第5話:押し掛ける弟子
「お、お願いですっ!! 私を、私をあなたのお弟子にしてくださいっ!!」
静寂に包まれた異世界の森に、悲痛なまでの少女の叫び声が響き渡った。
千秋のテントの前、先ほど見事に火を熾したばかりの焚き火台の傍らで、魔法使いの少女サリサが地面に額を擦り付ける勢いで土下座をしている。
右手にファイヤースターターの棒、左手にストライカーの金属片を持ったまま、千秋は深い深いため息をついた。
「ええと……サリサちゃん、だっけ? とりあえず、頭を上げてくれるかな。服が泥だらけになっちゃうよ」
「い、いえ! 大魔女様が首を縦に振ってくださるまで、私はこの場所から一歩も動きません! どうか、私にその偉大なる『カガク』とやらの深淵を教えてください!!」
「だから、カガクは深淵な魔術じゃなくて、ただの学問だってば。理科とか物理の延長線上にあるもので、誰でもできるやつなの!」
「誰でも……!? あの無詠唱の炎を、誰でも引き出せるとおっしゃるのですか!?」
サリサはバッと顔を上げ、泥だらけの顔に驚愕の色を浮かべた。
彼女の目には、千秋がただ謙遜しているようにしか見えていない。魔法学院で落ちこぼれとして扱われ、ほんの小さな火種を出すのにすら数分間の詠唱を必要とするサリサにとって、千秋がやってのけた「一瞬で炎を生み出す」という行為は、神々の御業にも等しい奇跡だった。
「あの漆黒の魔力結晶……『マグネシウム』と大魔女様はお呼びになっていましたが、それが古代の失われた言語であることは明白です。摩擦を用いて極限まで魔力を圧縮し、一気に解放する……あんな神業、歴史上の大賢者でも不可能です!」
「マグネシウムは古代語じゃなくて元素記号……ううん、物質の名前! アウトドアショップに行けば千五百円くらいで誰でも買える、ただの着火用具なの!」
「アウドドア・ショップ……。それは、伝説の魔道具ばかりを集めたという、幻の地下組織の名前ですか……!」
「違う! 普通に駅前のショッピングモールに入ってるお店!」
千秋が必死に現代日本の常識を説明すればするほど、サリサの脳内フィルターはそれを全て「高度なファンタジー設定」へと自動変換してしまう。
傍らでは、大量の薪を割り終えた槍使いのジンツが、腕組みをしながらウンウンと深く頷いていた。
「なるほどなぁ。俺には難しいことはわからんが、チアキがとんでもない大魔女だってことは理解したぜ。やっぱり、俺の見込んだ通りだ。あんな神の肉を出せる奴が、ただの人間なわけがねえもんな!」
「ジンツさんまで勝手に納得しないでよ! ていうか、見込んだのは私の料理でしょ!」
千秋は頭を抱えた。
平日の五日間、会社で理不尽な上司や話の通じないクレーマーの対応に追われ、「週末くらいは誰にも気を遣わず、一人でのんびりしたい」と願ってこの異世界にやってきたはずだった。
それがどうだ。目の前には、自分を大魔女だと崇拝して土下座する魔法使いの少女と、飯に釣られて薪割りマシーンと化した槍使い。
完全に、面倒くさい人間関係(異世界人関係)のループに巻き込まれている。
「……もう、どうでもいいや」
千秋の図太いキャンパー魂が、ついに「説明の放棄」という結論に達した。
これ以上、元素記号やら摩擦熱やらの科学的根拠をこのファンタジー世界の住人に説明するのは、労力の無駄である。どうせ何を言っても「幻の古代魔術」に変換されるのだから、好きに勘違いさせておけばいい。
「わかった、わかったから。大魔女でも何でもいいから、とりあえず土下座はやめて。泥だらけのままじゃ、ご飯食べる時に困るでしょ」
「え……? そ、それは、私を弟子として認めてくださるということで……!?」
「弟子っていうか、まあ、キャンプの『相席』くらいならいいよ。ちょうどお腹も空いてきたし、お昼ご飯にしようと思ってたから」
「ご飯……大魔女様のお食事……!」
サリサはゴクリと喉を鳴らした。
ジンツが「神の肉」と呼んで絶賛していた、未知の料理。大魔女が直々に腕を振るうというのだから、きっと竜の肉や幻獣の肝を使った、とんでもない霊薬のような料理に違いない。サリサの胸に、恐怖と期待が入り交じった複雑な感情が渦巻いた。
ジンツに至っては、「やったぜ! 飯だ飯だ!」と小躍りして喜んでいる。
「さてと、今日のお昼は手軽に済ませたいから……アレにしよう」
千秋は折りたたみチェアから立ち上がり、愛用の大型クーラーボックスのフタを開けた。
中から取り出したのは、スーパーのチルドコーナーで特売になっていた「市販の肉まん(四個入り)」である。
白くて丸くて、手のひらサイズのふっくらとした物体。
千秋はそれをパッケージから取り出し、テーブルの上にポンと置いた。
その瞬間、サリサが「ヒィッ!?」と短い悲鳴を上げて後ずさった。
「だ、大魔女様っ!? そ、それは……まさか、白いスライムの幼生ですか!?」
「……はい?」
「白スライムは猛毒を持っているはず……それに、生きている魔物をそのまま食べるなんて、いくら大魔女様でも危険すぎます!」
サリサは杖を構え、テーブルの上の肉まんをガタガタと震えながら指差した。
異世界ファルマ大陸において、スライムという魔物は決して食用ではない。ゼリー状の体液には強い酸や毒が含まれており、うっかり触れれば皮膚がただれ、口に入れれば胃袋を溶かされて死に至る危険な生物だ。
サリサの目には、真っ白でプニプニとした手触りの肉まんが、丸められた「白スライムの幼生」にしか見えなかったのである。
「す、すげえ……スライムを食うのか、チアキ。俺でもさすがにスライムは食ったことがねえぞ。やっぱり大魔女はすげえな」
「だから違うってば! これは肉まん! 中に美味しいお肉が詰まってる、小麦粉で作った食べ物なの! 毒なんてないし、生きてないから!」
千秋は肉まんを指でツンツンと突きながら否定したが、サリサの顔には「大魔女様は恐ろしい魔物を軽々と手なずけている」という畏怖の念がさらに色濃く刻まれるだけだった。
「まあいいや。出来上がればわかるから。……よし、今回はこれの出番ね」
千秋が道具箱の中から取り出したのは、キャンパーの強い味方、『ホットサンドメーカー(直火式)』だった。
黒い鋳鉄で作られた、二枚の四角いフライパンが蝶番で合わさったような形状。柄の部分には長い取っ手がついており、焚き火の中に直接突っ込んでも手が熱くならないようになっている。千秋が愛用しているのは、上下が分離できて洗いやすいタイプの優れものだ。
しかし、その無骨で黒光りする金属の塊を見た瞬間、サリサの顔がさらに真っ青になった。
「あ、あ、ああ……っ! そ、それは……異端審問官が使う、鉄の拷問器具……ッ!」
「えっ、拷問器具!?」
「分厚い鉄の板で罪人を挟み込み、そのまま業火に放り込んで焼き尽くすという、伝説の残虐魔道具……! まさか、大魔女様はその拷問器具で、哀れなスライムをすり潰すおつもりですか……っ!?」
サリサは両手で顔を覆い、悲痛な声を上げた。
魔法学院の歴史の授業で習った、暗黒時代の恐ろしい拷問器具。それにそっくりなものを、千秋は涼しい顔で取り出したのだ。
「もう、ほんとに君たちの想像力には感心するよ……。拷問器具じゃないから。これはホットサンドメーカーって言って、パンとか食材を挟んで美味しく焼くための、平和な調理器具なの」
千秋は呆れ果ててため息をつきながら、ホットサンドメーカーの上下の鉄板を開いた。
そして、小さなボトルに入った「ごま油」を取り出し、鉄板の内側に薄く、まんべんなく塗っていく。ごま油特有の香ばしい匂いが、ふわりと周囲に漂った。
「油を塗っておくと、表面がカリッと仕上がるし、焦げ付かないからね」
そう言いながら、千秋はテーブルの上に鎮座していた「肉まん」を手に取った。
そして、油を塗ったホットサンドメーカーの中央に、白い肉まんを無造作にポンと置く。
「ひぃっ……!」
サリサが息を呑んだ。
千秋は一切の躊躇なく、ホットサンドメーカーの上半分の鉄板をパタンと閉じた。
しかし、ふっくらとした肉まんは厚みがあるため、そのままではフタが閉まらない。
「よい、しょっと……!」
千秋は取っ手に体重をかけ、力任せに鉄板を押し込んだ。
――ムギューーーッ!!
ふっくらとした白い肉まん(サリサ視点ではスライムの幼生)が、無骨な黒い鉄板の間に挟まれ、無惨にもペシャンコに押し潰されていく。
取っ手の先にある金具をカチリとロックすると、肉まんは完全に密封された鉄の檻の中に閉じ込められ、元が丸かったとは信じられないほどの薄っぺらい円盤状になってしまった。
「あああ……哀れなスライム……。なんという残虐な処刑方法……ッ」
「すげえ力だ。あの分厚い鉄板を力技で押し潰すなんて……やっぱりチアキはすげえ」
「だから肉まんだって言ってるでしょ! あとジンツさん、私は怪力じゃないからね、テコの原理だから!」
勘違いを加速させる二人の異世界人を完全に無視し、千秋はペシャンコになった肉まんを挟んだホットサンドメーカーを、勢いよく燃え盛る焚き火の真上――炎が直接当たる熾火の真ん中へと突っ込んだ。
「さて、あとは両面を中火でじっくり焼くだけ。ごま油のいい匂いがしてきたら裏返すタイミングね」
千秋は満足げにチェアに座り直した。
焚き火の熱が分厚い鉄板に伝わり、中の肉まんを一気に加熱していく。
数分後。
――ジューーーーーッ……。
――パチッ、チリチリチリッ……。
ホットサンドメーカーの隙間から、何かが焼ける暴力的な音が漏れ聞こえ始めた。
それと同時に、塗っておいたごま油が熱せられ、肉まんの皮の小麦粉が焦げる香ばしい匂いが、周囲の空気を一気に支配した。
さらに、中の豚肉と玉ねぎ、中華ダシの濃厚な香りが、蒸気となってプシューッと隙間から吹き出してくる。
「……ッ!?」
それまで「スライムが拷問されている」と怯えていたサリサの顔色が、一瞬にして変わった。
なんだ、この匂いは。
スライムが焼ける悪臭などではない。鼻腔をくすぐり、胃酸を強制的に分泌させる、極めて暴力的で、抗いがたい「圧倒的な美味の気配」。
きゅるるるるるぅぅっ……!
サリサの小さなお腹から、森中に響き渡るような大きな音が鳴った。
顔を真っ赤にしてお腹を押さえるサリサの隣で、ジンツはすでにヨダレを滝のように流してホットサンドメーカーを凝視している。
「そろそろいいかな。裏返して、と」
千秋は手首を返し、ホットサンドメーカーを裏返した。
香ばしい匂いはさらに強さを増し、異世界人二人の理性を焼き切る寸前まで到達していく。
「さて、拷問器具でペシャンコにした白いスライム、どうなってるか見てみようか」
千秋は悪戯っぽく笑いながら、取っ手のロックに手をかけた。
カチャリ、と金属音が鳴る。
果たして、鉄の板に挟まれた未知の食材は、どんな姿へと変貌を遂げているのか。サリサとジンツは、息をするのも忘れてその瞬間を待ち構えていた。




