第16話:朝まで語る学者と、ガン無視するOL
深い深い、異世界の森の夜。
獰猛な夜行性の魔獣たちが息を潜める漆黒の闇の中にあって、千秋のキャンプサイトだけが、異常なまでの白光に包まれていた。
タープのポールに吊るされたメインのLEDランタンは、千ルーメンという暴力的なまでの大光量を放ち続け、周囲の石や落ち葉の輪郭を容赦なく暴き出している。
そして、その光源の真下。
アルミテーブルの下に鎮座する黒とオレンジ色の巨大な箱――『ポータブル電源』の前に這いつくばり、狂ったように羽ペンを走らせ続けている銀髪のエルフがいた。
植物学者のロイドである。
「ブツブツ……エネルギーの減少率……熱への変換効率……。いや、待て。この『85%』という謎の発光紋様、先ほどまで確かに『85』だったはずだが、今は『79』に変化しているぞ!? なんだこれは、紋様が生き物のように姿を変えたというのか!?」
ロイドは充血した目を極限まで見開き、ポータブル電源の液晶ディスプレイに顔を擦り付けんばかりに近づけていた。
深夜、気温が下がるにつれて、千秋がテントの中で使用している「電気毛布」が設定温度を保つために電力を消費し始めたのだ。その結果、ポータブル電源のバッテリー残量は少しずつ、しかし確実に減っていく。
そのデジタル数字の変化を目の当たりにしたエルフの学者は、自身の知的好奇心を完全に暴走させていた。
「数字が減る……つまり、この箱自身が持つ『生命力』あるいは『内包マナ』が削られているという証拠か! 自らの身を削り、その未知のエネルギー『デンキ』とやらを、黒い管を通じてテントの中へと送り込んでいるのだな!」
ウィィィィィィン……。
ポータブル電源が、AC出力を維持するための冷却ファンを回し、低く唸るような音を立てる。
「鳴いた! また箱が鳴いたぞ! エネルギーを放出し続ける苦痛に喘いでいるのか!? なんという痛ましい、そして恐ろしい魔道具なのだ……! これほどの代物を、あの魔女……チアキ殿は、就寝中の暖を取るため『だけ』に使っているというのか!」
ガリガリガリッ、シャシャシャッ!
ロイドの分厚い革表紙の手帳は、すでに数十ページにわたってポータブル電源とLEDランタンのスケッチ、そして彼独自の(完全に的外れな)魔法理論による考察で埋め尽くされていた。
彼の頭の中では、「デンキ」というものは、極限まで圧縮された雷精霊の集合体であり、それが金属の管を通って摩擦を起こすことで光と熱を生み出している、という仮説が構築されつつあった。
「しかし、精霊の気配すらないのはなぜだ? 完全に物理的な箱の中に、どうやって雷精霊を……いや、まさか精霊ではなく、純粋な『雷という現象』そのものを空間から切り取って閉じ込めているとでも……!? だとしたら、これは神の領域だぞ!」
夜が更け、深夜になり、そして明け方が近づいても、ロイドの独り言とペンの音は止まることがなかった。
彼は完全に徹夜で「電気」という現代の概念に挑み続けていたのである。
* * *
チュン、チュン、ピロロロロ……。
やがて、異世界の森に朝が訪れた。
木々の隙間から柔らかな朝日が差し込み、一晩中森を照らし続けていたLEDランタンの白光も、ついに太陽の光に紛れてその暴力的さを失っていった。
テントの中では、冬用のマミー型シュラフと電気毛布の合わせ技により、究極の温もりの中で爆睡していた千秋が、ゆっくりと目を覚ました。
「んんっ……あー、よく寝たぁ……」
千秋はシュラフの中で思い切り伸びをした。
外の空気はキリッと冷え込んでいるはずだが、シュラフの中はまるでコタツに入っているかのような天国だった。ポータブル電源と電気毛布の組み合わせは、冬キャンプにおいてまさにチート級の快適さを約束してくれる。
一週間の仕事の疲れもすっかり抜け、千秋は最高の目覚めを迎えていた。
「さてと。朝のコーヒーでも淹れようかな」
ジーッ、とテントのファスナーを下ろし、千秋は外の空気を吸い込むためにテントから顔を出した。
そして。
「チアキ殿ォォォォォォォッ!!」
「うわっ!?」
テントを開けた目の前に、両目を見開き、目の下に真っ黒なクマを作った銀髪のエルフが、亡霊のように立っていた。
手にはビッシリと文字が書き込まれた手帳を握り締め、肩でゼェゼェと荒い息をしている。服は泥と落ち葉にまみれ、美しいはずの銀髪は鳥の巣のようにボサボサになっていた。
「わ、私は一晩中考えた……! この『デンキ』という未知のエネルギーについて! 結論から言おう! これは雷属性の精霊魔法を、純粋な物理法則に強制変換して封じ込めた……チアキ殿、聞いてくれ! 私のこの完璧な仮説を!」
ロイドは手帳を千秋の顔の前に突き出し、ものすごい早口でまくし立て始めた。
その目は完全に血走っており、徹夜明け特有の異様なテンションの高さに支配されている。
しかし。
相手は、生粋のキャンパーにして、図太い神経を持つ事務職OL、千秋である。
朝の清々しい空気を楽しもうとした瞬間に、意味不明なファンタジー理論を浴びせかけてくるウザ絡みエルフに対して、彼女の対応は極めて冷酷かつシンプルだった。
「…………」
千秋は、ロイドの存在を完全に『無』として扱った。
彼と目を合わせることもなく、手帳を見ることもなく。
ただ無言のまま、スッとロイドの横を通り抜け、アルミテーブルの下に置かれたポータブル電源の方へと歩いていったのだ。
「えっ……? あ、あの、チアキ殿? 聞いておられるか? この『USB』という形状の謎について、私なりの見解が……」
千秋はガン無視である。
「ふぁぁ〜」と大きなあくびをしながら、ポータブル電源の液晶画面をチラリと確認する。
「おっ、残量42%か。やっぱり電気毛布を『強』で一晩中使うと、けっこうバッテリー食うなぁ。次から中設定くらいにしておこうっと」
千秋は独り言を呟きながら、ポータブル電源に挿しっぱなしになっていた電気毛布のプラグ(ACコード)を、何の躊躇いもなく『ブチッ』と引き抜いた。
「ヒィィィィッ!! な、何をするチアキ殿ォォォッ!?」
ロイドが悲鳴を上げて頭を抱えた。
「稼働中のアーティファクトの接続を、なんの詠唱も呪符の解除もなしに物理的に切断するなど!! 内部のエネルギーが逆流して大爆発を起こすぞ!!」
「しないよ。電源ボタン切ってから抜いたし」
千秋はまたしてもロイドを無視気味にあしらい、テントの中へと手を伸ばした。
そして、一晩中彼女の身体を温め続けていた『電気毛布』を、ズルズルと外へ引きずり出してきたのだ。
「よし、天気がいいから少し干しておこうっと。これ、洗えるタイプの毛布だから助かるんだよねー」
千秋はチェック柄の電気毛布をパタパタと振り、タープのロープの上に無造作に引っかけた。
それを見たロイドは、全身の血の気が引くのを感じ、ガタガタと激しく震え始めた。
彼の視線は、千秋が今しがた干した電気毛布に完全に釘付けになっていた。
「お、おい……魔女よ。いや、チアキ殿……」
「ん? なに? 朝からうるさいなぁ。コーヒー飲む?」
「貴様……まさか、一晩中……その『布』を敷いて、その上に寝ていたというのか……?」
「そうだけど? 下からじんわり温めてくれるから、背中がポカポカで最高だよ」
千秋は何の悪びれもなく、笑顔で答えた。
その瞬間、ロイドの膝からガクンと力が抜け、彼は地面にへたり込んでしまった。
「信じられん……信じられんぞ……!!」
ロイドは顔面を蒼白にし、震える指で電気毛布を指差した。
「あの巨大な箱の中で、ファンの音を唸らせて荒れ狂っていた未知の超高密度エネルギー……。それを、わずか数ミリの布切れ一枚に流し込み、あろうことか、貴様はその上で……そのエネルギーの塊を『尻に敷いて』寝ていたというのか……!?」
ロイドの常識では、強力な魔道具や魔力結晶は、少しの衝撃や魔力の乱れで暴走する極めて危険なものである。
それを、自分の寝床に敷き、一晩中体重をかけ、寝返りを打ちながら無防備に朝まで過ごすなど、正気の沙汰ではない。
もし布の中でエネルギーが漏れ出せば、一瞬にして全身が消し炭になるはずだ。
しかし、千秋はなんの怪我もなく、それどころか「最高に温かかった」とあくびをしているのである。
「貴様は……貴様は本当に人間なのか!? どれほどの魔力耐性を持っていれば、あの未知のエネルギーの奔流を尻に敷いて平然と寝ていられるのだ!? お前自身が、歩くオリハルコンの塊だとでもいうのか!」
「歩くオリハルコンって、めっちゃ重そうじゃん。違うよ、日本の家電メーカーがちゃんと安全基準(PSEマーク)を満たして作ってくれてるから、火事になったり感電したりしないようになってるの。はいはい、大げさなんだから」
千秋はロイドの絶叫を完全にスルーし、コンパクトなシングルバーナーに火をつけた。
シュコーッという小気味よい音が鳴り、ケトルの中のお湯が沸き始める。
「さーて、朝ごはんは何にしようかな。ジンツさんたちもそろそろ来るだろうし、多めに作っとこ」
コーヒーの準備を始めた千秋の背中を見つめながら、ロイドは地面に手をつき、敗北感と、それを遥かに上回る狂気的なまでの「探求心」に打ち震えていた。
(この女……規格外すぎる。そして、この女が持ち込む『文明の利器(謎のギア)』は、私の植物学はおろか、この世界の魔法体系そのものを根底から覆す可能性を秘めている……!)
ロイドは震える手で眼鏡を押し上げると、フラフラと立ち上がり、千秋の背中に向かって宣言した。
「チアキ殿……! いや、チアキ先生!!」
「えっ、先生? 私、ただの事務職OLなんだけど」
「私は決めた! 私は学者として、貴様の持ち込むその未知のアーティファクトたちを、全て解明しなければ気が済まなくなった! 私の知的好奇心が、貴様から目を離すことを許さない!」
ロイドは手帳を胸に抱きしめ、充血した目でギラギラと千秋を睨みつけた。
「これから毎週末! 私はこの森に通い詰め、貴様の一挙手一投足、そして貴様が使う謎の箱たちを徹底的に観察させてもらうからな! 覚悟しておけ!!」
まるでストーカー宣言とも取れるエルフの学者の宣戦布告。
普通なら警察に通報する事案だが、千秋はコーヒー豆をゴリゴリと挽きながら、「へー、物好きだねー」と全く意に介さなかった。
「まあ、邪魔しないなら勝手に見ててもいいけど。あ、でも観察するだけじゃご飯はあげないよ? ジンツさんは薪割り、サリサちゃんは洗い物してくれてるからね。ロイドさんは何をしてくれるの?」
「なっ……私のような高名な学者を、労働力として使う気か!?」
「働かざる者食うべからず、だよ。キャンプの鉄則ね」
千秋がニッコリと笑うと、ロイドは悔しそうにギリッと歯を食いしばった。
しかし、あの『1000ルーメンのLEDランタン』や『ポータブル電源』の謎を解き明かすためには、この女のキャンプ地に居座るしかない。
それに、ジンツたちが狂喜乱舞しているという「神の肉」や「魔法の粉」を使った料理というものにも、学者として(そして純粋な胃袋の要求として)少しだけ興味が湧いてきていたのだ。
「……くっ。わ、わかった。私の植物学の知識を活かし、この森に自生する『美味な野草』や『珍しいキノコ』などの情報を教えてやろう。それに、火起こしのための乾燥した着火剤(松ぼっくりなど)を集める手伝いくらいならしてやる」
「おっ、異世界の山菜知識! それはキャンパーとしてすごくありがたいかも。よし、交渉成立ね!」
千秋はマグカップにドリップした熱々のコーヒーを注ぎ、一つをロイドの方へと差し出した。
「ほら、徹夜明けにはカフェインが一番効くよ。お疲れ様、ロイドさん」
ロイドは恐る恐るその黒い液体を受け取った。
立ち昇る香ばしい苦味の香りを嗅ぎ、ゴクリと一口飲む。
エルフの繊細な味覚に、コーヒーの深いコクと強烈なカフェインが染み渡り、徹夜で疲労困憊だった脳細胞が一気に覚醒していくのを感じた。
「な、なんだこの黒い液体は……! ただの苦い水かと思いきや、頭の中に直接雷魔法を撃ち込まれたように意識が冴え渡るぞ……! まさかこれも、貴様のカガクとやらの産物なのか!?」
「それはただのコーヒー豆を挽いたやつだよ。もう、いちいちリアクションが大きいなぁ」
千秋は呆れ笑いを浮かべながら、自分の分のコーヒーをすすった。
こうして。
千秋の異世界ソロキャンプのレギュラーメンバーに、新たに「理屈っぽくて神経質、現代ギアの構造が理解できずに頭を抱え続けるエルフの植物学者」が加わったのである。
薪割りのジンツ、洗い物のサリサ、食材調達のリネット、ハチミツ持参のバルガス、そして解説&野草探しのロイド。
異世界の森の奥深く、彼女の張ったタープの下は、毎週末ごとにカオスな異文化交流の場として、ますます賑やかさを増していくのだった。




