五話 守りたかったモノは ⑦
「はい。麦茶」
加賀美は自分で淹れた麦茶を優希の前に置いた。
「……ぁ……ありがとうございます……」
優希は長机の真ん中に座らされ、気まずい雰囲気で周りを見回す。
皆は特に気にも留めていないようで、それぞれ談笑していた。
テーブルの上に備え付けられた麦茶のポットから、氷のカランという涼しげな音が、周りの喋り声にかき消されていた。
俺と幸宮さんは優希を守るように両隣の席についた。
「そんな警戒しなくても。僕ってそんなに誤解されやすいかなぁ……」
ポリポリと頬をかき、何を考えているか分からない笑顔で、加賀美は優希の顔を見やる。
「優希ちゃんはさ。幽霊とかどう思う?」
「は?」
「いや~正直怖いだろうねぇ~、うんうん分かるよ~」
意味もなく頷く加賀美。何が言いたいんだ? こいつは?
「ぶっちゃけて言うとね、幽霊とかツキビトとか、普通の人間には、あんまり関係ない話なんだよね」
言いながら、加賀美は、逆さに置いてあったコップを手に取ると、俺と幸宮さんにも麦茶を注いだ。
「何故かって言うと、みんな知らないから。今まで生きてきてそんな話、聞いたことないでしょ? それこそ噂や迷信の類い。事件や事故だって、人間が起こしてる──そう割り切ってしまえば、僕らの仕事なんてあって無いようなものだし……でもね」
加賀美は、一度遮ると、両手の指を絡めるように握った。
「それでも僕らはツキビトと戦い続ける。──慶子さんのためにも、ね」
──慶子さんのため?
「結局、僕が何を言いたいのかというと~、優希ちゃんにはこれからも普通に生活して欲しいわけで……あ、僕たちのことは内緒でね」
加賀美は真剣な眼差しから、いつもの底知れない笑みへと途端に変わった。口に人差し指を立て、眉尻を下げる姿は、何処か優しげでもあり、それでいて忠告的でもあった。
「あ、はぁ……分かりました」
分かったような、分からんような……。結局、加賀美はそれを言いたかっただけか?
優希は優希で、加賀美の顔色を窺いながら、釈然としないまま、返事をしていた。
俺も訝しみながらも、麦茶を一口飲んでいると、一人、部屋の奥で静かに座っていた神井さんが、こちらを見計らったように突然ポツリと呟く。
「──悪かったな」
「え?」
「別に怯えさすつもりはなかった。ただ、私が組織のことを思っての発言だったことは分かって欲しい」
不遜な表情を崩さず、神井さんはこちらを見向きもしないで告げる。
「兄さんっ。謝るのにその態度はないんじゃないの?」
先程まで慶子さんらと談笑していた椿さんだったが、見兼ねて、神井さんの隣に座ると、からかうようにいたずらな笑みを浮かべた。その時、突然縁側沿いの障子が開いた。
「大変だ!」
今まで電話をしていたヨウコ先生が、スマホを左手に握ったまま、血相を変え、部屋に飛び込んで来る。
「今、鈴原優希の母親と話してたんだが、あやつ全然話が通じん! 挙げ句の果てに警察まで呼ぶなどと抜かしおって──」
「大変じゃないですか!」
「だから今すぐ帰らないと、えらいことに!」
ヨウコ先生は頭を抱えながら、慌てた様子で顔を白く歪ませた。
そして、何を思ったのか、
「ええい! こうなったら、わしが送ってやる!」
そう言うや否や、開きっぱなしの障子から縁側へと飛び出し、庭の真ん中で狐の姿に変身した。
「ちょ、ヨウコ!」
「ヨウコ先生! 優希の前でその姿は……」
慌てたヨウコ先生は、完全に妖狐の姿で庭に降り立った。巨大な狐の姿は、月の光に照らされて、妖しくも優美に輝く。
突然の出来事で、俺と幸宮さんもその場に立ち尽くすしかなかった。
「え? ヨウコ、先生……?」
ヨウコ先生の正体を間近で見た優希は、体を凝固させ、その、ファンタジー世界から飛び出たような生き物から、1ミリも目を離せずにいる。
完全に言い逃れが出来ないほど、完璧に見られてしまった。
その様子を見、皆が一斉に庭へと集まった。
「あちゃー、やっちゃった。これだけは知られたくなかったのに……」
加賀美が自身の髪の毛をくしゃっと掴み、困り眉でヨウコ先生を見据えた。慶子さんは諦めたように溜め息を吐き、ゆかりちゃんは相変わらずおろおろしている。
「ちっ、バカギツネがっ」
神井さんは腕を組んで思いっきり眉間に皺を寄せ、椿さんは、
「ヨウコちゃん……やっちゃったね」
と、苦笑いを浮かべていた。
〖ええいうるさいわ! 今はそれどころではない! わしの教師生命に関わる一大事なのだ! さっさと乗れ!〗
妖狐は口吻で、驚きで固まっていた優希の襟首を咥えあげると、ポイっと背中に放り投げた。
「きゃ!」
ポスッと座るように着地させられ、優希は丸くした目で数回瞬きをした。
「乱雑に扱うな」
呆れながらヨウコ先生に苦言を呈すと、幸宮さんはサッと、慣れたようにヨウコ先生の背中に乗り、俺に手を差し出してきた。
「ほら、行くぞ浅羽」
「あ、ありがとう……」
俺たちは妖狐の背中に乗り、皆に見送られながら屋敷を後にした。




