二話 嘘 ③
優希はそこに立っていた。少し憂い気に見えた横顔に、俺は一瞬心臓が跳ね上がるのを感じる。
「え? しょ、しょうちゃん?」
優希はいつもの声で俺を呼んだ。
「な、何でここに?」
「お前のこと、探してたんだよ。ほら優希、元気なかっただろ? 心配になってさ」
「…しょうちゃんは何も分かってないよ……」
「え?」
「私がどれだけ……」
そこまで言うと優希はぐっと唇を噛み締めたように見えた。
「──昨日……幸宮さんと一緒だったんだよね?」
「え? あ……」
「何で早退したのに幸宮さんと一緒だったの?」
「…………」
「何も答えてくれないんだね……」
どうする!? 組織のことは秘密だし、優希を巻き込むことになったら……。
「……あ、ああ、じ、実はさぁ。ヨウコ先生と幸宮さんが親戚で、俺もそれに呼ばれてて、ほら、前におじいさん助けたことあったろ? それが何と幸宮さんの親戚でさ。それでその時俺、スマホ忘れちまって、電話かけたんだよっ」
言い訳が苦しいか? でも幸宮さんとヨウコ先生が親戚みたいな関係なのは本当だし……。
「…………。そっか」
「へ?」
納得してくれたのか?
「うん…、そう……。……分かった」
ポツポツと呟くように優希は言う。
「しょうちゃんは…、私に嘘、つかないもんね……」
「えっ……」
そう言われた瞬間、ズクン、と胸が疼いた。寂しそうに笑顔を向ける優希は、俺の横を通りすぎ、屋上の出入り口に向かう。
すれ違った瞬間、優希の横顔が少し沈んでいるのが分かる。
──優希は俺の嘘など全てお見通しなんだ。
それなのに、何も聞かずに寂しそうな笑顔だけを向け、背中を向けて去っていく。
俺は間違ったのか? 優希の優しさに期待して、嘘も受け入れてくれると甘えて……。
そう考えた瞬間、俺はとても自分が愚かだと思った。
もういっそ、優希に全てを話そう。
俺は今、まさにドアノブに手を掛け、出て行こうとする優希の背中に声を掛けた。
「あ、あのさ……優希──」
「あれぇ? ドア全然開かない──」
優希がガチャガチャとドアノブを回す。
「えっ!?」
俺は優希をどかし、確かめるようにノブを回した。ガチャガチャと音が聞こえるが、鍵が掛かっているのか、全然開かない。
「マジで開かない……」
「嘘でしょ……」
後ろで優希の落胆する声が聞こえた。
どういうことだ? さっきは開いてたのに……。
「優希」
俺は後ろにいる優希に向き直った。
「お前何で屋上にいたんだよ? 普段屋上は立ち入り禁止のはずだろ?」
「そ、それは……。しょうちゃんから逃げてたら、屋上が開いてて……」
「そういえば何で俺を避けてたんだよ? 幸宮さんと何か関係あるのか?」
「も、もう! そんなことより! 今はここから出ること考えなきゃ!」
慌てたように優希がガチャガチャとドアノブを必死に回す。だから開かないって。
ガチャガチャ、ガチャガチャ。ガチャ。
「あ、ほら! 開いたよ! 立て付けが悪かっただけみた――」
優希が開いたドアに目をやり、出て行こうとする、が。
「え?」
目の前には先程俺を屋上に導いてくれた、暗い感じの女子生徒が立っていた。女子生徒の周りには黒いモヤのようなものが見える。
「優希!」
俺は咄嗟に優希の肩を抱き寄せる。
この感じ…ヤバい……!
「え? しょ、しょうちゃん?」
戸惑う優希を尻目に、俺はその女子生徒を睨んだ。
マズイ……。ツキビトだ……。
どうして気付かなかったんだ! こんなにもヤバい雰囲気を放ってるのに……!
ヤベ! 木刀、教室に置きっぱなしだ。
【許さ…、ない…。許さ…ない……。どうして……。どうして……】
「え? な、何?」
優希が怯えた目でその女子生徒を見つめる。
女子生徒が優希に向かって手を伸ばした、その瞬間、フッと電池が切れた人形のように、優希の意識が途切れた。
「優希……?! 優希……!!」
【許さ…ない。どうして……】
「?」
【どうして…、笑えるの……? 私は笑えなかった……。笑えなかったのに……!!】
ツキビトの髪の毛が一瞬にして伸びる。優希を抱えたまま、俺は右腕を髪の毛に絡め取られた。
「……っ!」
【このまま……一緒に…、逝こう?】
「はっ。何を許さねぇのか知らねぇが、このまま一緒に仲良くあの世へ行くなんて、まっぴらごめんだぜ!」
などと、精一杯の虚勢を張って見せたが、情けなくも、俺の足は無様に震えていた。
「生きてる人間を巻き込むんじゃねぇ!」
そう叫んだ瞬間、ツキビトが鋭い耳をつんざくような高い奇声を発した。かと思うと、髪の毛が瞬時に体全体を締め付けてくる。あまりの締め付けに、抱えていた優希を地面へと落としてしまう。
「……うっ!」
髪の毛が…首まで……!
ヤバい……ヤバいヤバいヤバい!
……これ、マジで死んだかも?
「浅羽!」
「! 幸宮さ──」
開け放たれた屋上のドアに幸宮さんが鬼気迫る表情で立っている。
「お前の木刀だ! 受け取れ……!」
「!!」
投げつけられた木刀が空中でくるくると回る。
俺は必死にもがき、辛うじて動く右手を天に向かって伸ばすと、ジャストヒットに木刀の柄を掴んだ。
木刀を受け取った瞬間、力を込め、俺の全身に絡み付いていた髪の毛を瞬時に切る。力を失った髪の毛は、パラパラと地面へと落ちた。
優希を屋上の端に避難させ、俺は改めてツキビトに向き直る。隣に来てくれた幸宮さんと一緒に木刀を構えた。
「ありがとう幸宮さん。おかげで助かった」
「礼ならこのツキビトを倒してからにしろ」
【ひどい…ひどい……! せっかく一緒に逝ける所だったのに……! あなたも…! 一緒に……!】
「悪いがツキビトと一緒に臨終する趣味は──」
幸宮さんが木刀を振りかざし、迫り来るツキビトの猛攻撃を受け流す。
左右上下、縦横無尽に動く髪の毛を、幸宮さんは全て避けていた。
──そして、下段から瞬時にツキビトの間合いを詰めると。
「──ない!」
一気にツキビトの脳天へ居合いのような抜きを直撃させた。
幸宮さんの鋭い一撃が決まり、ツキビトは成仏した……かに見えた。
【……うっ! わぁぁぁぁぁ!】
瞬間、髪の毛がはね上がり、俺の方へと髪の束が襲ってくる。俺は咄嗟に両手で顔をガードした。
と、その時。
「……くっ!」
幸宮さんが俺を庇い、ツキビトの毛を食らってしまった! 後方に投げ出され、屋上のフェンスに背中がぶつかり、横倒しの状態でうずくまる。
「……っ!」
「!? 幸宮さん!?」
その場で痛そうに打たれた腹を押さえ、幸宮さんは苦しそうに顔を歪めていた。
幸宮さん! 俺を庇って!
起き上がろうとするが、すぐには起き上がれず、その間も髪の毛は縦横無尽に動き回っていた。
どうしよう! 髪の毛は襲ってくるし! 幸宮さんには頼れない!
こうなったら……。
足手まといにはなりたくない! その思いで俺は横たわる幸宮さんの前に出て、ツキビトに木刀を構えた。
「浅羽……止めろ。お前に手に負える相手では──」
「でも、このままじゃ幸宮さんも俺もツキビトに呪い殺される!」
俺は真っ直ぐにツキビトから目を離さなかった。
迫り来る髪の毛の猛追……。
確か…、幸宮さんはこうしてたよな?
出来るかどうか分からないけど……。
俺はごくっと息を飲んだ。そして。
縦横無尽に動き回る髪の毛。
右から来るのを左にかわし、左から来るのを下にかわす。上から来たのを前に一歩前進し、両脇から責められれば上へと跳ねて逃げる。
不恰好でよろめきながらでも、それは先程幸宮さんがしていたのとほぼ同じ動きだった。
そうして、下から瞬時にツキビトとの間合いを詰めると。
俺は一気にツキビトの頭上に木刀を直撃させたのだった。
最後の一撃が決まり、ツキビトはふらふらと体を左右に揺らすと、やがて地面へと倒れ、そのまま動かなくなった。
女子生徒の体から黒いモヤのような物が抜けていくのが分かる。黒いモヤはそのまま天に向かうようにして、空気中に霧散した。
「浅羽…? お前……」
幸宮さんが訝しむのも無理はない。
何せ一番驚いているのはこの俺自身なのだから。
でも、倒せたのは幸宮さんが弱らせてくれたお陰だろうけど……。
「幸宮さん……傷、大丈夫?」
「あ、ああ……」
少し放心したような返事の幸宮さん。
「う…、ん……」
「はっ! 優希!」
優希の声に気が付き、俺はフェンスの側に寝かせて置いた優希の頭を触る。良かった、気を失ってるだけか……。
傷は……見た所ないみたいだな。
優希の顔を見た瞬間、気が抜けたのと同時に、自分への怒りのようなものがふつふつと沸き上がってくるのを、俺は感じた。
どうしてだよ……。
「どうして……。何で優希が巻き込まれなきゃいけないんだ?!」
「浅羽……」
自分がもっと早くツキビトに気付いていれば、屋上に来なければ、優希が巻き込まれることもなかったかもしれないのに!
不甲斐なさと悔しさでいつの間にか唇を思いっきり噛んでいた。血の味が口の中に充満する。
先程のツキビトに憑かれていた人を横目で見る。
あの女の子も、ツキビトに憑かれるほど、心が弱ってたのかな。
「浅羽。自分を責めるな。私にも直前までツキビトの気配は分からなかったのだから」
「でも……!」
「それより、ツキビトに憑かれていた生徒と、鈴原さんを保健室に運ぼう」
俺は少し泣きそうになりながらも、幸宮さんのその言葉に、小さく頷くのだった。




