第22話:アルミホイルというオーパーツ
「さてさて、二人が持ってきてくれたこの『ホムラタケ』のお礼に、今日はとびっきりの秋のキャンプ飯を作っちゃうよ!」
肌寒い秋の空気が漂う異世界の森。色づき始めた木々の下で、千秋の明るい声が響き渡った。
千秋の目の前には、近隣の村からやってきた好奇心旺盛な十歳の少年テオと、十四歳になるその姉、マイの二人が、期待に目をキラキラと輝かせてちょこんと丸太の椅子に座っていた。
彼らが手土産として持ってきたのは、異世界の森の奥深くで秋にしか採れないという珍しいキノコ『ホムラタケ』。火を通す前からほんのりと温かく、食べればお腹の底から身体をポカポカと温めてくれるという、ファンタジー世界ならではの不思議な食材だった。
千秋は愛用のアルミロールテーブルの上にホムラタケを置くと、テントの入り口付近に鎮座している大型のクーラーボックスへと向かった。
「お魚とお肉、どっちがいいかなって思ったんだけど……やっぱり秋といえばコレだよね」
千秋がクーラーボックスの頑丈なバックルを外し、蓋をパカッと開けると、中に詰め込まれていた保冷剤から、真っ白な冷気がふわりと漏れ出した。
「うわっ、つめたーい!」
「あの箱の中には、冬の精霊が住んでいるんですか……?」
テオが冷気に手をかざしてはしゃぎ、マイが信じられないものを見るような目で呟いた。
彼らにとって、電気も魔力も使わずに夏でも冬のような冷気を保ち続けるこの箱は、すでに理解の範疇を超えた神の道具であった。しかし、千秋にとってそれはただの「発泡ウレタンが詰まった断熱性の高い箱」でしかない。
千秋は冷気の中から、透明なプラスチックのパックに入った食材と、小さな銀紙に包まれた箱を取り出した。
「はい、今日のメイン食材その一。スーパーの特売で買ってきた、『甘塩シャケの切り身』!」
千秋がテーブルの上にポンと置いたパックの中には、鮮やかなサーモンピンク色に輝く、分厚い魚の切り身が二切れ入っていた。
身には美しい白い脂の筋が均等に入っており、見るからに美味しそうだ。
「お魚……ですか? でも、川で獲れるお魚とは随分色が違いますね。それに、こんなに大きなお魚、村の近くの川にはいません」
「うん、これは川じゃなくて『海』で獲れたお魚だからね」
海、という単語を聞いた瞬間、マイが息を呑んだ。
「う、海のお魚……!? チアキさん、海のお魚なんて、王都の市場でもめったにお目にかかれない超高級品ですよ! それを、こんなに分厚く切ってあるなんて……!」
ファルマ大陸において、海は内陸の村から遥か遠く離れた場所にあり、魔獣の危険を冒してまで鮮魚を運ぶことは不可能に近い。塩漬けや干物にして運ばれることはあっても、それは一部の王族や大貴族の口に入るのみだ。
しかし、ここは現代日本。スーパーマーケットの鮮魚コーナーに行けば、チリ産やノルウェー産、北海道産のシャケが数百円でズラリと並んでいるのである。
「えー、そうなんだ。でも日本では朝ごはんの定番だからね。そして、メイン食材その二がコレ。北海道産の『バター』だよ」
千秋は銀紙の包みを開け、黄色い正方形のブロックを見せた。
ほんのりと立ち昇る、乳製品特有の濃厚で甘い香り。
「これは、牛のお乳をギュッと固めて作った油みたいなもの。これとシャケを一緒に火にかけると、もう悪魔的に美味しくなるんだから」
「牛のお乳の油……。すごくいい匂いがします……」
マイもテオも、見たことのない食材にすっかり心を奪われていた。
しかし、千秋の真の魔法(現代のキャンプ知識)が発揮されるのはここからだった。
「シャケとホムラタケとバター。この三つを最高に美味しく食べるために、今日はキャンパーの強い味方……『魔法の銀紙』を使うよ!」
千秋はキャンプ道具をまとめたコンテナから、一つの細長い紙箱を取り出した。
パッケージには『アルミホイル 厚手タイプ 8m』と書かれている。
「ま、魔法の銀紙……ですか?」
「そう! これがあれば、フライパンも鍋も汚さずに、食材の旨味を一切逃がさずに調理できるの。洗い物が出ないっていうのが、ソロキャンパーにとっては最大のメリットなんだよね」
千秋は紙箱の蓋を開け、中から薄い金属のシートをスーッと引き出した。
――ピリィッ!
箱についているギザギザの刃を使って、千秋はアルミホイルを適度な長さで手際よくカットした。
切り取られた一枚のシートは、木漏れ日を反射してギラギラと鈍い銀色の光を放っている。千秋はそれを二枚用意し、テーブルの上に広げた。
「ほら、触ってみる?」
千秋に促され、テオが人差し指でアルミホイルをツンツンと突いた。
ペコッ、ペコッ、と軽い金属音が鳴る。
「うわぁ! これ、紙みたいにペラペラで軽いのに、金属みたいにピカピカ光ってる!」
「えへへ、すごいでしょ。自在に曲がるし、クシャクシャにしても破れないし、しかも熱にめちゃくちゃ強いんだよ。直火にかけても燃えないの」
千秋が誇らしげに語る言葉を聞いて。
姉のマイの顔色が、みるみるうちに蒼白になっていった。
「う、嘘……。紙のように薄く、自在に曲がり、それでいて火に耐えるほどの強度を持つ銀色の金属……」
マイの頭の中に、村の長老や行商人から聞いたことのある『おとぎ話』がフラッシュバックしていた。
かつて、神代の時代に存在したという伝説の超希少金属。
魔法の親和性が極めて高く、どれだけ薄く打ち延ばしてもその強度を失うことがない、幻の鉱物。
「ま、まさか……チアキさん、それは……『ミスリル』……!? ミスリルを、極限まで薄く打ち延ばした伝説の魔道具なのですか!?」
「えっ? ミスリル?」
突然のファンタジー用語の登場に、千秋はきょとんとしてアルミホイルを見つめた。
ミスリルといえば、RPGやファンタジー小説でお馴染みの、軽くて硬いあの金属のことだろう。
「いやいや、これただのアルミだよ? アルミニウム」
「あ、あるみにうむ……! やはり、ミスリルの真の古代語名……! それほどの超希少金属を、紙のように薄く均一に加工する技術など、伝説のドワーフの国にしか存在しないはず! それを、こんなに惜しげもなく切り裂いて……!」
マイはガタガタと震えながら、テーブルの上のアルミホイルから一歩後ずさった。
彼女の常識からすれば、ミスリルはほんの欠片であっても城が建つほどの価値がある。それを長さ三十センチほども引き出し、あろうことか「使い捨て」のように扱おうとしている千秋の姿は、狂気の沙汰としか思えなかったのだ。
「ひぃぃ……! チアキさん、そんな国宝級の魔道具を、ただのご飯を焼くためだけに使おうというのですか!? もし王都の騎士団に見つかったら、ただでは済みませんよ!」
「大げさだなぁ、もう。これ、スーパーとか百円ショップに行けば、誰でも買える普通の日用品だからね?」
「ひゃ、ヒャクエンショップ……! やはり、選ばれし者しか足を踏み入れることのできない、幻の地下工房……!!」
サリサやロイドと同じく、マイの脳内でも現代の言葉がすべて「高度なファンタジー設定」へと自動変換されていく。
異世界人たちのこの手の過剰なリアクションにはすっかり慣れっこになっている千秋は、「はいはい、ミスリルでもなんでもいいから、見ててね」と全く意に介さず、調理の準備を続行した。
「まずは、このアルミホイルの真ん中に、スライスした玉ねぎを敷くの。こうすることで、魚がホイルにくっつくのを防ぐのと、玉ねぎの甘みを引き出せるんだよね」
千秋は手際よく、スライス玉ねぎを二つのホイルの上にベッドのように敷き詰めた。
「その上に、メインの甘塩シャケの切り身をドーンと乗せます。そして、周りにマイちゃんたちが持ってきてくれた『ホムラタケ』を並べるの」
サーモンピンクの鮭の切り身の周囲を、深紅のホムラタケが取り囲む。
赤と白とピンクの鮮やかなコントラストが、見た目にも美しい。
「仕上げはコレね。さっきのバターを、シャケの上に乗せて……最後に、料理酒をちょっとだけ回しかけるの」
千秋の言う料理酒とは、持参してきた小瓶に入った調理用の日本酒のことだ。これを少量かけることで、魚の生臭さを消し、蒸し焼きにした時にふっくらとした仕上がりになるのだ。
「これで具材の準備はオッケー。あとは、この魔法の銀紙で……よいしょっと」
千秋はアルミホイルの手前と奥の端を持ち上げ、中央でしっかりと重ね合わせて折り込んだ。さらに左右の端もクルクルとキャンディの包み紙のようにねじって密閉する。
キャンパーの間で『舟形包み』と呼ばれる、中で蒸気が循環するための空間を持たせた包み方である。
「す、すごい……。完全に密閉されてしまいました。中身が見えないのに、なんだか不思議な力が満ちているような気がします」
「だよねー! これで旨味が一滴も逃げないからね」
マイが恐る恐る見つめる中、千秋は二つの銀色の包みをトングで挟み上げた。
向かう先は、少し離れた場所でパチパチと音を立てている焚き火台である。
今日の焚き火は、ジンツがいないため千秋自身が火の管理をしていた。炎が大きく立ち上がっている状態ではなく、薪が崩れて芯から赤々と発光する『熾火』の状態を作り上げている。
遠赤外線を安定して放つこの熾火こそが、ホイル焼きには最適な熱源なのだ。
「さーて、熾火の真ん中に、直接ポン、と」
千秋はアルミホイルの包みを、燃え盛る炭の上に直接置いた。
マイが「ヒィッ! 伝説の金属が溶けてしまいます!」と小さな悲鳴を上げたが、もちろんアルミホイルは溶けることも燃えることもない。
――ジューーーーーッ……。
熾火の熱がアルミホイルを通して中の具材に伝わり、心地よい焼き音が微かに聞こえ始めた。
「あとはこのまま、十五分くらい放置するだけ。火加減を見る必要もないし、焦げ付く心配もない。本当にアルミホイルって、キャンプのオーパーツだよね」
千秋は満足げにローチェアに腰を下ろし、熱いコーヒーをすすった。
「十五分……。あの銀色の箱の中で、海の魚とホムラタケが、どんな風に混ざり合うんでしょうか……」
マイは両手を胸の前で組み、祈るように焚き火台を見つめている。
テオはすでにヨダレを垂らしながら、「早く食べたいなぁ」とお腹をさすっていた。
現代日本のキャンパーが愛用する万能アイテム「アルミホイル」と、異世界のファンタジーキノコ。
決して交わるはずのなかった二つの世界の要素が、銀色の密閉空間の中で熱を帯び、今まさに一つの『極上の料理』へと昇華されようとしていた。
「もう少し待っててね、二人とも。開けた瞬間、匂いだけで気絶しちゃうかもしれないから!」
千秋の悪戯っぽい笑顔に、姉弟はゴクリと喉を鳴らした。
秋の冷たい風が木々を揺らす中、ホイル焼きの完成を待つ、静かで、それでいて極限まで食欲を刺激される「待ち時間」がゆっくりと流れていくのだった。




