五話 守りたかったモノは ①
いい加減、夏休みの宿題に手をつけようと、家でノートを広げてみるものの、どうも気乗りしない。
おまけにかまって欲しいのか、母が度々部屋を覗きに来ては、テレビ番組がどうの、やれ犬が可愛いだの、くだらない雑談をしに来て、気が散って全然宿題が遅々として進まなかった。
俺は何処か涼しい所で、この山積みの宿題を片そうと、図書館への道を歩いていた。
目の前には道を塞ぐように三人組がたむろしている。
あれ? 一人は優希……?
「ねぇねぇ! ちょっとそこの女の子!」
「な、何ですか」
怪しげな金髪のチャラ男二人組が、優希に話しかけていた。威圧感のある男たちが、小さな優希の行く道を塞ぐように取り囲んでいる。
優希は本屋の帰りらしく、茶色の紙袋を胸の前で、両手で大事そうに抱えていた。
「暇そうじゃんっ」
「ちょっとさぁ、オレたちと付き合ってよぉ」
「一緒にカラオケでもどう?」
男の一人が優希の右手を突然掴んだ。
「いたっ」という声と共に、彼女の顔が嫌悪と恐怖で歪む。
「止めて下さい!」
「優希!」
俺は咄嗟に勉強道具の入ったリュックを放り投げ、優希の前へと出ていた。男二人は近くで見ると、俺よりも頭半個分ほど大きく、高圧的な雰囲気を醸し出している。
「え? しょ…浅羽くん?」
「何だよお前っ」
「マジだりぃんだけどっ」
金髪のデカイ男性二人に睨まれ、震える足。だが、俺はキッと二人の男性を睨み返した。
「ちっ、ヒーロー気取りかよっ」
「行こうぜ。よく見りゃ大したことなかったわ。あんな地味女」
男たちは負け惜しみの捨て台詞を吐きながら、肩を大きく揺らし、去っていった。
「はあ……。大丈夫か? 優希?」
俺は投げ捨てたリュックを拾うと、そこについた埃を払った。
「う、うん。ありがとう……浅羽くん」
気まずそうに本をギュっと抱きしめ、うつむく優希。俺は、相変わらずの浅羽くん呼びに少し悲しくなった。
このまま優希を一人で帰らせるのは不安過ぎる。家に送るか……? それとも──
「──あ、あのさぁ優希?」
俺は震える手でリュックを持ちながら、一種の賭けに出た。ゴクッと一回、喉が必然的に鳴った。
「ちょっと俺と、図書館で勉強しないか?」
「へ?」
「いや、ほら! 俺、夏休みの宿題ヤバくて! 学年の優等生である優希様に手伝って欲しいんだけど……? ダメ?」
懇願するように、仏にでも祈るように、俺は両手で優希を拝んだ。
「ぷっ…。なにそれっ。しょうがないなぁ……」
優希は右手で口元を押さえ、小さく柔らかく破顔した。
よっしゃ!!
暖かな眼差しからは、夏休み前の空気は微塵も感じられない。
俺はその笑顔が見れただけで、心の中でガッツポーズをした。
図書館につくと、涼しげなクーラーの風が髪を撫でた。
図書館独特の本の匂いが鼻孔をくすぐる。学習用スペースは、夏休みということもあり、他にも勉強している人で埋め尽くされていた。
俺と優希は何とか対面式の空いている席へと座った。
「ごめんな、優希。お前夏休みの宿題終わったのか?」
「うん。もうとっくに。七月中には終わってたよ」
「流石優等生!」
「だからさっきからなにそれ」
優希はくすくすと笑いながら顔を綻ばせた。
よかった。いつもの優希だ。俺はその笑顔に少し安心しながら、ノートを広げた。
数学のノートに広がる幾何学模様のような羅列に目眩を起こしながらも、俺は宿題の範囲を解いて行く。静かな図書館特有の空気の中、俺は数問目を解くと、改めて優希の存在を確認する。
目の前には先程買った参考書らしき本を広げる優希がいる。
俺はそれだけで満足だった。
「──なあ、優希?」
「なに? 何処か分かんない?」
「お前何でショートカットにしたんだ?」
途端に優希の目が驚きで丸みを帯びた。
「あ、似合ってないとかじゃなくてっ。むしろ似合ってる……」
「え? あ、ありがとう……」
優希は照れくさいのか、髪を耳にかけた。
「あの、そういやさ、お前、何でいきなり浅羽くん呼びなんだよ?」
「え? う~ん……何となく?」
「何となくって、お前!」
「しーっ。ここ図書館だよ?」
口元に人差し指を立て、優希は小声で俺を制した。
「あ、悪りぃ」
「──だって……浅羽くんが言ったんだよ? もう子供みたいな付き合いは止めようって。だから、名前呼びってちょっと子供っぽいかなって」
「いや、俺が言ったのはっ!」
また声を荒らげそうになる。案の定、誰かの咳払いが聞こえた。
「…俺が、言ったのは…………」
いいのか? このまま続けて? 優希をまた巻き込んだら……。俺の脳裏にあの日の優希が過る。倒れたまま起きない優希。このまま目を覚まさないんじゃないかとさえ思った。
「まあ、そうだよな……。今更、虫がよすぎるか……」
項垂れ、俺は力なく背もたれに寄りかかった。
本当、俺って勝手だよな。優希を巻き込みたくないと言いつつ、結局こうして切り離せずにいる。
何処かで線を引かなきゃ。俺はもう違う世界の人間なのだから──
「──ほら、そんな格好してないで」
呆れなのか、それとも愛想を尽かしたのか、優希は溜め息混じりに椅子から立ち上がり、俺の目の前に手を差し出してきた。
あれ?
優希の顔を見ながらその手を取ると、何故か優希は眉を下げて微笑んでいた。
「勉強しよ?」
その笑顔は紛れもない、いつもの幼なじみの優希だった。
想像と違う反応に、俺は拍子抜けしてしまう。
ぐいっと華奢で優しげな腕に引っ張り上げられると、俺は取り敢えず姿勢を正し、またノートに向かった。数字の羅列が俺を襲ってくる。ダメだ。頭が働かん……。
「あれ? ここ間違ってる……」
「え? どこ?!」
「ほら、ここの数式」
何処が間違ってるのか、彼女の指差す先を見てみるも、間違いが分からない。
「こんなんじゃ、また森野先生に怒られるよ」
ハァ…と溜め息交じりに口を尖らせ、優希は机の上に腕を組むようにして、そこに体重を乗せた。
「せめて担任の森野の担当教科が、俺の得意な国語だったら、まだ気が楽なのに……」
俺は鉛筆を持ったまま、机に突っ伏した。
「もう、またそんな格好して──」
「おや? 浅羽くん?」
項垂れ、ノートの数字が目に飛び込んだ所で、頭上から見知った声が聞こえた。




