愛用の長剣を正眼に構えて飛び出したというのに。


目の前にいる「魔女」と思しき黒髪の女は、呪文を唱えるでもなく、杖を構えるでもなく。

ただ、厚手のタオルでぐるぐると包んだ銀色のメスティンを、我が子を抱くように愛おしそうに撫でているだけだった。

しかも、あろうことか「十五分待て」とのたまったのだ。完全武装で剣を突きつける騎士に向かって。


「じゅ、十五分……待て、だと……?」


リネットは構えた剣の切っ先をわずかに震わせながら、搾り出すような声で復唱した。


「うん! 十五分蒸らしたら最高のご飯が炊けるから! それまで剣しまって、そこの空いてる椅子にでも座っててよ」

「なっ……私を愚弄する気か、魔女め! どのような邪悪な儀式か知らんが、私がみすみす見逃すとでも――」


リネットが怒りに顔を赤くして一歩踏み出そうとした、まさにその時だった。


「リネット隊長! 頼むから剣を収めてくれ!!」

「お待ちください、リネット様! 今、師匠の邪魔をするのは危険です!!」


千秋の背後から、ジンツとサリサが血相を変えて飛び出してきた。

街の冒険者であるジンツと、魔法学院の生徒であるサリサ。二人とも、リネットにとっては顔見知りの街の住人である。


「お前たち……! やはり、この魔女に洗脳されていたのか! 下がれ、今すぐ私がその女を斬って呪いを解いてやる!」

「違う! 洗脳なんかされてねえ! 俺はただ、チアキの作るめちゃくちゃ美味い飯を待ってるだけだ! 隊長がここで暴れて飯が台無しになったら、俺は騎士団相手でも牙を剥くぜ!」

「ジンツさんの言う通りです! 師匠は今、『ムラシ』という極めて繊細で高度な魔法儀式の最中なのです! ここで十五分の時間を守らなければ、箱の中の魔力が暴走して『シンガ・ノコル』という大惨事になってしまいます!」


ジンツは本気で槍を構えそうな勢いで千秋(の飯)を庇い、サリサに至っては完全にファンタジーの文脈に誤訳されたキャンプ知識を必死にまくし立てている。

街の住人が、それも腕の立つ冒険者と魔法使いの卵が、身を挺して「魔女」を護ろうとしている。

リネットは混乱の極みに達していた。


「な、なんだお前たちは……正気なのか? その女は、スライムを拷問して食らうような恐ろしい――」

「あー、もう! うるさいなぁ!」


千秋が、パンッと柏手を打つように大きな音を立てた。

その場にいた三人の異世界人が、ビクッと肩を揺らして千秋に注目する。


「十五分! たった十五分だから! いい大人が十五分くらい大人しく待てないの!? ジンツさんもサリサちゃんも座る! 騎士さんも、そこに立ってると邪魔だから、どうしても待てないなら出直してきて!」


まるで、騒ぐ子どもを叱りつける保育士のような、あるいは理不尽なクレーマーをあしらうベテラン事務職のような、有無を言わせぬ絶対的な「日常のオーラ」。

そこには、殺気も、敵意も、魔力すらも一切存在しない。

ただ純粋な「ご飯を美味しく食べたい」という、キャンパーとしての図太い執念だけが満ち溢れていた。


騎士たるもの、敵意を持たない非武装の民に刃を向けることは許されない。

千秋のあまりにも堂々とした態度と、一切の殺気を感じさせない空気に当てられ、リネットの「正義の騎士」としてのレーダーは完全に狂わされてしまった。


「くっ……わ、わかった。そこまで言うなら、待ってやろう。だが、十五分後に少しでも怪しい真似をすれば、即座にその首を刎ねるからな!」


リネットはギリッと奥歯を噛み締めると、剣を正眼に構えた姿勢のまま、ピタリと動きを止めた。

椅子に座るという誘いは、かろうじて騎士としての矜持で拒絶した。彼女は「私はいつでも斬りかかれるぞ」という威嚇のポーズを保ったまま、十五分間という途方もなくシュールな時間を耐え忍ぶことを選択したのだ。


* * *

――三分経過。


森は静かだった。

風が木々の葉を揺らすサラサラという音と、遠くで鳴く鳥の声。

そして、千秋のキャンプ地の中心でパチパチとはぜる、焚き火の穏やかな音だけが響いている。

リネットは剣を構えたまま、微動だにせずに千秋を睨みつけていた。

しかし、千秋の方はといえば、リネットの存在などすっかり忘れたかのように、優雅にチタンマグのコーヒーをすすり、鼻歌すら歌い始めている。


(な、なんなのだこの時間は……)


リネットの額に、じわりと汗が滲んだ。

戦闘態勢のままじっと動かないというのは、想像以上に筋肉に負担をかける。剣を持つ右腕が、わずかにプルプルと震え始めていた。

そもそも、この状況がおかしい。

武装した騎士が、コーヒーを飲んでくつろぐ女を全力で威嚇し続けている。はたから見れば、ただの異常者か、悪質な通り魔の構図ではないか。


(いや、騙されるなリネット! 相手は未知の魔法を使う魔女だ! この静けさも、私の隙を突くための精神攻撃に違いない……!)


――七分経過。


「さてと。お米を蒸らしてる間に、おかずの準備もしちゃおうかな」


千秋がローチェアから立ち上がり、クーラーボックスの中から何かを取り出した。

リネットは「ついに呪いの触媒を出す気か!」と身構えたが、千秋の手の中にあったのは、手のひらに収まるサイズの、小さな金属の円柱だった。


スーパーで買ってきた、『焼き鳥の缶詰(タレ味)』である。


「よし、今日はバーナーでサクッと温めよう」


千秋はシングルバーナーの五徳の上に、網を敷いた。

そして、缶詰の上部についている金属のリング(プルタブ)に指をかける。


パキッ、キキキキキッ……。


静かな森に、金属を引き裂くような独特の音が響いた。

リネットはビクッと肩を震わせた。鉄の塊を、素手でいとも容易く引き裂いたのだ。やはり恐るべき腕力を持った魔女……!

しかし、リネットの警戒をよそに、千秋は開けた缶詰をそのままバーナーの網の上に乗せ、カチッと火をつけた。

青白い炎が、直接缶詰の底を炙り始める。


「師匠! またしても鉄の塊を直接業火に……!」

「サリサちゃん、これは缶詰って言ってね、直火にかけると中身が温まって美味しくなるの。あ、ホントは別の容器に移した方が安全なんだけど、キャンプの時は洗い物減らしたいから自己責任でね」


千秋の解説など、リネットの耳には全く入っていなかった。

彼女の意識は、缶詰から漂い始めた「匂い」によって、完全に別の方向へと引きずり込まれようとしていたのだ。


――十分経過。


グツグツ、チリチリ……。

バーナーの火に炙られた缶詰の中で、とろみのある茶色い液体が沸騰し始めていた。

それと同時に、強烈な香りが周囲に爆散した。

醤油の塩気、砂糖とみりんの濃厚な甘さ、そして炭火でじっくりと焼かれた鶏肉の香ばしい匂い。日本の居酒屋の横を通り抜けた時に鼻をくすぐる、あの「タレ焼き鳥」の凶悪な匂いが、風に乗ってリネットの顔面を直撃した。


「……っ!?」


リネットの目が、驚愕に見開かれた。

なんだ、この匂いは。

甘い。だが、ただの菓子の甘さではない。肉の脂と絡み合い、食欲という本能の奥底に直接語りかけてくるような、重厚で暴力的なまでの「旨味の香り」だ。

騎士団の兵舎で支給される、塩茹での豆と硬いパン、そして味の薄い干し肉のスープ。それがリネットの日常の食事である。こんな、嗅いだだけで口の中に唾液が溢れ出してくるような匂いなど、これまでの人生で一度たりとも経験したことがなかった。


(な、なんだこの甘美な匂いは……!? 毒か!? 幻覚作用のある魔薬の煙か!?)


リネットは必死に呼吸を止めようとしたが、人間の身体は残酷なまでに正直だった。

朝からろくに食事をとらず、森の中を駆け回ってカロリーを消費していた彼女の胃袋が、この匂いを「極上の栄養素」として完全にロックオンしてしまったのだ。


きゅる……。


リネットのお腹の底から、小さな、しかし確かな自己主張の音が鳴った。

彼女は顔を真っ赤にして、持っていた剣の柄をギリィッと力任せに握り締めた。

騎士たるもの、いかなる過酷な環境下であっても食欲などに屈してはならない。それが誇り高き騎士の精神だ。しかし、匂いは容赦なく鼻腔を蹂躙し、脳内の「腹が減った」という信号をけたたましく鳴らし続けている。


(耐えろ……耐えるのだ、リネット……! これは魔女の罠だ!)


――十三分経過。


「ん〜、いい匂い。タレが少し焦げるくらいが一番美味しいんだよね。ここに、刻んだネギをたっぷり乗せて、と」


千秋が、タッパーに入れて持参していた小口切りの青ネギを、熱々の缶詰の上にパラパラと散らした。

熱せられたネギの爽やかな香りが、タレの濃厚な匂いと混ざり合い、さらに一段階上の「破壊力」へと進化を遂げる。

たまらず、ジンツが「チアキィィ! もう俺の腹は限界だぁぁっ!!」と地面を転げ回り始めた。サリサも両手でお腹を押さえながら、涙目で缶詰を見つめている。

リネットの剣を持つ腕は、威嚇のためではなく、空腹による力抜けで完全にプルプルと震え切っていた。剣の切っ先はすでに地面スレスレまで下がっている。


「……よしっ! 十五分経過!」


千秋の明るい声が、森の静寂(と、三人の異世界人の胃袋の限界)を打ち破った。


千秋はバーナーの火を止めると、テーブルの上に置かれたままになっていた、タオルに包まれた銀色のメスティンへと手を伸ばした。


「長らくお待たせしました。騎士さんも、剣しまってこっち来なよ。今から魔法……じゃなくて、日本のキャンパーの叡智の結晶をお見せするから」


千秋は悪戯っぽくウインクをすると、タオルを解き、ひっくり返していたメスティンを元の向きに戻した。

そして、パチンと両側のストッパーを外し、銀色の蓋に手をかける。


「いくよ? オープン!」


千秋がゆっくりとメスティンの蓋を持ち上げた。

その瞬間、リネットは、この世の物とは思えない光景を目の当たりにすることになる。


プシュウウウウウッ……!!


蓋の隙間から、それまで閉じ込められていた真っ白な湯気が、まるで封印を解かれた精霊のように一気に立ち昇った。

そして、湯気が晴れた後に現れたのは。


一粒一粒が真珠のように白く輝き、ピンと立ち上がった、完璧なまでに美しい「炊きたての白米」だった。

水分の絶妙な調整と、固形燃料による完璧な火加減、そして十五分間の蒸らしという工程を経て、米は限界までデンプンの甘みを引き出され、表面にはツヤツヤとした光沢を纏っている。

蓋を開けた瞬間に広がる、優しく、そして暴力的なまでに食欲をそそる、白米特有のふくよかな香り。


「あ……」


リネットの口から、無意識のうちに感嘆の吐息が漏れた。

剣を構えることすら忘れ、彼女はただ、その小さな銀色の箱の中で輝く「白い宝石の群れ」に完全に魅了されていた。

十五分間というシュールな待ち時間は、この奇跡の瞬間のための助走に過ぎなかったのだ。


「完璧な炊き上がり。底のおこげもいい感じに出来てるはず」


千秋は満足げに頷くと、木製のしゃもじを手に取った。

そして、サクリ、と白米の中にしゃもじを入れる。

湯気がさらにぶわりと舞い上がり、ご飯の甘い香りがリネットの顔面を直撃した。


「さあ、お待たせ。ここからが本番だよ」


千秋の口角が、ニヤリと悪魔的に吊り上がった。

強硬な態度の女騎士を、完全に「ご飯の虜」に陥落させるための、最後の一撃が放たれようとしていた。

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