第38話:直火風の焚き火台
異世界ファルマ大陸の森に、本格的な冬の夜が訪れようとしていた。
日が沈みかけると同時に、森の空気は一気に氷点下へと冷え込み、吐く息は真っ白に染まり、足元の落ち葉は霜で白く縁取られていく。
木枯らしが吹き抜ける過酷な環境の中、千秋のキャンプサイトだけは、オレンジ色の温かい光と、圧倒的な熱量に包まれていた。
「うおおおおっ! なんだか今日は、いつもより火がデカい気がするぜ!」
「うむ。この寒空の下にあって、まるで小さな太陽が地上に降り立ったかのようだ……」
槍使いのジンツと、重戦士のバルガスが、パチパチとはぜる特大の炎の前に身を乗り出し、真っ赤に火照った顔で歓声を上げていた。
彼らの視線の先にあるのは、普段、千秋が料理用に使っているコンパクトな焚き火台ではない。
「ふふふ。やっぱり冬のキャンプは、コレに限るよね」
千秋が満足げに腕を組みながら見つめているのは、今日のためにわざわざ持ち込んできた、大型で頑丈なステンレス製の『焚き火台(スノーピークの焚火台Lサイズ風のもの)』だった。
逆ピラミッド型の強靭な金属の器の中で、ジンツたちが割ってくれた太い広葉樹の薪が、井桁状に高く組まれ、轟々(ごうごう)と火柱を上げて燃え盛っている。
炎の高さは優に一メートル近くに達し、その強烈な輻射熱は、周囲数メートルにいる者たちの顔を熱く火照らせるほどだった。
「チアキねーちゃん! すごい、お祭りみたいだね!」
「なんだか、村の豊穣祭の時のキャンプファイヤーを思い出します……!」
千秋のキャンプサイトに遊びに来ていた村の姉弟、マイとテオも、特大の炎を見て目を輝かせている。
普段は小さな炎でしっぽりと楽しむことが多い千秋だが、冬の夜の『暖をとるため』の焚き火は別格だ。薪を惜しげもなく投入し、ガンガンと燃やして、巨大なキャンプファイヤーを作り上げるのが冬キャンプの醍醐味である。
「でも、チアキ殿。一つ気になっていたのですが……」
焚き火の熱で少し離れたところから、女騎士リネットが不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「なんだい、リネットさん?」
「これほど大きな火を熾すのであれば、なぜわざわざ、その重そうな『鉄の台(焚き火台)』を使うのですか? 地面に直接薪を組んで燃やした方が、簡単で手っ取り早いと思うのですが……」
リネットの言うことは、異世界(この世界)の常識としては完全に正しい。
野営の際、火を起こす時は地面に石を並べてかまどを作り、そこで直接薪を燃やすのが当たり前だ。わざわざ重くてかさばる鉄の台を持ち運んで、その上で火を燃やすなど、彼らから見れば「無駄な労力」にしか見えないのだ。
「ああ、なるほどね。こっちの世界の人たちから見たら、そう思うよね」
千秋は火吹き棒で薪の配置を微調整しながら、穏やかな笑みを浮かべた。
そして、炎の向こう側に見える、美しい冬の森の木々へと視線を向けた。
「あのね、リネットさん。私が住んでる世界……まあ、私の故郷ではね、『直火』は基本的にマナー違反ってされてる場所が多いの」
「マナー違反? 地面で直接火を燃やすことがか?」
「うん。地面で直接大きな火を燃やすと、地面の中のバクテリアや微生物が死んじゃうし、草の根っこも焼け焦げちゃうでしょ? それに、炭や灰がそのまま残ると、次に来た人が不快な思いをするし、自然の景観も壊れちゃうからね」
千秋は焚き火台の下――地面と焚き火台の間に敷かれている『焚き火シート(防炎シート)』をトントンと足の先で叩いた。
「私たちは、自然にお邪魔させてもらって、キャンプを楽しんでる立場だからね。『来た時よりも美しく』っていうのが、キャンパーの鉄則なの。だから、自然を傷つけないように、こうやって焚き火台を使って、灰や炭も全部持ち帰るようにしてるんだよ」
千秋の言葉を聞いた異世界人たちは、一様に驚きの表情を浮かべた。
彼らにとって、森や自然というものは「恵みを与えてくれるもの」であると同時に、「克服すべき過酷な環境」であり、魔獣が潜む「危険な場所」でもある。自然を『保護する』『傷つけないように配慮する』という発想は、彼らの中には全く存在していなかったのだ。
「自然を……傷つけないための、鉄の台……」
リネットは、メラメラと燃える焚き火台を、改めて畏敬の念を込めて見つめ直した。
「チアキ……。あなたの故郷の者たちは、なんという高い倫理観と、自然に対する敬意を持っているのだ。我々は、この森の恩恵を当たり前のように享受し、平気で地面を焦がしていたというのに……」
「いやいや、私の故郷でも、昔は直火が当たり前だった時代もあったらしいよ。でも、キャンプを楽しむ人が増えて、自然を守るためのルールが少しずつできてきたんだよね」
千秋は照れくさそうに頭を掻いた。
ただのキャンパーとしてのマナーを語っただけなのに、異世界人たちには「森の精霊と共生する高潔な大魔導師」のようなフィルターを通して聞こえてしまっているようだ。
「チアキねーちゃん、かっこいい! 森の木さんたちに優しいんだね!」
「私たちも、村に帰ったら地面で火を燃やした後は、ちゃんとお片付けするようにします!」
テオとマイが尊敬のまなざしを向けてくる。
「チアキ……。俺も、これからは薪を拾う時、必要以上に生木を折ったりしないように気をつけるぜ。この森は、俺たちの『大事な食堂』だからな!」
ジンツが胸を張り、バルガスも深く頷いている。
(うんうん、キャンパーとしての啓蒙活動、大成功だね)
千秋は心の中でガッツポーズをした。
自然を愛し、マナーを守る。それが、千秋のソロキャンプにおける譲れない矜持であった。
「さて! 難しい話はこれくらいにして。これだけ立派な焚き火ができてるんだから、冬の夜のお楽しみといこうか!」
千秋は、特大の焚き火から少し離れた場所に、耐熱グローブをはめた手で、真っ赤に燃える炭――『熾火』をいくつか移動させて、小さな熱源の山を作った。
そして、傍らのクーラーボックスから、新聞紙に包まれたゴツゴツとした塊をいくつか取り出してきた。
「冬の焚き火の定番中の定番、みんなで『焼き芋大会』をするよ!」
千秋が宣言すると、テオが「やきいも!?」と首を傾げた。
マイも不思議そうに、千秋の持つ塊を見つめている。
「チアキさん、その新聞紙……あ、その紙に包まれているのは、なんですか? もしかして、また異世界の美味しいお肉ですか?」
「ううん、お肉じゃないよ。これは『サツマイモ』っていう、お芋の一種。甘くてホクホクで、冬に食べると最高に美味しいんだから」
千秋は新聞紙の包みを開き、中から土のついた、紫がかった赤色のサツマイモを取り出して見せた。
日本のスーパーで買ってきた、糖度抜群のブランド芋『紅はるか』である。
「お芋、ですか? 村でもお芋はよく食べますが……茹でたり、スープに入れたりするのが普通です。そのまま火の中に入れると、真っ黒焦げの炭になってしまいませんか?」
マイの疑問はもっともだ。
サツマイモをそのまま直火の中に放り込めば、表面は瞬く間に焦げ炭となり、中は生焼けという最悪の結果になる。
「そこで登場するのが、またしても『魔法の銀紙』と、もう一つのちょっとした裏技だよ」
千秋はニヤリと笑うと、サツマイモの土を水で軽く洗い流した。
そして、ここからが現代キャンパーの『完璧な焼き芋』を作るための、とっておきのテクニックである。
「マイちゃん、テオ君。よく見ててね」
千秋は、サツマイモを『新聞紙』でくるくると包んだ。
そして、その新聞紙で包んだサツマイモを、水の入ったボウルの中にドボンと浸したのだ。
「ええっ!? チアキねーちゃん、なんでお水に入れちゃうの!? びちょびちょになっちゃうよ!」
「そうだよチアキさん! 濡れた紙のまま火に入れたら、火が消えちゃうし、全然焼けなくなっちゃいます!」
テオとマイが慌てて声を上げるが、千秋は全く動じない。
新聞紙がたっぷりと水を吸い込んだのを確認すると、サツマイモをボウルから取り出し、軽く水気を絞った。
そして、今度はその上から、現代の万能オーパーツである『アルミホイル』を、隙間ができないように二重に、しっかりと巻きつけていったのだ。
「よし、これで下準備は完璧」
千秋は、濡れた新聞紙とアルミホイルで二重にコーティングされた、ずっしりと重い銀色のカプセルをいくつか作り上げた。
「チ、チアキ殿……。なぜ、わざわざ水で濡らした紙を間に挟んだのだ? アルミホイルの力だけで包み焼きにするのではダメなのか?」
リネットが、不思議そうにアルミの塊を見つめながら尋ねた。
これまで千秋がアルミホイルを使ってきた料理(鮭のホイル焼きなど)では、濡れた紙を挟むようなことはしていなかったからだ。
「いい質問だね、リネットさん。もちろん、アルミホイルだけで巻いて焼くこともできるんだけど、それだとお芋の水分が飛びすぎちゃって、パサパサの食感になっちゃうことが多いの」
千秋は、銀色のカプセルをトングで挟み、先ほど作っておいた『熾火の山』の中へと、直接ポン、ポンと放り込んだ。
ジュゥッ、と微かな水蒸気の音が鳴る。
「でも、間に濡らした新聞紙を挟んで、その上からアルミホイルで密閉すると……火の熱で新聞紙の水分が蒸発して、アルミホイルの中で『蒸し焼き』状態になるの。そうすると、お芋の水分を保ったまま、信じられないくらいねっとりと、甘〜く焼き上がるんだよ!」
千秋の解説を聞いて、ロイド(ダウンシュラフの中でイモムシ状態になっている)が、シュラフの顔の穴から目を光らせて反応した。
「な、なんと……! ただ焼くだけではなく、内部で高温の蒸気を発生させ、さらにアルミホイルで密閉して圧力をかける……。ダッチオーブンの原理を、紙と金属のシートだけで再現しているというのか……! 恐るべきカガクの叡智……!」
「だから大げさだってば。ただの焼き芋の焼き方だよ。あとは、このまま熾火の中で三十分くらい、じーっくり放置するだけ」
千秋はそう言って、再びローチェアに腰を下ろした。
特大の焚き火から放たれる熱が、冬の冷たい空気を完全に押し退け、タープの下をポカポカの空間に変えている。
「三十分かぁ……。待ち遠しいぜ」
ジンツが、熾火の中の銀色のカプセルを食い入るように見つめながら、ゴクリと喉を鳴らした。
バルガスも、甘党の血が騒いでいるのか、目をギラギラさせている。
パチパチとはぜる焚き火の音。
澄み切った冬の夜空に瞬く星々。
そして、仲間たちと火を囲みながら、美味しいものが焼き上がるのを待つ、静かで贅沢な時間。
冬キャンプの醍醐味が、この特大の炎の前にすべて詰まっていた。
「……ねえ、みんな。焼き芋ができるまで、ちょっと温かい飲み物でも飲もうか」
千秋は、冷えた身体をさらに芯から温めるための、とっておきの冬の飲み物の準備に取り掛かった。
大人たちには、スパイスを効かせた『ホットワイン』を。
テオとマイには、甘くて温かい『ココア』を。
冬の夜の宴は、まだまだこれからが本番である。




