六話 海から呼ぶ声 ⑤
「幸宮さーん! シャワー開いたよ」
起き上がった所で、ちょうど優希の呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。着替えも終わり、ワンピースに身を包んだ優希がこちらに駆け寄ってくる。
「ああ」
幸宮さんは振り返り様に立ち上がると、パンパンと足の砂を払った。
「じゃあな浅羽」
夕日の照り返しのせいか、去り際に見た幸宮さんの顔がやけに赤く染まって見えた。
優希はすれ違いざまに、シャワー室へと走っていく幸宮さんを横目で追うと、俺の顔を下から覗き込んだ。
「ねえ、しょうちゃん。幸宮さんと何の話してたの?」
「え?」
「幸宮さん、やけに顔が赤かったけど」
「ゆ、夕日のせいだろ」
先程の膝枕のことなど、優希には到底言えるはずもない。
俺が恥ずか死ぬ──!
口元を手の甲で隠し、少し吃りながら言うと、優希は肩を竦めた後、僅かに嘆息した。
「まぁ、いくら幼なじみでも、言えないことくらいあるよね……」
「ご、ごめん……」
目の前の小さな優希が、いつも以上に小さく見え、何だか寂しそうで、俺は理由も分からず、胸がギュッと締め付けられた。
「その代わり、私と約束して」
「え?」
優希は胸の辺りでキュッと拳を握った。うつむき加減だった顔を上げ、途端に真剣な眼差しで俺を射貫いてくる。
「もう二度と嘘は吐かないって。言えなくていい。その時は言えないって言ってくれればいいから。でも、私、嘘だけは吐かれたくないんだ。とくに、しょうちゃんには……」
ポツポツと喋る優希は、けれど、深刻な雰囲気で足元の砂に爪先を埋める。
「あ、あぁ分かった。約束する」
理由は分からないけど、この約束は絶対だ。そんな気が俺の中でした。
──約束。俺はその二文字を胸に刻んだ。
「ああ~ゴホン。青春してるとこ悪いのだが──」
「!!」
ヨウコ先生が突如真横から現れ、俺たちは肩を跳ね上がらせた。
本当に間が悪いキツネだな。すると、ヨウコ先生は苦笑い気味に頬をポリポリと掻き────
「ええ!? 帰れなくなった!?」
素っ頓狂にも声を張り上げ、俺は目を見開き、ヨウコ先生を凝視した。
「そうは言っとらんが。わしは元々休暇目的で来とる。だから酒を呑んでいた」
「いや、いつも呑んでるじゃん」
「そこで代わりの運転手が要ると思い、わしは神井桜火にお願いしたのだ。下げたくもない頭を下げて」
そこまでして呑みたいんだ……。
「勿論、神井はごねた。免許取り立ての身で、長時間運転は嫌だと」
だから神井さん、何か機嫌悪そうだったのか。いや、機嫌の良い神井さんなんて見たこともないけど。
「だが、わしは頑張った! 頑張って頭を下げ続けた! 土下座もした! すると神井の奴はとうとう折れて、運転してくれるという」
妖狐の矜持とやらはこのキツネにはないのかもしれない。
でもかろうじて法律は守ってるところが、何ともいじらしいというか……意地汚いというか……。
「ところがだ! 神井の奴! 海の中に免許証を落としたのだ!」
「え、それって……」
すると、何処からともなく神井さんが現れ、続きを説明した。眉間に思いっきりシワを寄せて。
「誰かさんを悪霊から助けたせいでな」
「やっぱり俺のせいですか!?」
思いっきり眉をひん曲げている神井さんに俺が目を剥いていると、横からヨウコ先生が呆れたように、神井さんの上着の裾をつまんだ。
「免許証を上着のポケットに入れたまま潜ったせいだろ」
「え? それって実質、神井さんのうっかりが原因じゃ──」
ギロッと睨む神井さん。その後、鋭い溜め息とともに、ヨウコ先生の手を払うと、神井さんは刺のような声を絞り出した。
「私は元々海に入る予定など無かったんだ。それが、誰かさんのせいで、上着を脱ぐ暇もなく、飛び込まざるをえなかった。その結果、チャックが壊れ、免許証は海の底だ。誰かさんのせいでな───!」
顔面の圧でこれでもかと、鼻と鼻の先がぶつかるかと思うほど、神井さんは俺を至近距離で睨み据えた。
「は、はい……すみませんでした……」
俺の頬から汗がたらりと落ちる。一歩言葉を間違えれば、木刀が頭上から飛んできそうだ。
「そういえば神井さん、中西は……」
「あの馬鹿なら、強制的に親元に返した。椿の写真のデータを消させた後でな」
憐れだな中西……。
「そんなことより今は、この後どうするかの方が先決だ」
神井さんが溜め息混じりに前髪を掻き上げると、皆から沈黙が流れる。
そこへ、着替えを終えた幸宮さんが合流し、はてな顔で皆の顔を覗き見た。
そのうち、悩みに悩んだ末のような深い嘆息が、ヨウコ先生から漏れ出た。
「はぁ……仕方ない。これだけは使いたくなかったが……」
ガクッと肩を落とし、ヨウコ先生はその巨大な体を、これでもかと、低く項垂れさせる。
「霊力で体のアルコールを飛ばすしかないのぅ」
「そんなこと出来るんですか!? じゃあ今までだってキツネの姿にならなくても良かったんじゃ──」
「たわけが! 折角、気持ち良くアルコールが入って、気分が良いのに、そんな勿体無いこと出来るわけ無かろう!」
食い入るように目を見開き、俺を鋭くガン見するヨウコ先生は、酒に狂ったアル中の目をしていた。
「あ、そうですか……」
思わず目が点になる。
最終的に俺たちは、ワンボックスカーの中で、ヨウコ先生の愚痴を延々と聞かされ、おまけに後ろの席の神井さんから、助手席にいる俺は睨まれ続けた。
何故この席順になったのか、それはただ単に、助手席で席を倒して横になった方が良いというヨウコ先生なりの配慮だったのだが、逆に先生の愚痴を真横で嫌味ったらしく聞かされる羽目になるとは。
おかげで疲れているのに眠れもせず、俺は倒れた席から、先程から静かな後部座席を見遣った。
一番後ろの後部座席では、椿さん、ゆかりちゃん、優希が仲良く身を寄せ合い、いつの間にかすやすやと眠っていた。
真ん中の席に座っている幸宮さんも、窓枠に肘をかけてうとうととしている。
──ただ、倒れた隙間からこちらを覗く神井さんからのプレッシャーが、俺の背中をいつまでも突き刺していた。
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