五話 守りたかったモノは ⑧
妖狐の背中に乗った優希は、終始、青白い顔で乗っていた。
高度何メートルかも分からない、中空に放り出された感覚は、安全装置無しのジェットコースター。
しかも、妖狐は慌てているのか、荒い運転の上に、トップスピードで空を駆ける。
風を感じる暇などなく、俺たちは目も口も開けられぬほど、妖狐の毛にしがみつくしかなかった。
家の近くの人影の居ない、薄暗い公園で変身を解くヨウコ先生。
ふらふらと足元がおぼつかぬまま、優希は目眩を起こし、その場で地面に座り込んだ。
「大丈夫か? 優希?」
「もう、何なの……? 私、理解が追い付かないよ……」
青白い顔のまま、自分に何が起こったのか、右手で頭を抱える優希。そんな様子を見、幸宮さんは心配そうに優希の肩に手を置く。
「何をしておる! 急ぐぞ!」
傍若無人で自分のことしか考えてないヨウコ先生は、足早に自分だけ優希の家へと向かおうとする。
これで養護教諭というから驚きである。
仕方なく、優希を肩に抱え、早歩きで歩くヨウコ先生についていった。
優希の家が見えてくると、優希の母親と俺の母が、玄関で何やら会話をしている。
優希はふらふらになりながらも、自分の母親に駆け寄った。
「お母さん!」
「優希!」
二人して抱き合う。それを見て、感化されたのか分からんが、俺も母の元へと駆け寄った。すると。
ゴン!
「いでっ!」
鋭い鉄拳が俺の頭を直撃した。
「何で殴るんだよ!」
優希の母親とは雲泥の差だな……。
「お前は! 心配かけよってからに……」
心配とは程遠い、眉間にシワを寄せ、困り眉で俺をじっと見ていた。
ふと、母の体越しに幸宮さんの顔を見ると、彼女は明後日の方を向き、肩を震わせ、笑いをこらえている。
(──わ、笑われた!)
「ま、まあ……無事に届けたんだ。これでわしの役目は……」
感動の再会(?)を見届けたヨウコ先生は、すぐさまその場から逃げようと、踵を返した。
「ちょっと待って下さい」
冷たい声がヨウコ先生の耳を貫く。
優希の母親がヨウコ先生をじっと睨んでいた。
「あなた先生としてそれはないんじゃないですか?」
ヨウコ先生を見据え、優希の母親は優しそうな雰囲気とは裏腹に、冷たく言い放った。
「説明して下さい……でないと……」
静かに淡々と、冷徹なまでに母親はその仮面のような顔を突き付ける。ヨウコ先生は次の言葉を待つように、ごくっと息を飲んだ。
「保護者会で問題にしますよ?」
「ほ、保護者会……!」
途端にヨウコ先生がギョっと目を見開く。その最終兵器を突き付けられては、教師としては立つ瀬がない。
それは勘弁してくれと、ヨウコ先生が懇願するように両手を合わせて必死に拝んでいる。
優希の母親とヨウコ先生の押し問答が続く中、幸宮さんと目が合った。彼女は呆れたように肩を竦め、口元に諦め混じりの微笑を称えている。優希の方はというと、母親の右腕を握りしめ、もうやめてよと、恥ずかしそうに呟いていた。
ようやく話の決着がついたのか、優希の母親から、溜め息のような吐息が漏れた。
「はぁ……。今回は問題にはしません。でももしまた連絡もなしに娘を振り回すことがあれば、次はありませんよ?」
腕を組み、渋面で優希の母親は、ヨウコ先生を鋭く睨み付けた。
ヨウコ先生は、やっと解放されるといったような緊張感の抜けた顔でへなっと笑った。
「で、ではわしはこの辺で……」
そそくさと逃げるようにすると、
「行くぞ美耶子っ」
と、幸宮さんの腕をガシッと掴んだ。
「え? ヨウコ、私はまだ……」
幸宮さんが何かを言うが、ヨウコ先生の馬鹿力には敵わず、引きずられるようにして、既に10メートルほど先まで行ってしまう。
俺は、そんな彼女の背中を遠目で見ながら、
「あ、幸宮さん、お疲れっ」
と、手を上げた。しかし、大した反応もなく、彼女たちは見えなくなってしまった。
優希の母親がふぅっと、肩の荷を下ろすように溜め息を吐くと、俺と俺の母親の方に疲れきった笑顔を向ける。
「浅羽さん」
優希の母親は、一呼吸置いた後、
「今日はすみませんでした」
と、深々と頭を下げた。その様子にうちの母親も、恐縮したように腰をくの字に曲げた。
「いやいや! うちの馬鹿息子が優希ちゃんにとんだ迷惑をかけたみたいで! 優希ちゃんには散々世話になってるってのに! この馬鹿息子は!」
そう言いながら、俺は首がもげそうな程の力で強制的にお辞儀をさせられ、頭をガシガシと掻きまわされた。
笑いながら母親ムーヴをかますその人を、俺は横目で一睨みする。
しかし残念ながら抵抗する勇気はなく、されるがままになるのだった。
「今日はありがとうございました」
優希の母親が、もう一度深くお辞儀をすると、母も一拍置いてお辞儀をする。
徐々に自宅の玄関へと移動しながら、更に二回程母親同士でお辞儀をすると、優希がふんわりとした空気を身に纏い、こちらに視線を向けた。
「じゃあね、しょうちゃん……また」
「あ、あぁ、またな、優希……」
手を上げ、ほんのりと頬を染めて、照れ笑いをしながら優希は家に入っていった。
俺と母も、自宅の玄関に入ると、母はその場でニヤニヤと口角を上げ、気味の悪い笑みを俺に向ける。
「それにしてもあんたよかったじゃん」
「何が?」
「優希ちゃんと仲直り出来たんだろ?」
「──っ!」
先程の甘酸っぱいやり取りを揶揄され、俺は一瞬気を失いかけた。
「あんないい子居ないんだから、手ぇ離すなよ」
「ま、まあ……優希がいい子なのは認めるけど……」
「あれぇ? もしかして、本命美耶子ちゃんだった?」
からかい気味に含んだ笑いに嫌気が差し、母の顔を目の前からどかした。
「もう、うるさいなぁ! そんなこと考えたこともないっての!」
俺はリビングのソファーにドカッと座り、乱暴にテレビをつけた。
何気なくつけたチャンネルでは、ニュースキャスターが連続放火魔の事件を扱っていた。六月から続いているこの事件は、既に五件目に突入したということだ。
これもツキビトの仕業か? なんて思いつつも、イヤイヤ、ただのゴミ捨て場や空き家にツキビトが何の用があるんだ。それにツキビトの仕業だとしたら、既に慶子さんら、雨夜ノ月のみんなが解決しているはずだし……。と、思い直し、俺は自嘲気味に笑った。
母はダイニングテーブルの椅子に座り、そんな俺の様子を見ながら、タバコに火をシャッとつけると、ふぅと一息吐いた後、
「祥太郎。仲直り出来て機嫌いいとこ悪いんだけど、あんた私に渡すもんあったよね?」
「は? 何もないけど?」
「ほら、“1”とか“2”とか、“3”とか書いてあるヤツ! 流石に“5”は期待してないけどさぁ~」
そう言って、催促するように、右手の平を上に向けて、クイクイっと動かした。
「──!」
忘れてた!
「つうか…、見るの……?」
「当たり前だろ? まあ、私の子だから、別に期待はしとらんけど……」
苦笑し、眉を下げて、母はタバコを灰皿にポンと乗せた。
「っていうか、素直に通知表って言えよな……」
ぶつぶつ独り言を言うも、俺はリュックに仕舞いっぱなしにしていた通知表を母に渡し、テーブルの椅子に座った。
通知表を流し目で見ながら、母は思い出したように呟く。
「あ、そうだ祥太郎。──私、また明日から海外だから」
「え?!」
「休暇はもう終わりっ。仕事に戻らなきゃ」
「そ、そう」
見終わった通知表を雑にポイっとテーブルに投げると、母は再びタバコを咥え、フッと空中に白い息を吐く。
「何だ? 寂しいのか?」
母はニヤニヤと冗談めかして笑う。流石に立て続けにからかってくる母に、俺はうんざりした。
「いや、漸く臭いタバコのニオイと離れられると思うと、嬉しい限りだね」
「何だよ。誠太さんは好きだったのに……」
「服にニオイがつくのが嫌なんだよ! 俺が吸ってるって先生に疑われるだろ?」
「ま、お前は父親とは違うもんな」
煙をフッと空中に一息で吹ききった後、母は火を灰皿に押し付けて消した。
次の日、母は本当に海外に行ってしまった。俺が寝ている間に。
テーブルの上には、昨日までなかったコーヒーのこぼれたようなシミがあった。
俺は溜め息を吐きながらそれを拭くと、不意に顔を上げる。
がらんとした家には、母の吸っていたタバコのニオイが、まだ僅かにこびりついていた。




