五話 守りたかったモノは ③
「やったね! ゆかりちゃん!」
椿さんとゆかりちゃんが喜びのあまりハイタッチをした。その後、ゆかりちゃんが俺の方にぴょこぴょこと寄ってきて、倒れている俺の側で腰を下ろした。
『大丈夫ですか?』
胸の辺りでミニのスケッチブックを掲げ、ゆかりちゃんは頬を染める。
「え、えっと…」
俺はその様子に困惑し、椿さんを仰ぎ見た。
「──ゆかりちゃんは喋れないんだ。小さい頃、ツキビトの瘴気に当てられて……」
「そうだったんだ……」
「耳は聞こえるから、喋りかけても平気だよ」
「そうなんだ。ありがとうゆかりちゃん。大丈夫だよ。強いんだね」
俺が優希の膝から静かに起き上がってそう言うと、ゆかりちゃんは恥ずかしいのか、スケッチブックで顔を半分隠した。ページをぱらぱらと戻すように捲り、ゆかりちゃんは再びそれを顔の前に掲げる。
『私は、花籠ゆかりです。よろしくお願いします』
最初から書かれていた自己紹介文なのか、スケッチブックの1ページ目にそれは書かれていた。
「うん、よろしく」
それにしてもこんな小さい子まで……。そういえばあの日、椿さんと慶子さんの間にいた気がする。忘れてたけど……。
「それより……」
椿さんは鋭い目で優希を見た。
「これは不味いね……」
椿さんの重く放たれた声が、先程まで騒がしかった戦いの後の静けさに響く。
そう、優希にバッチリ見られてしまった。あの非日常の全てを。
「ねぇ、しょうちゃん……? ツキビトって……?」
優希の震えながら聞く声が、図書館の静寂に落ちる。
俺は怖くて優希の顔を見れなかった。
椿さんは先程の自分の失言に、しまった! と、口元を押さえている。
最悪だ……。よりによって優希に知られてしまった……。一番遠ざけたかった優希に……。
「う~ん……。これは組織案件、かな?」
はぁ、と一つ溜め息を吐き、椿さんは困ったように頭をカリカリと掻きながら呟いた。
「優希どうなるんですか!?」
「場合によっては……」
顎に手を置き、渋面で考え込む椿さん。
まさか……。前の幸宮さんの言葉が過る。「ここで息の根を止める」てっきり冗談だと思ってたけど……。まさか……本当に?
俺は鋭い目で椿さんを凝視した。
「大丈夫だよ! うちの組織は不殺を信条としている。現にツキビトに憑かれた人だって一人も殺してないよ!」
俺の視線を振り払うかのように、椿さんは慌てて両手を振り、汗を噴き出した。
「そう、ですよね……」
そもそもツキビトっていったって、悪霊に憑かれてしまった人間だし。殺したら人殺しになってしまう。
「しょ、しょうちゃん……? 何の話? 殺すとか……そんな……」
「ごめん……優希。俺……」
優希の怯えきった目が、俺の目の奥を貫く。喉の粘膜が乾いていくのを感じ、俺は堪らず唾を呑み込んだ。
もう隠しきれない──。
俺は意を決して、今言える最大限の情報として、優希にある程度話すことにした。
「俺、──幽霊が見えるんだ」
「へ?」
「ツキビトってのは、悪霊に憑かれた人で──」
「ウソ……でしょ?」
信じられないといった、青ざめた顔で、優希は俺を見ていた。しかし、俺の強張っているであろう表情に気付き、優希は小さく呟く。
「本当……なの?」
まともに顔も見れず、視線を落とし、俺は歯を食いしばった。
「……それ、嘘じゃないんだよね……」
再確認するように呟く優希に、俺はようやく小さく頷いた。優希は今どう思っているのだろう? このままもう、喋りかけてはくれないのだろうか……。もう二度と、優希の笑顔も見れない……。
そう思うと、俺は無気力に肩を落とした。
そりゃそうだ。幽霊が見えるなんて、変だよな……。でも、これで良かったのかもしれない。優希が自分から俺を避けてくれれば──
「──……良かった…」
「へ?」
思いもよらぬ言葉に、俺は拍子抜けした声で顔を上げた。
「しょうちゃんが……私を嫌いになったんじゃなくて……良かった……」
目から大粒の涙を溢し、優希は両手で涙を隠すように顔を押さえた。
「私、嘘吐かれてるの分かってた。でもしょうちゃんが、隠したいことならって……」
「優希……」
その涙を見た瞬間、嘘を吐いてでも守りたかったモノが何だったのか、俺にはもう分からなくなってしまった。
「──お前、俺のこと怖くないのか?」
「どうして?」
「だって幽霊だぞ? 悪霊だぞ? さっきだって危ない目に……」
「私がしょうちゃんのこと、怖いって思うと思った?」
「──!」
「思わないよ。だってしょうちゃんだよ? いつも私のこと庇って、今も助けてくれる、優しいしょうちゃんだもん。変わらないよ……」
伝い落ちる涙を拭きながら笑いかけるいつもの優希に、俺は涙腺が熱くなるのを感じた。
「優希──お前、いつの間にか呼び方戻ってる……」
「あっ…」
優希はハッとしたように目を丸くした。
「やっぱりこの方が、呼びやすいやっ」
少し赤く泣き腫らした目で、優希は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに、笑った。
──その時。
「何してるんですかあなた達! 早く逃げ──」
何処にいたのか、職員の女性が、奥の方から駆け寄ってくる。しかし、彼女は自身の前に広がるあり得ない光景に絶句した。
「これは一体どういう状況ですか!?」
床に散乱している数多の本と、本棚の真ん中で倒れている女性を目の前にして、職員の人が悲鳴を上げた。
「あっはは……」
ツキビトの仕業だとは言えず、俺たちは乾いた笑いをするしかなかった。
それからは消防車だの救急車だの警察だの来て、現場は大混乱。涼しい場所から一転した図書館の外では、夏の陽射しが容赦なく肌を照りつけてくる。ツキビトに憑かれた人を乗せた救急車を見送ったのも束の間、俺たちは警察官の厳しい追及を受けた。
汗だくになりながらも例の紙を何とか見せ、事情聴取だけは無事回避した。図書館の職員の人たちに詰め寄られもしたが、警察官の助力もあり、苦労の末、どうにか誤魔化しきる。
騒ぎがある程度落ち着いた頃には、時計は16時近くを指していた。未だ太陽は衰えを知らず、ジリジリとしたアスファルトの熱気が、疲弊した身体に熱を叩きつけていた。
「──優希ちゃん」
普段の明るい様子とは違い、椿さんは低く告げた。空の昇るような青さと引き換えに、彼女の顔には重い陰りが色づいている。
「疲れてるとこ、悪いんだけど、君には今から本拠地に来てもらうから」
冷たく言い放たれた椿さんの顔に、いつもの笑顔はなかった。
「そんな! 今からですか!? せめて明日に──」
「ダメだよ。これは私の一存で決められることじゃない。慶子さんの意見を仰がないと──」
そんな俺たちの言い争いとも取れる様子を見、ゆかりちゃんはあわあわとちっちゃく右往左往している。
「でも──」
「しょうちゃん!」
どうにか遠ざけようとごねる俺に、優希の芯の通った声が、それを遮った。
「私、行きますっ…」
「優希……」
「何も分からない……けど、しょうちゃんに今起こってること、知りたいから」
優希は凛とした真っ直ぐな視線で、椿さんを見据えていた。
「大丈夫だよ。殺されることはないんでしょ?」
そう言って平気そうに笑う優希。しかし、その手は震えていた。




