02 さようなら。私は私になりたいの
小さい頃から母に褒められたことなんか記憶にない。
言う通りにしなかったら罵られた。
口応えしたら殴られた。
あの人は、自分の夫にすらそうだった。
少しでも褒められたくて。
少しでも認められたくて。
勉強も頑張ってみたんだけど、でも 何をしても「できて当たり前」と言われた。
少しでもやる気になる言葉が欲しくて、「たまには褒めて欲しい」と言ってみたら、 こんな言葉が返ってきた。
「あなたの頑張ることなのに、なんで褒めないといけないの?」
わかってる。
そんなのわかってるよ。
だけど、そうじゃないんだ。
「あなたは私の言う通りにすればいい。そしたら間違えないから」
それはある意味ではあなたの愛情なんだろう。
でもね。
それで、私は本当に幸せになれるの?
今、日々の生活で困ることは無い。
それどころか、恵まれている方だろう。
でもね。
それがなんだって言うの?
私は、普通の、平凡な家庭でいい。
あなたの言う、「分かってない」家庭が良かった。
普通に褒められて、普通に怒られたかった。
綺麗な服よりも、豪華なランチよりも。
私は、贅沢なんだろうか?
経済的に不自由が無い人間の驕りなんだろうか?
私に自由なんてない。
私はあなたの操り人形じゃない。
私だって自分なりの意見も思いも、持っている。
例えあなたからすれば遠回りで間違いであっても。
進路も母の言われた通りに決められていく。
私は先生とそんな母の話を聞いているだけ。
でも、その先は?
私は一生あなたの顔色を窺いながら過ごさなければいけないの?
それは、生きているって言えるのだろうか?
けど、そうやって生きるしか術がない。
私は、あなたに逆らえない。
文字通り、そう「叩き込まれて」きたから。
それでも心の片隅にまだ燻ぶったものがある。でも、それに火を灯す術が分からない。いっそ心を凍らせたほうが楽じゃないのかとも思う。
宙ぶらりんのまま、そんなことばかり考えていたある日、いつの間にか私の机の上に1枚の名刺が置かれていた。
【あなたの記憶、買い取らせていただきます。】
何かに紛れ込んでいたんだろうか?
それとも誰かのイタズラだろうか?
「記憶を買い取る?」そんなことできっこない。
けど。
私はどうしても気になって、翌日カードに書かれていた連絡先に電話を入れてみた。
「ご連絡ありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
電話の向こうの男性の声は、冷たいような、温かいような、不思議な感じがする声だった。
私は話した。
最初は、少しずつ。
でも、そのうち止まらなくなった。
心の中に溜まっていたものは、こんなにあったのかと自分でも驚くくらいに。
時に涙が止まらなくなって何も喋れなくなったりもしたけれど、そんな私をその人はずっと黙って待ってくれて、話を聞いてくれた。
私は、「母に関する記憶」を売ることに決めた。
今まで「10%の捨てがたい記憶」が私を押し留めていたけれど、今しかこの呪縛から逃げる機会はないと思ったから。今しか火を灯せないと、そう思ったから。
数日後、また不意に一通の便箋が届いた。見慣れない蝋封がされた封筒には、魔法陣の透かしが入った紙と指示書が入っていた。私はその紙に母に関することを書き留め、指示書通りに川敷でそれを燃やした。その全てが燃え尽き、どんな仕組みなのか灰すら消えようようとした時、不意に頭の中にあの男性の声が響いてきた。
「────この度はご利用ありがとうございました。貴方様の未来が光り輝くものでありますように────」
慌てて辺りを見回してみたけど、そこには誰もいなかった。
代わりに、いつの間にか地面に置かれていたバックには、さっき聞こえてきた言葉が書かれたカードと、これからの学費や生活費が4~5年は賄えそうな大金が入っていた。
私には母に関する記憶がない。
残っているのは「母がいた」という感覚と、それが物凄く負担だったという思い。心を締め付け、のしかかっていた感覚は、今はない。
私は身の回りの物を詰め込んだトランクを持って街を後にした。
「さようなら、お母さんだった人───」
初めて感じる「自由」を胸いっぱいに吸い込んで、足どり軽く、前へ。




