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三話 7月25日、通り魔事件 ①


「ゆ、幸宮さん…、マジでここ入るの……?」


「ああ、大マジだ」


 俺の目の前には、二階建ての空き家があった。


 外観が茶色く錆びで覆われ、今にも崩れそうなトタン屋根、更には壁の所々に蔦が巻き付いている。その様相はどう見てもお化け屋敷にしか見えない。俺は今からここに入らなければならないのかと震え上がった。


 そもそも何故俺たちが、このお化け屋敷の空き家に入らなければならないのかというと、それは夏休み前に遡る。







 終業式。


 校長の長ったらしい話も終わり、教室には、夏休み前の浮き足だった生徒が、今か今かと解放の時を待っている。

 教壇に佇む担任の森野は、山のように積まれた通知表の前で、夏休みの注意事項を説教たらしく、延々と喋り倒していた。


「えー、今日から夏休みだが、だからといって羽目を外さず、出した課題もちゃんとやれよー。それから、最近夕方になると、通り魔に襲われたなんて話しもある。あんまり暗くならないうちに帰るように。帰りはまとまって帰れよー、一人で帰るなよ。えっと後、注意事項は──」


 長い森野の話もようやく終わり、通知表を受け取った俺は、それをチラ見する。評定は見事に『3』が並び、『5』は体育のみ。まあ、いつも通りだな。


 取り敢えず『1』がないことに安堵しつつ、俺は一人帰り支度をしていた。その時。


「浅羽~、一緒に帰ろうぜぇ~」


「は? 何で?」


 普段は『写真部』の活動に勤しみ、部活中の女子の偵察にも余念がなく、俺と帰ることなどそうそう無い中西が、珍しく誘ってきた。


「お前、何でってことはないだろ? オレたち親友じゃねえか?」


 中西は肩を組んで来て、気味の悪い笑みを浮かべる。


「はあ……今日はいつもの観察とやらはいいのか?」


「それが、今日は親から真っ直ぐ帰って来いって言われててよぉ。どうせ成績のことで説教でもするんだろうが」


 ぐちぐち文句を言いながら、中西は、ガリガリと頭を掻いた。

 全く、都合の良い親友だな。にしても、成績なんて気にする性格でもあるまいに……。

 そこで俺は気が付いた。


「お前……まさか通り魔が怖いから、俺を弾除けにでもしようとか考えてるんじゃないよな?」


 俺の発言が的を射ていたらしく、中西の肩がピクリと跳ねた。


「いいだろう別に! 同じ方向のヤツ、お前しか居ないんだよ!」


 中西はそう開き直ると、懇願するように両手を組んで拝んできた。

 すると、何を思ったのか、机の整理をしている優希を手を上げて呼んだ。 


「おーい! 鈴原も同じ方向だろ? 一緒に帰ろうぜぇ~」


「!! お、おい…中西っ……」


 確かに通り魔は心配だが……。俺は優希の方をちらっと見た。案の定優希は、困惑した表情をこちらに向けている。


 何か言わねば……。


「ゆ、優希……。帰ろうか……?」


 俺は今、どんな表情で優希に話しかけているのか……。優希は少し間を開け、コクっと頷いた。


 ホッ。良かった……。ん? 良かった、のか?


「……でも、私、委員会があるから、少し遅くなると思う……」


 顔を下に背け、目を俺に合わそうとはしない。そんな中、中西が空気も読まず、チャラけて言った。


「おう! 待っててやるよ! な、浅羽?」


「あ、あぁ……」


「なあ、通り魔が来たらオレを危険から守ってくれよな。ほら、その木刀でっ」


 中西は気持ち悪く目を輝かせ、俺の背中に背負っている袋に入った木刀を見る。俺はその無神経な言動に少しイラついた。


「あのな中西! この木刀は別に通り魔をやっつける為にあるわけじゃ──」


「浅羽!」


 俺が中西に物申そうとしている時、見知った声が教室の後ろのドアをガラッと開ける。


 ざわついていた教室が一瞬のうちに静まり返った後、また別の種類のざわつきが教室を埋め尽くした。


「何故隣のクラスのアイドルが? 浅羽なんかに?」


 そんな嫉妬混じりの声が俺の耳に届いていた。

 しかし幸宮さんは物怖じせず、


「ちょっと来い」


 と、手招きし、俺をドアの外から呼んだ。


「ゆ、幸宮さん。どうしたの?」


 気まずいながらも俺は幸宮さんの前に立つ。


「ここじゃ駄目だ。ちょっと来てくれ」


 俺は、後ろにいる優希と中西の顔を不安気に見た。

 中西の方は「何故だ!」という悔しそうな顔をし、優希の方は──少し悲しげな目を俺に向けていた。


「ご、ごめん!」


 俺はその目に居たたまれず、思いっきり合掌した。


「俺、ちょっと用が出来ちまった!」


「え、浅羽ぁ……お前」


 中西が何か言いかけたが、


「全くしょうがねぇな……」


 溜め息を吐き、呆れた様子で俺を見た。一方、優希の方を見ると、目が合った。すると、優希は眉尻を困ったように下げ、


「またね、浅羽くん……」


 ズキッと胸が痛む。その浅羽くんという言い方が、毎回呼ばれるたびに俺の胸を抉る。もう決して呼んではくれない下の名前──


 ──まあ、考えてもしょうがない。


「中西はちゃんと優希送ってけよ!」


 俺は捨て台詞のような言葉を吐き、教室を後にしたのだった。







 幸宮さんと俺は保健室にいた。ヨウコ先生は椅子に座り、その長い脚を外に投げ出すように組んでいる。

 二人の話をまとめるとこうである。


 最近、ここ二週間ほどで、五人の通行人が次々と、鉈のような物を持った背の高い大男に怪我を負わされているらしい。時間はいつも夕方の黄昏時。

 目撃者が言うには、真夏にも関わらず、ボロボロのコートを着ていたという。


「それで? その通り魔ってのがツキビトなのか?」


「あくまで可能性の話だ」


 幸宮さんが神妙な面持ちで返してくる。


「幸い、死者はまだ出ていないが、このままでは確実に死人が出る」


「今調査中での。まあ、十中八九、ツキビトだろうて」


 足を組み直し、机に頬杖をついてヨウコ先生は続ける。


「慶子が言うには、わしと美耶子と浅羽の三人で、これにあたって欲しいそうだ」


「え?! 俺も!?」


「実地訓練? ってヤツだそうだの」


「ま、マジ?」


 驚きを隠せず、腰が抜けそうになるのを俺はなんとか抑えた。

 ふと、目をやると、ドアの小窓から中西がこちらを覗いている。隣には、委員会が終わったのだろうか、優希の姿もあった。

 俺は思わずドアを開けた。


「何、覗いてるんだよ?」


 少々威圧的な態度を取ったが、中西には通じない。


「お前何か怪しくないか?」


「な、何が?」


「ヨウコ先生と幸宮さんと、保健室で何やってんだよ。やらしいな」


「いや、俺は何もやましいことなど…」


 誤解を生む発言は止めてくれ、中西。しかも優希の前で!

 俺はちらっと優希の顔色を伺った。優希は何を考えているのか、表情からは読み取れなかった。彼女は、ただ静かにドアの横に佇んでいた。


「浅羽、もう帰ってもよいぞ」


 ヨウコ先生がくるりと椅子を回転させた。


「え? いいの?」


「ああ、わしはまだ美耶子と少し話をするのでな」


「え? じゃ、じゃあ帰ろうか……優希」


「あ、う、うん……」


 優希が静かに頷く中、中西は何を思ったのか、スッと垂直に手を上げた。


「幸宮さーん! ヨウコ先生ー! さよならー!! また二学期にー!!」


 中西が馬鹿でかい声で手を思いっきり振る。何のアピールをしてるんだ? お前は。

 チラリと二人の方を向くと、苦笑い気味に、律儀にも手をあげていた。






「でもいいよなぁ。ヨウコ先生!」


「は? 何が?」


「あの、古風な独特の喋り方! オレ初めて喋っちゃった!」


「いや、お前には何も言ってないだろ……」


 何処を間違えればそんな解釈になるんだか……。


「優希もそう思うよな? ……優希?」


 隣を歩く優希の方を向くと、優希は固まっていた。何処と無く青い顔をし、眼前を凝視している。俺と中西は優希の視線の先に目をやった。


「!!?」


 向こう側から歩いてきたのは、身長2メートルを越えた大男。真夏にも関わらず、何故か長袖のボロボロのコートを着ている。って、え?


「あ、あれって……今、噂の通り魔じゃ……」


 中西が怯えたように呟くと、すかさず俺の後ろに隠れだした。その異質で異様な様相に、霊感も何もない者でも、不気味に感じ取れるのだろう。


 俺たちは、ただ黙って男が横を通り過ぎるのを待った。

 ゆっくりと、何かを呟きながら男は俺たちに見向きもせず、通り過ぎていった。


「何だよ、ただのでかい男じゃねえか」


 中西は安堵したように溜め息を吐いた。先程まで背中に隠れていた表情とはうって変わり、今度は安堵の笑みを浮かべている。

 中西にはそう見えるのだろう。だが、俺には見えていた。

 その男の周りには、黒いモヤのような物がまとわりついているのを。俺は思わず後ろを振り返り、ゴクッと息を飲んだ。何事もなかったことに安堵し、中西と同様に溜め息を吐いた。


「何か、気持ち悪い……」


「え? 優希!?」


 突然優希が吐き気なのか、その場に座り込んでしまう。


「大丈夫か? 鈴原?」


 あれは間違いなくツキビトだった。襲われなかったのは不幸中の幸いか……。もしかして、優希はあの黒いモヤに当てられたってヤツなのか?


「取り敢えず帰ろう。中西、肩貸せ」


「お、おう」






 優希を一先ず家まで届け、俺と中西は、その家を見上げるように振り返る。


「優希、大丈夫かな…」


 俺が家の外から優希の身を案じていると、中西にしては珍しく呆れたように眉根を寄せ、一瞬の間を置いた後、思いっきり深く溜め息を吐いた。 


「お前、鈴原と仲直りしろよ?」


「は? 別に喧嘩なんて……」


「端から見ればお前らおかしいぞ。何かギクシャクしてるし、鈴原は浅羽のこと、浅羽くんって呼ぶし……」


「そ、それは……」


「鈴原のヤツ、幸宮さんがお前と仲良くしてるのを、嫉妬してるんじゃないのか?」


「はあ? そんなわけ……」


 何をとんちんかんなことを……。恋愛脳の中西にはついていけん。


「とにかく、お前はこの夏休み、幸宮さんを取るか、鈴原を取るか、じっくり考えることだな」


「だから、取るも何も……」


 人の話を聞かず、中西は言いたいことだけを言い、後ろ向きに手を振ると、その場を去っていった。







 俺は優希の、二件隣の、自宅のドアを開けようとする。

 そういえば、先程ツキビトに会ったこと、幸宮さんに報告した方がいいのかな?

 そう思い俺は、この近くだという幸宮さんのアパートを訪ねることにした。







 幸宮さん、帰ってるかな……。あ! そういえば、俺、何号室か聞いてなかった! 総当たりでチャイム押すわけにもいかねぇし……。


「浅羽?」


 俺が頭を抱えていると、後ろから声をかけられる。


「あ、幸宮さん! と、あれ? ヨウコ先生?」


「何だ? わしが居たら不満か?」


「い、いや、そうじゃなくて……」


「ヨウコと私はこのアパートのお隣さんだ」


「慶子が用意した部屋だ。先生と生徒が、一緒に住むわけには行かんからのぅ」


「ところで、浅羽。何か用があるのか?」


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