八話 歪んだ ②
そろそろ文化祭も終わりに近付いた15時半過ぎ、文化祭終了三十分前の放送がスピーカーから流れる中、売り切れが早々に出た露店の生徒たちは、慌ただしく屋台を片付け始め、後夜祭の準備に向かっていた。
俺が後夜祭のキャンプファイヤーの準備を手伝い、しばらくたった頃、宮本武蔵の格好をした幸宮が俺の元に走ってくる。
「え? 幸宮、その格好……」
「あ、あぁ。急いでたから……」
腰に添えた木刀から左手を離すと、髪を耳に掻きあげ、ハァハァと膝を折りながら、幸宮は俺を上目遣いで見上げた。
「あ、木刀。ありがとう」
左腰と右手の両方に木刀を持っていた幸宮は、その内の右手の一本を俺に差し出す。俺は自身の木刀を受け取ると、自分の指に馴染んだ感覚を思い出すようにそれを握り締めた。ほんの数分ほどしか劇は観れなかったが、幸宮の圧巻の剣技は、今も脳裏に焼き付いている。
一本500グラムはあろうことかというそれを、二本同時に、しかも片手ずつ軽々と捌く様は、流石という他にない。
「幸宮、さっきの劇、格好良かったよ」
腰のベルトの隙間に木刀を収めながら、自然と言葉が出ていた。
まあ、セリフの演技はあれだったけど……。
「見、見たのか? 二刀流は上手くこなせないから見せたくはなかったのだが……」
「え? そっち?」
「へ?」
瞬間、キャンプファイアーの準備に追われる雑踏の声が、俺たちの間を駆け抜けた。
忙しなく人の行き交う様を見ていると、不意に幸宮が、俺の服の裾を掴んだ。
「浅羽、もう、後夜祭だろ? だから、その……」
言葉に詰まりながらもじもじと、右手で自身の左肘辺りを擦り、幸宮はふと視線を俺へと向けた。
「良かったら私と一緒に居てくれないか?」
「え? それって……」
俺が言葉の意味を聞こうとした瞬間、
「あ! しょうちゃんいた!」
二人の間に流れていたなんとも甘い静寂の時が、高い声によって遮られた。
「優希」
体育館の方から優希が慌てた様子で駆けてくる。
今まで忙し過ぎて、優希と手分けして文化祭に対応していたが、ようやく優希も一息ついたのだろうか。もう後はキャンプファイアーだけだしな。
優希は肩で息をし、その息を整える暇もなく言った。
「しょ、しょうちゃん……私と一緒に……って、あれ? 幸宮さん?」
俺の後ろに幸宮の姿を見つけるや否や、優希はハッと顔を停止させた。
「す、鈴原……」
「も、もしかして幸宮さんも、しょうちゃんと……」
目を合わせ、途端に二人の間に気まずいような沈黙が流れる。
幸宮と優希の間に挟まれた俺は、二人の絶妙な空気感に、ただ黙って、お互いの顔を見比べることしかできない。
ど、どうすりゃいいんだ? まさかの俺を巡ってハーレム展開!? ……って、んなわけないか……。
俺がそんなアホなことを思っていると、一人の子供が目に入る。
あれ? 迷子かな? もう一般の客は帰る時間なのに。俺はキョロキョロと辺りを見回したが、親らしき人は見当たらなかった。
俺はその少年に近付き、少し目線を落とした。
「君、どうしたの? 迷子かな?」
見たところ七、八歳くらいの──あれ? この子何処かで──
「どうした浅羽?」
「あ、この子迷子みたいで……」
幸宮を振り返り、俺は再び少年に目を向ける。
すると、少年は急ににやっと笑い──
「ボク、おねえちゃんに決めた!」
と、いきなり幸宮に抱きついた。
「は?」
何だこのガキ! あろうことか幸宮の細腰に──!
幸宮は袴を膝裏へ巻き込むと、立て膝で少年と目を合わせる。
「どうした?」
幸宮が優しげに微笑んだ後、少年は手を幸宮の首元に持っていった。
「これでおねえちゃんに褒めてもらえる!」
言うや否や、幸宮からバッと離れ、少年はにこやかに両手を広げた。徐々に黄色味を帯びていく太陽が、不思議と少年の顔に半影を宿した。
かと思うと、幸宮の様子が何処かおかしい。
手を前にだらりと下げ、肩からは力が抜けたように背中を丸めていた。
「幸宮?」
呼び掛けるも、返事はなく、目は妙に虚ろげで、瞳からは光が完全に消えていた。
と、その時。
──ガリッ!!
幸宮の右手から放たれた木刀が、素早く真横を横切り、俺の耳をかすった。
「へ?」
──何が起こったのか。
かすった耳元から、時間差でたらりと血が落ちる。熱を持った耳と、首に滴り落ちてくる妙に冷たい血の感覚が、俺の頭をフリーズさせた。
「しょうちゃん!」
後ろの優希が悲鳴のような声を上げるが、俺は目の前の幸宮から視線を外せずにいた。
「ゆ、幸宮?」
「…………」
ダメだ、返事がない。
完全に正気を失っているにもかかわらず、眼光はイヤに鋭くて、目には殺気のような気配が漂っている。幸宮は更に両手で木刀を握り直した。
やるしかないのか……。
俺は腰の木刀を手に取り、幸宮の前へと構えた。ジリジリと間合いを計りながら、すり足が校庭の砂埃を撒き上げていく。目の前には木刀を構える幸宮。微塵も隙が見当たらない。
──と、次の瞬間、木刀の先が僅かに揺れ動き、瞬時に間合いを詰められる。咄嗟に木刀で受け止めるも、強い衝撃が俺の両手をビリビリと撃ち抜いた。
堰を切ったように凄まじい木刀の強襲が俺を襲う。
木と木の激しいぶつかり合う音が辺りに鳴り響いていた。
「ちょ、幸宮!」
呼びかけるも、やはり返事などなく、木刀を繰り出されては、斜めに受け流す。そうして、凄い力で木刀の猛攻が迫る中、俺は次第に押されていった。
「ゆ、幸宮……」
どうしたんだ? あの子供に触られてから……。
幸宮の後ろにチラリと見えた、静かに怪しく微笑む少年。色素の薄い、少し天パがかった栗毛色の髪が、赤い夕日に燃えていた。
──あの子供! 放火現場にいた!
「アッハハ!! どう? すごいでしょ?! おねえちゃんがくれたんだ!」
悪意の籠ったような笑い声でそう叫ぶと、少年は手に持った謎の蜘蛛を見せ、嬉しそうに高笑いした。
「何でこんな……」
困惑気味に呟くも、少年からの返事はない。代わりに、幸宮の木刀の力が強くなっていく。
木刀から火花が出るのではないかと思うほど、木と木が擦れ合い、手に熱が伝わってくるように感じた。
「何だ? 何だ?」
次第に周りも異変を察知し始める。片付けの準備を中断し、野次馬が何事かと集まり、ポカンとした表情を浮かべていた。
「喧嘩か?」
「パフォーマンスだろ? 今年は運営やる気だなぁ~」
幸宮の服装に勘違いした呑気な見物客が増えていく。だが、俺はそれどころではなく、必死に幸宮と格闘していた。
ぶつかり合う木刀。本気の幸宮。これ当たったら大怪我じゃすまない!
早く幸宮を正気に戻さなければ。
でも、どうする……。
幸宮を叩く? ダメだ! そんなこと出来ない! 隙なく打ち込んでくる幸宮に、俺が一発入れられるとも思えないし……。となると、誰か助けを呼ぶしか……。
そう考えている間も、幸宮は木刀を更に押し込んできた。細腕に込められた力が、両者の木刀をしならせている。
倒れそうなほどの強い押し込みが、全身へと駆け抜けていく。
幸宮の生気の抜けたような顔が、間近まで迫っていた。
──その時。
幸宮の首元に何かが蠢いているのが見えた。
──蜘蛛っ!?
そうか、この蜘蛛が幸宮を──
しかし、気付いたところで、擦れ合う木刀を離すわけにはいかない。
その瞬間に俺の頭がかち割られる!
「幸宮……っ」
俺の口から漏れ出でたのは、か細く掠れた声だった。
もう助けも叫べないほど、肺の中の酸素が悲鳴を上げている。
──その時。
白銀の髪が俺の目の端を横切った。
木刀を瞬時に抜き放つと、神井さんは見えないような剣捌きで、幸宮の首元にいた蜘蛛だけを潰す。そうして、神井さんは幸宮に一つの傷もつけることなく救い出した。
途端に幸宮は、糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちた。
「幸宮!」
咄嗟に倒れ込む幸宮を抱きかかえ、俺はその場に膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。
「……あ、さば……」
力なく腕をだらんと垂らし、弱々しく息をする弛緩した顔が目に飛び込んでくる。先程の死闘の後遺症なのか、冷たくなった彼女の指先が、微かに震えていた。




