三話 7月25日、通り魔事件 ④
その後、幸宮さんが呼んだ警察が来て、男は逮捕された。
結局足りないのは、自分の身長のことだったらしい。
しおしおと立ち上がった男は、随分と小柄で、身長155cm~160cm位にしか見えなかった。
鉈で相手の足を切り落とし、自分と同じ身長にしようとしていたらしい。いや、怖すぎるでしょ。
俺たちがパトカーに連行されていく男を見届けていると、背広の警官が二人、俺たちに事の経緯を問いただしてくる。
「君たちは何でこの家に入っていたのかね?」
「勝手に入っちゃ駄目じゃないか」
二人の警官が俺と幸宮さんを睨む。あれ? ヨウコ先生どこ行った? 一応保護者なのに……。
「え、え、幸宮さん。どうしよ……」
「大丈夫だ」
幸宮さんはさっきの許可証を警官の二人に見せた。
「こんな紙切れが何だって……。いっ!? 警視総監印?!」
へ? 警視総監?
「おい、帰るぞっ……」
「え? 係長?」
一人の警官が後ろを向き、後輩らしき人に耳打ちした。
二人のやり取りが俺の耳に届く。
「どうしたんですか? 係長? 警視総監印って……」
「お前は知らないだろうが、警察には関わってはいけない枝番がある。雨夜の…何たらとかいう“人以外”を専門とする組織のコードだ」
「えっ…、あんな子供が?」
「深く追求するなっ。下手すりゃ俺たちの首が飛ぶ」
警官二人が俺たちを横目で見やる。え、何それ。
警官が完全に去っていった後、俺は呆然としたまま幸宮さんに尋ねた。
「幸宮さん、その紙って……」
「これか? これは慶子さんからもらったんだが。よくは知らんが、慶子さんは警察に顔が利くらしい」
慶子さんって一体何者なんだ……。確か二十八歳だったよな。そんな若くして雨夜ノ月のリーダーで、警察に顔が利くって……。
「慶子の父が昔、若造を助けたことがあってのぅ。確か、今ではその若造は警視総監つうのをやっとるとか……。それ以来、雨夜ノ月は警察公認なのだ」
いつの間にか当然の如く、人間の姿のヨウコ先生が着物姿で後ろに立っていた。自慢気に腕を組んで、まるで自分が偉いかのように鼻を上に向けている。
「ヨウコ先生? 今まで何処に居たんですか?」
「ん? わしは昔から警察つうもんが嫌いでの。昔は妖狐の姿で酒を盗んでは、さんざん番太に追いかけ回されとった。そのせいか今でもあの棒を見ると背中に寒気がするのだ。あいつらはわしの妖狐としての威厳をまるで分かっとらん」
妖狐としての威厳って……。そりゃ酒盗んでりゃ怒られるわな。
「まあ、そんなこともありつつ、大正時代には、バテレンかぶれの酒が横行しての。どれどんなものかとお屋敷に盗みに入ればこれが旨いの何の。酔い潰れて寝ているところを、わしを捕まえに来た留蔵のヤツに見つかってしまい、結局わしは、酒を飲ませてもらう代わりに、雨夜ノ月に遣える羽目になったという訳だ」
「留蔵って?」
「慶子さんのひいおじいさんの名前だ」
「それなのに慶子は、最近わしが酒を飲むと──」
グチグチと長話を続けるヨウコ先生。
「──ねえ、幸宮さん。話長そうだし、止めた方がいいんじゃ……」
俺は密かに幸宮さんに耳打ちした。
「ヨウコは一度喋り出すと止まらないからな……」
幸宮さんは、ハハハ……と呆れたように笑い、頬を掻く。
予想通り、十分程、炎天下の中、ヨウコ先生の昔話を聞く羽目になった。いつの間にか空は夕焼け色に染まり上り、赤い壁に照らされた空き家が、静けさと不気味さを漂わせている。
「ん? もうこんな時間か。長話が過ぎたの」
やっと終わったか……。早く帰って風呂に入りたい……。
空き家探索の時に、埃と汗にまみれた身体がベタついていて、精神的にも体力的にも疲れた。
「さて、これから慶子の所に行かねばな」
髪をパサッと翻し、ヨウコ先生は埃にまみれた服を整えた。
「え! 今から?!」
「報告までが任務だろ?」
ヨウコ先生が、さも当然のように言い放った。
「それ、俺も行くんですよね……?」
「当たり前だろ?」
二人してキョトンという目をこちらに向けてきた。俺は疲れも相まって肩を落とした。
結局、有無を言わさず妖狐の背中に乗り、俺たちは雨夜ノ月の本拠地に着き、慶子さんに事の経緯を説明した。
「報告ご苦労様でした。三人共」
丁寧にお辞儀をし、慶子さんはにこやかに笑う。報告をし終わった頃には、既に空に星が点々と輝いていた。
「さて、わしは風呂に入りながら、一杯やろうかの」
伸びをし、ルンルンと風呂場に直行しようとするヨウコ先生。
その後慶子さんに、何やらお説教を食らっていた。
「浅羽も風呂に入ったらどうだ?」
幸宮さんが汗と埃にまみれた汚い俺を見て、そう促した。
「うん、ありがとう。でも、幸宮さん先に入った方がいいんじゃない?」
「私も入るぞ?」
「……え?」
「え?!」
お互いに瞬間的にフリーズすると、自分の言ったことの意味に気付いたのか、幸宮さんは慌てて顔を真っ赤にした。
「い、いや! そういう意味じゃな……! こ、ここは昔大所帯だったから、男湯と女湯があるだけで……!」
思いっきり両手を顔の前でブンブンと振り、あたふたと弁明する幸宮さんに、俺は少しいいものを見た思いだった。
「そ、そうだよね~。うん、分かってるよ」
でも、めちゃくちゃびっくりしたわ。
風呂から上がり、夕飯をご馳走になった後、俺は庭に出てヨウコ先生と幸宮さんの支度が整うのを待っていた。
「もう20時半じゃねえか……」
俺は持っていた携帯の画面を見てポツリと呟く。
やっと帰れる……。そう思った矢先。
「浅羽、祥太郎くん?」
「はい?」
可愛らしい声に、俺は後ろを振り向いた。
黒髪ポニーテールの、俺と同じくらいの年齢の、セーラー服を着た女の子……誰だっけ? 一応挨拶しとくか。
「あ、こんばんは……」
顔を見て思い出した。
ああ、あのにこやかに手を振っていた女性か……。そういや、あの食事の席にいたな。
「先日は兄がごめんね」
「え? 兄?」
「あ、自己紹介がまだだったね。私、神井椿。よろしくね」
椿さんはそう言って、右手を差し出した。俺は反射的にその右手を取った。
ん? 神井……!?
「か、神井って、神井さんの妹さん!?」
慌てて右手を離し、キョロキョロと辺りを伺う。こんな所を神井さんに見られたら、どんないちゃもんをつけられるか分かったもんじゃない!
「大丈夫だよ。兄さんは別の任務で居ないから」
その言葉に、俺はホッと安堵の息を吐いた。それにしても──
「神井さんの妹さんにしては、髪の色が違うんですね」
「ああ、兄さんの髪は、ストレスによる精神的脱色だから」
何処まで残念で面白いんだっ、神井さん!
「そ、れ、よ、りっ」
椿さんは上目遣いで俺を見上げた。
「浅羽くん、私とちょっと手合わせして欲しいな」
「へ?」
「兄さんとはやったのに、私とは出来ないなんて言わないよね?」
人差し指を顎にちょこんと乗せ、ねだるように見つめてくる。
「……神井さんには因縁つけられただけで、あれを手合わせというのは……」
「ちょっとだけだから」
「でも、私闘は禁止されてるんじゃ……」
「もう慶子さん寝てるから大丈夫!」
何でここの人達は、揃いも揃って好戦的なんだ……。
「椿さんっ、浅羽は疲れてるんだ。また別の日にしてくれないか?」
聞いていたのか、玄関から出てくる幸宮さんが、すかさずフォローに入ってくれるが……。
「でも、また次いつ会えるか分からないじゃん! 浅羽くんの今の実力も知りたいし!」
椿さんはそう言って、俺の正面を向き、拳を構えた。
「私の武器は、この身体。私の武術は、合気道をベースにしてるから」
俺は仕方なく、持っていた木刀を構えた。
神井さんの時とは違い、木刀があって良かった……。
「じゃあ行くよ!」
椿さんは掛け声と共に、正拳突きを繰り出してくる。俺は木刀でガードした。
細い腕の何処に力があるのか、重く鋭い拳が木刀に響いてくる。
俺はそのまま木刀を押し返そうとした。
しかし。
「まだ、甘いね!」
椿さんは俺の刀身を撫でるように滑り込み、あっという間に間合いに入った。
木刀がただの棒切れと化し、振るう間もなく、俺は右手を捕まれる。
「いてぇ!」
これ以上無理と言うほど右手を捻られ、痛みと共に重心が浮く錯覚に陥り、いつの間にか俺は背中から地面に叩きつけられていた。
目の前を火柱が走る。
「──っが!」
背中からの衝撃で一瞬息が止まった。何が起きたか分からず、ただ天に輝く星を仰いだ。
横には椿さんが俺を見下ろすように立っていた。
「君はもうちょっと、力の使い方を学んだ方がいいね」
そう言って、倒した俺に手を差し出してくる。俺はその手に引っ張りあげられた。
「大丈夫か? 浅羽?」
幸宮さんが心配そうな表情を覗かせる。
「お前は修行が足りんのぅ」
いつの間に見ていたのか、ヨウコ先生が偉そうに腕を組み、ニヤニヤと笑っていた。
椿さんが強すぎるんだよ……。そう、心の中で不満を漏らした。
「──貴様、何をしているッ!」
その瞬間、俺の耳に鋭い声が響いた。
(はっ! この無駄に良い、中低音のイケボは……!)
「か、神井さん……!」
振り向くとそこには、白銀の髪が夜の闇に浮かび、鬼のような形相の神井さんがこちらを睨んでいた。
そこで俺は気が付いた。
椿さんとまだ手を繋いでいたことに……!
俺は慌ててその手を離した。
「貴様! 私の妹に何を!」
ザっと庭の砂埃を立てながら、神井さんは椿さんと俺の間に、割って入るように立ちはだかった。
「私が任務から戻ってみれば、とんだ不埒者が居たわけだ」
睨み付けながら、抜き放たれた木刀を俺に向けてくる。
突きつけられた剣先からは、殺気がこれでもかと漏れだしていた。
「い、いや! これは誤解で!」
俺は弁解を求めるように、椿さんの方をちらりと向いた。しかし。
「わ、私、知ーらない!」
と、椿さんはあからさまに視線を反らし、そっぽを向いた。
そりゃないよぉ!
案の定、俺は神井さんに木刀で追いかけられ、解放されたのはそれから一時間も後のことであった。




