第14話:夜の森を照らす「暴力的な光」
深い、深い夜の森。
異世界ファルマ大陸において、都市や村落から離れた『魔の森』の夜は、文字通り完全な暗闇に包まれる。
月明かりや星の光すらも、樹齢数百年を超える巨大な広葉樹の分厚い天蓋に遮られ、地上には届かない。そこは夜行性の獰猛な魔獣たちが支配する、人間にとっては絶対的な死の領域である。
しかし、その漆黒の暗闇の中を、恐れもせずに歩き回る一つの影があった。
淡い緑色に発光する小さな石――『魔光石』を先端に据えた杖を持ち、ブツブツと何事かを呟きながら地面に這いつくばっている、すらりとした長身の男。
尖った長い耳に、月光を糸にして紡いだような見事な銀髪。そして、どこか神経質そうな細いフレームの眼鏡をかけたその男は、エルフの植物学者・ロイドであった。
「ふむ……。やはり、この辺りの『夜鳴き草』の自生密度は異常だ。通常、マナの濃度が極端に高い霊脈の近くでしか繁殖しないはずだが……」
ロイドは手元の分厚い手帳に、羽ペンでサラサラとメモを書き込んでいく。
エルフは人間よりも遥かに優れた夜目が利く種族である。とはいえ、文字を読み書きするには最低限の光源が必要だ。彼が手にしている魔光石は、高価な魔道具の一つであり、微弱な魔力を流し込むことでぼんやりとした光を放つ。
だが、その光量は現代日本で言えば「豆電球」程度のものであり、周囲数メートルを辛うじて照らすのがやっとだった。
「……それにしても、解せんな」
ロイドは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、森の奥深くへと視線を向けた。
彼がこんな危険な夜の魔の森を探索しているのには、植物採取とは別の、もう一つの重要な理由があった。
最近、近隣のオースの街でしきりに囁かれている『森の魔女』の噂である。
槍使いのジンツや、女騎士のリネットが「神の肉がどうの」「白い宝石(米)がどうの」と騒いでいる料理の話には、理屈っぽい学者であるロイドは全く興味がなかった。彼が反応したのは、酒場で酔っ払った木こりが漏らした、ある奇妙な目撃談だった。
『森の奥で、真夜中なのに太陽みたいに真っ白な光を見たんだ。あそこには絶対、とんでもねえ古代のアーティファクトが眠ってるぜ……』
太陽のような、真っ白な光。
ロイドの知る限り、ファルマ大陸の常識においてそのような光源は存在しない。
木や油を燃やせば、炎は赤やオレンジ色になるし、必ず煙と熱が発生する。
魔力を用いて光を生み出す『光魔法』や『魔光石』は、術者の属性によって淡い青や緑、黄色になるが、決して「真っ白な太陽のような光」にはならない。しかも、広範囲を照らすほどの光魔法を維持するには、宮廷魔術師クラスの莫大な魔力が必要になる。
「真夜中の太陽……。単なる平民の錯覚か、あるいは未知の魔力結晶体が露出しているのか。学者としては、見過ごすわけにはいかない事象だ」
知的探求心(という名の、学者特有の厄介な好奇心)に突き動かされ、ロイドは噂の出どころである森の奥深くへと足を進めていた。
しばらく歩き続けると、ロイドの優れたエルフの視覚が、木々の隙間から漏れ出す「異変」を捉えた。
「……む?」
前方から、明らかに自然界には存在しない光が漏れている。
山火事ではない。炎特有のチラチラとした揺らぎが一切ないのだ。
魔獣の放つ光でもない。それはあまりにも安定しており、そして何より……。
「なんだ、あの色は……? 白い……? いや、白すぎるぞ……!」
ロイドはゴクリと喉を鳴らし、魔光石の杖を握り直して警戒しながら近づいていった。
やがて、鬱蒼とした茂みを抜けた彼の眼前に、信じられない光景が飛び込んできた。
そこは、森の中にぽっかりと空いた円形の広場だった。
結界が張られているためか、魔獣の気配は一切ない。
その広場の中心には、六角形の巨大な布が屋根のように張られており、その下に、すべての元凶が存在していた。
――カッ!!
「ぐああっ!?」
ロイドは咄嗟に両手で目を覆った。
タープを支えるポールの上部から吊り下げられた、小さな四角い箱型の物体。そこから、文字通り「暴力的」としか言いようのない、強烈な真っ白な光が放たれていたのだ。
それは、千秋が愛用している現代日本のキャンプギア。
最大出力『1000ルーメン』を誇る、大光量のメインLEDランタン(昼白色モード)である。
1000ルーメン。
現代の暗いキャンプ場ですら「直視すると眩しすぎる」と言われるほどの圧倒的な光量。それが、街灯一つない異世界の漆黒の森の中で点灯しているのだ。
その破壊力は凄まじかった。タープの下は、まるで真昼のオフィスのように煌々と照らし出され、地面の石の形や、落ち葉の葉脈の一本一本までもが、くっきりと鋭い影を落として見えている。
「な、なんだこれは……ッ! 目が……目が潰れる……!!」
暗闇に慣れきっていたエルフの繊細な網膜に、1000ルーメンの昼白色LEDの直射はあまりにも刺激が強すぎた。
ロイドは涙目で後ずさりしながら、薄目を開けて光源を観察しようとした。
(炎熱の気配はない……! 魔光石の類か!? いや、これほどの光量を放つ魔力結晶体など、王都の宝物庫にある『星の涙』クラスでなければあり得ない! それが、こんな野ざらしのテントに無造作に吊るされているだと!?)
ロイドの学者としての常識が、激しい音を立てて崩れ去っていく。
光魔法ではない。もし魔法であれば、空間にマナの揺らぎ(波紋のようなもの)が生じるはずだが、あの四角い箱からは、魔力の気配が「全く」と言っていいほど感じられないのだ。
魔力ゼロ。
燃料もゼロ。
なのに、真昼の太陽のような圧倒的な光を放ち続けている。
「……あり得ん。こんな物質、物理法則にも魔法法則にも反している……!」
ブツブツと譫言のように呟きながら、ロイドはふらふらと光に吸い寄せられるように結界の中へと足を踏み入れた。
完全に学究肌のスイッチが入り、周囲への警戒すら忘れて光源(LEDランタン)へと近づいていく。
その直下、煌々と照らし出されたタープの下では。
「あー、やっぱりこのランタン明るいわー。手元がめっちゃ見やすい」
愛用のローチェアに深く腰掛け、チタン製のマグカップでホットココアをすすりながら、千秋がのんびりと文庫本(ミステリー小説)を読んでいた。
週末の夜。夕食を終え、ジンツたち異世界の面々が街へ帰った後の、千秋にとって至福のソロタイムである。
本来、キャンプの夜は暗い方が雰囲気が出るのだが、読書をする時だけは別だ。千秋はメインランタンを最大光量に設定し、快適な「野外読書室」を作り上げていたのである。
「さてと、犯人は誰かな……」
千秋がページをめくろうとした、まさにその時。
「そこの貴様ぁぁぁっ!!」
「うわっ!?」
突如として、タープの横から銀髪の男が転がり込むように乱入してきた。
ロイドである。
彼は目を真っ赤に充血させ、眼鏡をズリ下げたまま、千秋に向かって魔光石の杖を突きつけた。
「き、貴様が噂の魔女か!? 答えろ! 頭上に浮かんでいるあの『超極大の光魔道具』は一体なんだ!!」
「……えっと、どちら様ですか?」
またしても現れた、いかにもファンタジーな出立ちの不審者。
千秋は本に栞を挟み、呆れたような、しかし少し慣れてしまったような溜息をついた。
ジンツ、サリサ、リネット、バルガス……毎週のように異世界の住人が釣られてやってくるが、今度はエルフである。しかも、やたらと理屈っぽそうで神経質そうなタイプだ。
「私の質問に答えろ! 私はオースの街で植物学の教授をしているロイドだ! あの光源からは一切の魔力が感じられない! それなのに、なぜこれほどの光を放つことができる!? 熱を持たず、煙を出さず、魔力も使わない光など、この世に存在していいはずがない!!」
「あー、うん。ロイドさんね」
千秋は立ち上がり、ポールに吊るしてあったLEDランタンに手を伸ばした。
カチッ、とボタンを押す。
すると、1000ルーメンの暴力的な昼白色の光が、一瞬にしてフワリと温かみのあるオレンジ色(暖色モード)に変わり、光量も十分の一程度にまで落ちた。
キャンプサイトが、急激に落ち着いた夜の雰囲気に戻る。
「ヒィッ!?」
ロイドは悲鳴を上げて飛び退いた。
「い、今、何をした!? 詠唱もせずに光の性質と出力を変化させただと!? しかも、直接あのアーティファクトに触れて……熱くないのか!?」
「熱くないよ。これ、LEDランタンだから。火じゃなくて、電気で光ってるだけだし」
「エル・イー・ディー……? デンキ……?」
未知の単語の羅列に、ロイドの耳がピクピクと激しく動いた。
千秋はランタンをポールから外し、ロイドの目の前にポンと突き出した。
「ほら、触ってみる? 全然熱くないでしょ」
「ひ、ヒィィッ! 馬鹿な真似をするな! もしそれが古代帝国の失われた遺物だった場合、適合者以外の魔力が少しでも触れれば大爆発を起こす可能性が……」
「だから爆発しないって。ほら」
千秋が強引にランタンをロイドの手に押し付ける。
「ああっ!」と叫びながらも、学者としての悲しい性か、ロイドは落とさないようにしっかりとそれを受け取ってしまった。
「……っ!」
ロイドは目を丸くした。
彼の手に収まった四角い箱型の道具は、金属と、見たこともない滑らかな素材(強化プラスチック)で構成されていた。
そして、千秋の言う通り、全く熱を持っていなかった。ほんのりと温かい程度だ。
これほどの光を放っているのに、燃焼していない。
そして、自身の持つエルフの魔力探知能力を限界まで引き上げても、やはりこの道具からは「マナ」の気配が完全に欠落している。
「魔力ゼロ……。本当に、全く魔力が通っていない……。純粋な物理現象だけで、この光を生み出しているというのか……?」
ロイドの手が、ガタガタと震え始めた。
魔力がないということは、つまり「誰でも使える」ということだ。魔法使いとしての才能や、高価な魔力結晶がなくても、これ一つあれば、真夜中を真昼のように照らし出すことができる。
これは、ファルマ大陸の根幹を成す「魔法」という概念そのものを根底から覆す、とんでもないオーパーツであった。
「信じられん……。デンキ、という未知のエネルギー……。一体どのような構造で、どのようにしてこの箱の中に光を封じ込めているのだ……!?」
ロイドはランタンを様々な角度から覗き込み、底面にあるスイッチや、USBの充電ポートのゴムカバーなどを指で撫で回し始めた。
その目は完全に血走り、呼吸は荒く、口からはブツブツと早口の推論が漏れ出している。
「導線? いや、魔力回路の代わりとなる金属の糸が張り巡らされているのか? しかしエネルギーの供給源がない! 空間から直接エーテルを抽出しているとでもいうのか……!?」
「あー、ごめん。ちょっといい?」
千秋が、興奮状態のロイドに冷静な声をかけた。
「それ自体には、エネルギーを生み出す力はないよ」
「なんだと?」
「光ってるのは、そこに繋がってる線から『デンキ』をもらってるから」
千秋はそう言って、LEDランタンの後ろから伸びている一本の黒いケーブル(USBケーブル)を指差した。
ロイドの視線が、そのケーブルをゆっくりと辿っていく。
ケーブルはタープのポールの下へと伸び、そして……アルミテーブルの下に置かれた、ひとつの『巨大な箱』に接続されていた。
「これ。この『ポータブル電源』から電気を送ってるの」
千秋がポンポンと叩いたのは、重さ十キロを超える、無骨な黒とオレンジ色のカラーリングが施された大容量リチウムイオンバッテリー(ポータブル電源)だった。
キャンパーが連泊する際や、冬場に電気毛布を使うための必須アイテム。現代科学のエネルギーの貯蔵庫である。
その、ディスプレイにバッテリー残量(85%)がデジタル表示されている謎の巨大な箱を見た瞬間。
エルフの学者ロイドの脳内で、ついに何かが決定的にプツンと弾け飛ぶ音がした。




