四話 渉くんの消えた日 ⑤
食事の後、幸宮さんを家まで送り、自宅に帰ると、俺もシャワーを浴びた。
風呂からあがり、水を飲みに台所に立つと、何やら母がごそごそと、親父の遺影が飾ってある部屋の、仏壇の裏にある押し入れの中を漁っていた。
「何やってんの?」
「!」
俺は濡れた髪を拭きながら、母の背中に声を掛ける。
後ろの俺に気付かなかったのか、母は慌てて何かを隠した。
「い、いやぁ……」
バツが悪そうに目をキョロキョロさせて、隠しきれなかった何かを胸に抱いている。
すると、ゴホン、と一息咳払いをした。
「まあ、お前ももう高校生だしな……」
「!」
まるでエロ本が見つかったみたいな言い方だが、俺はそんなもの持っていない! いや、本当に!
だが、母が俺に見せたのは、一冊のアルバムだった。
「え、これ」
「前、お前にせがまれても見せられなかったのは、お前があの頃を思い出して苦しくなるんじゃないかと思って……。でもお前ももう高校生。受け止められると思う……」
俺は母の手にある、アルバムを開いた。
「あっ……」
そこに写っていたのは、生前の親父の姿と俺だった。楽しそうに遊園地で遊ぶ写真。母と父と三人で何処かの公園に出掛けた写真、小さな俺が泣いている写真など、現像した写真が一枚一枚綺麗に貼ってあった。
おぼろげだが記憶にはあるのと、全く記憶にも無いものがある。
ページをめくり続けると、俺はある写真のページで手が止まった。
「え!?」
そこには剣道の道場の師範だった親父と、胴着を着てVサインをして笑っている俺の姿。そして隣に居るのは──
「幸宮、さん……?」
小さくて分からないが確かに似ている。泣きべそをかいて俺を横目で悔しそうに見ている小さな女の子。
しかし、俺はその写真を見て確信した。
「幸宮……」
胴着の名前には、確かに幸宮と書いてあったのだ。
「ああ! やっぱり美耶子ちゃん!」
「え?」
「どっかで見たと思ったんだ! 昔うちの道場に通ってた子! ほら、この写真!」
写真を指差し、思い出したように語る母。
「お前に負けて悔しがってるとこを可愛くて撮ったんだよ!」
「え、え、え? ま、待って! 幸宮さんて俺の家の道場に通ってたの!?」
(だからか……! だから幸宮さんは……)
でも、だとしたら何故俺は覚えてないんだ? 幼少期の記憶があまりないのは普通のことなのかな?
「まあ、お前もあんなことがあったからな……」
「ん? あんなことって?」
何だ? と母の顔を覗くと、母は慌てたように口を覆い隠した。何か怪しいな……。
「──あ! この後、誠太さんが事故に遭ったろ? お前も小さかったし、覚えてないか……」
(この後か……。親父の事故は……)
「誠太さんも生きていれば、お前の成長も見られたのにな……」
母は懐かしそうに、他のページをめくった。
「こんな写真、あったんだな……」
記憶のない写真。だが、本当に幸せそうに三人とも笑っている。
「この頃は可愛かったもんだ。それが今じゃこんな生意気になっちゃって……」
「うるさいな」
母は俺の頭を撫でようとした。しかし、俺はその手を払い除けながら言う。
「そういえば母さん、いつまでこっちに居るんだよ?」
「うん? しばらくはいるつもりだよ? 何だ? 母が居なくて寂しかったか?」
「逆だよ。せっかく一人暮らしを満喫してたのに、早く帰って欲しいね」
「言うようになったなっ。このガキンチョがっ!」
勢いよく頭を触られ、まだ乾ききっていなかった毛先から水滴が弾け飛んだ。
「やめろって!」
「お前髪の毛伸び過ぎじゃないか? 毎月床屋行けって言ったよね!」
「これが今のトレンドなんだよ!」
まあ、嘘だけど。
「おーおー、なまいきになっちゃって! 今の流行りは分かんないねぇ」
そう言って母は、肩にかかっているタオルで、俺の頭をくしゃくゃに拭きまわした。
「何すんだよっ」
悪態をつきながら母の手をはね除けようとするが、逆に母は俺の頭をぎゅっと胸に抱き寄せ、静かに言った。
「こっちの仕事も後、三ヶ月。それが終われば、また一緒に暮らせるから。寂しい思いさせてごめんな」
いつものちゃらけた母とは違い、優しい口調でポツリと呟いた言葉は、どこか独り言のようにも聞こえた。
もう高校生だっつの。
俺は少し気恥ずかしかったが、母も寂しかったのかなと思い、面倒くさがりつつも、今は母の腕の感触に身を任せることにした。
…………。
…………。
…………。
(やった! また俺の勝ち!)
小さな手が竹刀を握りしめている。
目の前にいるのは──小さい女の子。
(強いよ、しょうちゃんっ……)
瞬間、今まで見えなかった顔が鮮明に俺の目に映る。それは小さな幸宮美耶子の姿だった。
…………。
…………。
────夢か……。
幼い幸宮さんの声が耳に残ったまま、彼女の小さく不貞腐れた顔が残像のように脳裏に焼き付いた。
まどろんだ意識の中、外では鳥が元気に鳴いている。いつの間にか朝になっていたらしい。
昨日の写真で、少し思い出した。俺と幸宮さんは、確かに出会っていた。親父の道場で一緒に稽古をして……。でも、親父が死んでからは? 親父が死んで、道場が閉鎖になって……。その後、結局俺は剣道をやめたんだよな。その頃には幸宮さんはもういなかった気がする……。その代わりに優希が近所に引っ越して来たんだよな。うん、思い出してきた気がする。
それにしても、昨日の母の怪しい言動……。大体何でアルバム隠してたんだよ? 親父が死んでからはショックで見れなかったとはいえ、俺があの時見つけなかったら、永遠に隠しとくつもりだったのか?
起きてから色々頭を整理したが、ボヤけた頭では、自分が納得する答えは見つからなかった。
今日はまずは幸宮さんに会って、過去のこと聞こうかな。
「祥太郎ー!! ごはーん!!」
下から元気よく母が俺を呼ぶ声がする。ご飯って、もしかして珍しく作ってくれたのかな?
リビングに降りると何やら香ばしい香りが──。ってか臭!
「何やってんだよ!」
見ると母はタバコを片手に、フライパンで目玉焼きらしきものを焼いていて、それは黒焦げの塊になっていた。
テーブルには同じく黒焦げになっている食パンらしきものが皿に乗っている。
「あ~あ~あ~、珍しいことするから」
俺は黒焦げパンを思わず人差し指でつまんだ。
「愛だよ愛」
そう言って母はタバコを一息吹かす。
「料理中にタバコ吸うなよ……」
出来た目玉焼きらしきものを、上機嫌で、黒焦げのパンの上に乗せる母。俺の話など聞いちゃいない。俺は呆れ顔で母親を一瞥するも、ダイニングの椅子に腰掛けるのだった。
「俺、今日出掛けるから」
母の愛(?)の目玉焼き乗せパンを食べながら、のんびりと背もたれに寄りかかる母に報告する。
自身はというと、タバコを呑みながら、コーヒーを飲むという器用な真似をしていた。そういえば、母は朝は食べない派だったな。などと思いつつ、パンを飲み込むと、口の中が苦味に満たされ、牛乳で無理矢理流し込んだ。
「どこ行くんだ? 美耶子ちゃん家か?」
「グフっ!? げほごほっ!」
母の的を射た問いに、牛乳でもふやかしきれないガリガリのパンを喉に詰まらせ、俺は思わず咳き込んだ。
「当たりだなっ」
ニヤリとからかい気味に笑う母は、右手でタバコの火をポンと灰皿に落とした。
「別に関係ないだろ?」
口をティッシュで拭きながら、俺は母を一瞥した。




