第15話:ポータブル電源の謎に狂うエルフ
「これ。この『ポータブル電源』から電気を送ってるの」
千秋が事もなげにポンポンと叩いたのは、アルミテーブルの下に鎮座する無骨な箱だった。
黒とオレンジ色の頑丈なプラスチック外装に守られ、重さは十キロ近くある大容量の蓄電池。現代のキャンパーたちが「ポタ電」と略して愛用する、野外に電化製品を持ち込むための必須アイテムである。
その箱の正面には、青白く発光する小さな液晶ディスプレイがついており、『85%』というデジタル数字が煌々と浮かび上がっていた。
「ぽ、ぽーたぶる……でんげん……?」
エルフの植物学者ロイドは、魔光石の杖を取り落とすことも忘れ、その巨大な箱の前に這いつくばった。
彼の瞳孔は極限まで開き、充血した目でポータブル電源の表面を舐め回すように観察し始めている。
「魔力がない……。本当に、一切の魔力の揺らぎが感じられない。だが、この箱の中に、あの太陽のような光を生み出す『デンキ』とやらが詰まっているというのか……!?」
「うん。お家でコンセントに挿して、電気をいっぱい貯めて持ってきたんだよ。一泊二日のキャンプなら、これ一台あればスマホの充電もできるし、夜中ずっとランタンつけてても余裕で持つからね」
千秋はチタンマグに入ったホットココアをずずーっとすすりながら、極めて日常的なトーンで答えた。
しかし、その「日常的」な言葉の羅列が、ロイドの学者としての脳髄を木っ端微塵に破壊していく。
「貯めているだと!? エネルギーを!? 魔力結晶や精霊石を使わずに、ただの物理的な箱に未知のエネルギーを蓄積できるなど……あり得ない! エネルギーとは常に世界を循環するものであり、留めておくには極めて高度な封印魔法が必要なはずだ!」
「いや、封印とかじゃなくて……中に『リチウムイオン』のバッテリーが入ってて、そこに化学反応で電気を蓄えてるっていうか。ごめん、私も文系だから詳しい仕組みはよくわかんないけど」
「リ・チ・ウ・ム・イ・オ・ン……!? なんだその恐ろしい呪文の響きは! 古代語か!? 神代の遺物の名前か!?」
「だから、ただの電池! バッテリー!」
千秋がいくら現代の言葉で説明しようとしても、エルフの学者の脳内フィルターを通すと、すべてが「神話級のオーパーツ」に変換されてしまうらしい。
ロイドは震える指先を伸ばし、恐る恐るポータブル電源の黒い外装に触れた。
「……冷たい。そして、硬い。だが、確かに中に何かが『在る』のを感じる……! おい、魔女よ! いや、チアキ殿! この箱の表面に浮かび上がっている、光る紋様はなんだ!?」
「紋様?」
「これだ! 青く光りながら、奇妙な形を描いているこの文字のようなものだ!」
ロイドが指差したのは、液晶ディスプレイに表示されている『85%』というデジタル数字だった。
「ああ、それね。バッテリーの残量だよ。今、百パーセント中の八十五パーセント残ってるってこと」
「ざ、残量……。百の中の八十五……。まさか、この箱は自身の内部にあるエネルギーの残存量を、自ら計算して、さらに光の文字として実体化させて表示しているというのか!?」
ロイドの顔が、驚愕で引き攣った。
異世界において、魔道具に込められた魔力の残量を知るには、高度な『鑑定魔法』を使うか、専門の魔道具技師に依頼して調べてもらうしかない。
それが、ただ見つめるだけで、誰にでもわかるように正確な数値として表示されているのだ。
インクも使わず、紙もない平面に、光だけで文字を描き出す技術。それだけでもロイドにとっては狂気を催すほどの衝撃だった。
「なんて恐ろしい自己解析能力だ……! この箱には、意思があるのか!? 高位の人工精霊でも組み込まれているのか!?」
「だから入ってないってば。ただの液晶画面。ほら、そこから伸びてる黒いヒモみたいなのがあるでしょ。それが『ケーブル(導線)』」
「けーぶる。どうせん」
千秋に促され、ロイドはLEDランタンとポータブル電源を繋いでいる黒いUSBケーブルへと視線を移した。
ロイドはケーブルを二本の指でそっと摘まんだ。
「……柔らかい。まるで蛇の皮のようだが、脈は打っていない。この細い管の中を、その『デンキ』というエネルギーが流れているのか?」
「そうそう。その黒いのはカバーで、中に電気を通しやすい金属の細い糸……銅線とかが入ってるの。電気がそこを通って、上のランタンに届いて光ってるってわけ」
「金属の糸を通って、エネルギーが移動する……!? 馬鹿な! 魔力を移動させるには、ミスリルやオリハルコンといった特殊な伝導物質に、熟練の彫金師が何ヶ月もかけて魔力回路を刻み込まねばならないのだぞ! それを、こんな無造作なヒモのようなもので……!」
ロイドは完全に理性を失い、懐から分厚い革表紙の手帳と、インク瓶、そして羽ペンを取り出した。
「伝導率……エネルギーの損失……回路の柔軟性……。信じられん、こんな概念がこの世に存在していたとは! 私の長年の研究は、一体なんだったというのだ!」
ガリガリガリッ! シャシャシャシャシャッ!
凄まじい勢いで、ロイドは手帳のページにポータブル電源のスケッチを描き始めた。
USBポートの形状、ACコンセントの差し込み口の形、液晶ディスプレイのデジタル数字。あらゆる角度から舐め回すように観察し、ブツブツと未知の概念を自分なりに解釈しては、狂ったように羽ペンを走らせる。
「……あの、ロイドさん?」
「待ってくれ! 今話しかけないでくれ! この『USB』と書かれた接続口の形状、四角い穴の中にさらに小さな金属の板がある……これはもしや、エネルギーの逆流を防ぐための物理的な防壁か!? 天才だ……これを作った者は、神の領域に足を踏み入れている……!」
もはや千秋の声など全く耳に入っていない。
千秋は溜息をつき、マグカップのココアを飲み干した。
「はぁ……。まあ、危害を加えてくるわけじゃなさそうだし、放っておくか」
千秋の持ち前の「図太さ」が、ここでも大いに発揮された。
自分のキャンプサイトに、見知らぬエルフが入り込んで謎の箱をスケッチして興奮しているという異常事態。普通なら追い出すか、気味悪がって逃げ出すところだが、千秋の思考は極めてシンプルだった。
『明日の朝には帰るし、もう眠いから寝よう』。
「ロイドさん、私もう寝るからね。ランタンはそのまま点けておいていいから、満足するまで観察してていいよ」
「あ、ああ……! かたじけない、チアキ殿! この御恩は一生……いや、ちょっと待て!」
ロイドがビクッと反応して顔を上げた。
彼の視線の先では、千秋がテントの中に敷いたコット(簡易ベッド)の上に、冬用の分厚いマミー型シュラフ(寝袋)を広げていた。
そして千秋は、その寝袋の中に、何やら『薄っぺらい布のようなもの』を滑り込ませたのだ。
「チアキ殿、今、寝床に何かを入れたな。それはなんだ?」
「これ? 電気毛布だけど」
「でんき……もうふ……?」
千秋は電気毛布から伸びている、先端が二本の金属の棒になった太いコードを手に持った。
「夜中から朝方にかけて、かなり冷え込むでしょ? だから、これをさっきのポータブル電源に繋いで寝るの。そしたら寝袋の中がコタツみたいにポカポカになって、朝までぐっすり眠れるんだよね」
「なっ……!?」
千秋はポータブル電源のAC出力ボタンをポチッと押し、カバーを外して、日本の家庭用コンセントと同じ形状の差し込み口に、電気毛布のプラグをブスリと挿し込んだ。
――ウィィィィィィィン……!!
AC出力を開始したことで、ポータブル電源の内部を冷却するためのファンが回り始め、低く唸るような稼働音が鳴り響いた。
「ヒィィッ!! 鳴いた!! 箱が鳴いたぞ!! やはり中に何かが生きているのではないか!?」
「生きてないって。パソコン……じゃなくて、機械が熱くならないように、風を送って冷ましてるだけの音だよ」
千秋は電気毛布のコントローラーのスライドスイッチを「強」に設定し、そのままズリズリと寝袋の中へ潜り込んでいった。
「ふぁぁ……あったかぁい……。文明の利器、最高。それじゃあ、ロイドさんおやすみー。勝手に帰る時は、タープのロープにつまずかないように気をつけてね」
「ま、待て! 待ってくれチアキ殿!!」
ロイドはポータブル電源に繋がれた新しいコード(AC電源コード)に飛びついた。
「この箱は、光を生み出すだけではないのか!? 熱を……『炎』を用いずに、ただの布切れを発熱させることまでできるというのか!?」
「……うん。電気の力でね。zzz……」
「信じられん……! 光魔法と火魔法、二つの異なる属性の現象を、魔力ゼロで同時に引き起こすなど……! しかも、なんの詠唱も、魔法陣の構築すらなしに……!!」
ロイドの顔が、狂喜と絶望がないまぜになったような、凄まじい形相に歪んだ。
植物学者として、この世界の理を探求してきた彼の三十年のキャリアが、千秋の持ち込んだ「ただのポータブル電源」と「電気毛布」によって、完全に粉砕されてしまったのだ。
「デンキ……。この目に見えない未知のエネルギーは、一体どのようにして布を温めている? 布の中に極細の導線が編み込まれているのか? だとしたら、なぜ布が燃えない!? 熱量の制御はどうなっている!? この箱の容量『85%』は、光と熱を同時に放出し続けた場合、どの程度の時間維持できるのだ!?」
テントの中から、千秋の穏やかな寝息が聞こえ始める。
完全に無視されているというのに、エルフの学者の知的好奇心の暴走はもはや誰にも止められなかった。
「ああ、駄目だ……気になりすぎる。この謎を解明せずして、オースの街に帰るなど学者としての死を意味する……!」
ロイドは再び手帳を開き、今度はコンセントのプラグの形状と、電気毛布のコントローラーのスケッチを開始した。
真夜中の異世界の森。
1000ルーメンの暴力的な白光の真下で、ポータブル電源のファンの音をBGMに、一人のエルフが徹夜でブツブツと現代科学のスケッチを描き続ける。
そんな狂気の空間にあっても、千秋は電気毛布のポカポカとした温もりに包まれ、朝まで一度も目を覚ますことなく、究極の爆睡を貪り続けるのだった。




