五話 守りたかったモノは ②
え? この快活な声は……。
「椿さん!?」
「しっー! 図書館じゃ静かにね」
口元に人差し指を持っていき、椿さんは笑った。
「あ、すみません……」
椿さんが現れたことで、明らかに優希の顔から笑顔がなくなる。先程の優しい雰囲気から、突如としてピリッとした空気が優希から伝わってきた。
優希のヤツ、昔から人見知りだもんな……。
「また女の人……」
ポツリとそう聞こえたが、どういう意味だろうか?
座ったまま俺は椿さんの方に顔を上げた。
「でも、どうしてここに?」
「私も勉強してるんだよ。今年受験生だからね」
「え? 椿さん、高三だったんですか?」
「そう! だから大変だよぉ~」
椿さんはケラケラと笑いながら、右手をパタパタと振ったあと、今度はニヤリと含み笑いをし、優希の顔を覗いた。
「そちらは? 浅羽くんの彼女かな?」
「──!」
まるで気配を殺すように身を縮こませていた優希の肩が、一瞬ピクリと跳ねた。
「いえ、小二からの幼なじみです」
「へぇー幼なじみ! いいねぇ~」
何が良いのかよく分からんが、気さくな感じで話し掛ける椿さんに、優希も安心したのか、
「鈴原、優希…です……」
と、小さい声ながらも優希は椿さんに頭を下げた。
「優希ちゃんか! なるほどなるほど……」
俺と優希の二人に、ニヤニヤと交互に視線を移しながら、椿さんは顎に手を添え笑っていた。
「じゃ! 勉強頑張って!」
微笑を崩さず、椿さんは去っていった。椿さんの背中を見送っていると、優希が顔をうつ向かせながら静かに俺に問う。
「ねぇ、浅羽くん」
声に何処かひりついた空気を感じさせながら、優希は続けた。
「椿さんと、どういう関係なの?」
「どういう関係って……」
「そもそも椿さんと、何処で知り合ったの?」
瞳に若干の揺らぎを見せ、優希は俺の目を見つめる。
「高校も別々だし、先輩だし。会う要素が何処にもないよね?」
「そりゃあ、まあそうだけど……」
「答えてよ」
いつになく真剣な眼差しで、優希は俺の瞳の奥を見据えた。
危険な戦いをしていると分かったら、優希に心配を掛けてしまう。そもそも組織のことは秘密だし……。
答えられるはずもなく、俺は目を泳がせた。その時。
ジリリリリリリリ!!! ジリリリリリリリ!!!
『火事です! 火事です!』
強烈な爆音と共に、火災報知器の音が館内中に鳴り響いた。
「な! 何だ!?」
勉強をしていた周りの人達も思わず立ち上がり、何事かと辺りを見回す。周囲のざわざわとした喧躁と、椅子のがたつく音が火災報知器の音に紛れて全体に響いていた。
その後、館内放送で、録音された機械的で無機質な女性の音声が流れた。
《ただいま、館内で火災が発生しました。皆様は係員の誘導に従い、落ち着いて避難してください。繰り返します──》
音声が流れた途端、パニックに陥った人々は、それぞれに悲鳴と怒号を発しながら、我先にと出口へと向かっていった。読まれていた本は床に散らばり、机からは鉛筆やノートが滑り落ちていく。
「しょ、しょうちゃん! 逃げよ!」
顔面蒼白で、逃げ惑う人の波に流されまいと、優希は慌てて俺の服を引っ張った。
しかし俺は、あることが気になって優希の声が耳に届いていなかった。
「しょうちゃん!」
思いっきり腕を捕まれ、俺は我に返る。取り敢えず、優希だけでも外に連れ出さなきゃ……。
俺と優希は周りの人達に続いて、図書館の外へと出た。
館内から放り出された人達が、ざわざわと、何事かと図書館を見上げ、口々に不安と焦燥を訴えていた。
職員に事の次第を追求する人も出ている。
このままここで警察と消防を待っても良い。だが、俺には気がかりが一つだけあった。
「悪い、優希。ちょっとここに居てくれないか?」
「え? しょうちゃんっ?!」
困惑する優希を残し、俺は再び館内へと戻っていった。
ヤバい! ヤバい!
イヤな予感がした。本棚の奥、立ち止まってこちらを凝視する黒い影を、俺は見た気がした。人混みに紛れ一瞬だったが、女性に絡み付く何かが、残像のように目の端に残った。
気のせいであってくれ!
走りながら滴り落ちる汗を拭うと、警報器の音に紛れ、本の落ちる音と、何かがぶつかる音が聞こえてきた。
人が居なくなった図書館の奥、誰かがそこで戦っていた。
「椿さん!?」
「浅羽くん!」
と、もう一人、随分と小柄な人物が、木刀を持ってツキビトに対峙していた。
「え?」
【……もう、いや…。なんでこんなこと……】
「──っ!」
黒いモヤを纏った女性が、何やらぶつぶつとうわ言を繰り返している。いや、ここは“ツキビトが”が正しいのだろうか。
ツキビトの後ろには火災報知器のボタンがあった。どうやらツキビトが押したらしい。火事ではなさそうで良かった……。
【……何もかも……壊れればいい…】
ツキビトの姿は異様だった。背中に手が両翼の様に生えていて、その手で本棚から次々と本を投げつけてくる。
「ゆかりちゃん!」
ゆかりと呼ばれた女の子は、身軽にツキビトの本の攻撃から避けていく。
「──っ! ──っ!」
俺も応戦した方がいいかな? そう思って腰の木刀に手をかけ──
あれ? 腰の木刀に手を──
「やべ! 来たはいいけど、俺、木刀 家に置きっぱなしだ!」
「もう! 何で携帯してないの!」
「だってツキビトがこんな所に出るとは思わないですよ!」
「だから私のように、素手で戦える方が良いのに……!」
椿さんは拳で、投げつけられてきた本を殴り、上手にツキビトの攻撃を避けていた。
「俺戦力外じゃん! これじゃ来た意味ねえーー!!」
叫んだ所で、後ろから何やら椅子につまづく物音が聞こえた。
「しょう……ちゃん……?」
「!! 優希! 何で……!」
「しょうちゃんが心配だからだよ……! それよりこの状況……どういうこと?!」
切迫した顔で、俺たちを凝視する。
優希の目にはどう写っているのだろう? 暴れる女性。それに対峙する木刀を持った少女と、拳を構え、本を殴る椿さん。そして、何も出来ずに突っ立っている情けない俺……。そう思考を巡らせていると、ツキビトの投げた本が、優希目掛けて一直線に放たれた。
「危ない優希!」
投げつけられた重い辞書から、俺は咄嗟に優希を庇った。背中に重厚な打撃を受け、俺はその場に倒れてしまう。
「しょうちゃん……!」
もっとかっこ良く助けるはずだったのに……。倒れた俺の頭を、優希は心配そうに目を潤ませ、膝に乗せた。
椿さんがそんな俺を横目で見、少女の方へと目配せした。
「ゆかりちゃん!」
椿さんが叫びながら、ゆかりちゃんと対峙しているツキビトに素早く肉薄する。ツキビトが椿さんの腕を掴むと、椿さんは、逆に相手の力を利用し、ねじ伏せるように崩し、その軸足を鋭く払った。ツキビトは耐えきれずその場に膝をつく。
ゆかりちゃんは、木刀を握り直し、鋭い踏み込みで地を蹴り、椿さんが作った好機を見事に物にしている。
そして──
小さな体特有の身軽さで、くるっと一回転し、ツキビトに一撃を加える。
「……っ!!」
ツキビトはその一撃により、女性の体から離れ、空中に霧散していった。




