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名前も存在もない俺だけが、世界を書き換えられる件 ―観測されない男は、すべての記録を上書きする  作者: 空城ライド


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第22話 お前、誰だ

 何かが、ズレている。


 それは戦いの疲労とは違う。


 もっと静かで、もっと確実な違和感だった。


「アーカス、大丈夫ですか?」


 声がする。


 近い。


 聞き慣れているはずの声。


「……ああ」


 少しだけ遅れて、答える。


 自分でも、その“遅れ”が気になった。


「顔色、悪いですよ」

「問題ない」


 そう言いながら、呼吸を整える。


 体は動く。


 意識もはっきりしている。


 なのに。


 何かが抜けている。


「……ほんとに?」

 声の主が、もう一歩近づく。


 目の前に立つ。


 見覚えのある顔。


 ……あるはずの顔。


「……」


 名前が、出てこない。


 一瞬の沈黙。


「どうしました?」

 そいつが首を傾げる。


「……いや」


 ごまかすように視線を外す。


「さっきの戦い、すごかったです」


「……さっき?」


 言葉が出た瞬間、また引っかかる。


 さっき。


 戦い。


 ……ああ、白外套。


 思い出せる。


 そこは問題ない。


「今の戦いですよ」

 そいつが言う。


「……ああ」


 また、少し遅れる。


 自分の中で何かを探しているような感覚。


「……?」


 そいつの表情が、わずかに曇る。


「……あの」


 少し間を置いて、そいつが言う。


「俺の名前、覚えてますよね?」


 その一言で、時間が止まった。


「……」


 探す。


 思い出す。


 この顔。


 この声。


 この距離。


 ずっと一緒にいたはずの――


「……」


 何も出てこない。


 空白。


 ただの空白。


「……」


 沈黙が、長くなる。


 そいつの顔が、少しずつ変わっていく。


 不安。


 疑念。


 そして。


「……覚えて、ないんですか」


 その声は、わずかに震えていた。


「……」


 答えられない。


 誤魔化せない。


 わかってしまったから。


 これは。


 ただの違和感じゃない。


「……お前」


 口を開く。


 言葉が重い。


「……誰だ」


 その瞬間。


 空気が、完全に止まった。


「……は?」


 小さく、崩れるような声。


「……冗談、ですよね」


 笑おうとする。


 だが、笑えていない。


「……いや」


 俺は首を振る。


「……わからない」


 その一言で、すべてが壊れた。


「……っ」


 そいつが、一歩下がる。


「……ミハイルだ」


 ゆっくりと、言う。


「俺は、ミハイルです」


「……」


 名前を聞く。


 だが。


 その音が、意味を持たない。


「……」


 何も繋がらない。


「……そうか」


 それしか言えなかった。


「……そうか、じゃないですよ!」


 ミハイルが叫ぶ。


 初めて、はっきりと怒りが見えた。


「何言ってるんですか!」


「……」


 答えられない。


 言葉が、浮かばない。


 ただ。


 わかっている。


 これが。


 代償だ。


「……それ」


 リゼが、静かに口を開く。


「始まったね」


 その声は、いつも通りだった。


「……何がだ」

 カイが低く聞く。


「代償」


 短い一言。


「存在の構成要素が削れてる」


「……構成要素?」

 カイが眉をひそめる。


「記憶、認識、感情」


 淡々と、並べる。


「順番はバラバラだけど、確実に減る」


「……おい」


 カイが俺を見る。


「どこまで削れてる」


「……わからない」


 正直に答える。


「……だが」


 ミハイルを見る。


「こいつのことは、思い出せない」


「……っ」


 ミハイルが、言葉を失う。


「……他は?」

 カイが聞く。


「戦いは覚えてる」

「なら、まだ軽いか」


 軽い。


 それで済む話じゃない。


「……どうする」

 カイが言う。


「このまま続けるのか」


 当然の問いだ。


 ここで止まるか。


 それとも。


「……」


 少しだけ、考える。


 名前。


 関係。


 それが消える。


 次は何だ。


 思考か。


 感情か。


 それでも。


「……問題ない」


 口に出す。


「は?」


 ミハイルが顔を上げる。


「問題あるに決まってるじゃないですか!」


「……そうかもしれない」


 否定はしない。


 だが。


「覚えてなくても」


 言葉を続ける。


「やることは変わらない」


「……」


 ミハイルが、固まる。


「……変わるよ」


 小さく言う。


「変わりますよ」


 その声は、怒りじゃない。


 もっと重いものだった。


「……」


 言葉が出ない。


 だが。


 足は止まらない。


「……やめろって言ってるんです」


「……できない」


 即答だった。


「なんでですか!」


「……」


 理由。


 考える。


 なぜ続ける。


 なぜ止まらない。


 答えは。


「……決めたからだ」


 それだけだった。


「……は?」


「ここまで来るって、決めた」


 それだけで十分だった。


「……」


 ミハイルが何も言えなくなる。


 リゼが、小さく笑う。


「……壊れてるね」


「最初からだろ」


 軽く返す。


 だが。


 それも、本当かどうかわからない。


 “最初”が、曖昧だから。


「……ほんとに行くのか」

 カイが言う。


「ああ」


 迷いはない。


 もう。


 考えても意味がない。


「……」


 ミハイルが俯く。


 何も言わない。


 言えない。


「……行くぞ」


 俺は言う。


 足を動かす。


 その瞬間。


「……アーカス」


 ミハイルが、呼ぶ。


 その名前を。


 俺は。


「……ああ」


 短く答える。


 だが。


 その音が。


 少しだけ、遠かった。

読んでいただきありがとうございます。


“代償”が、はっきりと形になりました。

ここから先は、戻れません。


続きが気になったら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

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