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ハルカ


 郵便受けは開放的なハイツの共同玄関である門の横にまとめて置かれてあって、掲示板らしき朽ちかけた白い板にはペット可物件と黒字印刷のラミネートが貼ってある。南向きの門に対して東向きの個人玄関が5件並んであり、緑色の薄っぺらい扉には呼び鈴も付いておらず、およそ女性一人暮らしには不向きなハイツ。私はだいたいの家賃に目星を付けてみる。この辺りだと月7万くらいか。おそらく、私の住んでいる場所に比べれば梅田に近い訳だし。


 評価できる場所はそれが二階建てになっているのか、ロフトになっているのかワンルームではないところとその手作り広告でも売り出しているペット可なところだけかもしれない。長野さんはセキュリティー面でも天然だったのかもしれない。チャイムすらない薄っぺらい扉を見つめ、梁坂係長が心配する理由が少し分かった。


 5号とだけ書かれた角部屋の前に立つと、追いつめられたような不思議な閉塞感があった。角部屋といっても通路がそこで途切れている訳でもない。しかし、何なのか分からないその閉塞感がノックしようとする私の手を止めていた。


 汗が肌を真っ直ぐに伝い、消えていく。はっと我に返り深呼吸した。扉を叩く音が響いた。返事はなかった。


「こんにちは。長野さん、いらっしゃいますか?」


返ってくるのは静寂。もしくは、静寂に耳を澄ませば聞こえてくるどこかの部屋からの蛇口を閉める音。はたまた扉を閉める音。もう一度ノックする。二度目は何の圧迫感もなかった。慣れの問題だったのかもしれない。初めてくる家への自信の無さという。


「いらっしゃいませんか?」


いらっしゃらないということは、……考えて慌てて(かぶり)を大きく振った。病欠だと信じていたはずの人がもぬけの殻だった、ならまだいい。中にいるのに何の反応も出来ない状態だったとしたら……。


 長野さんに電話をしよう。出掛けているのなら中からコール音は聞こえないはずだ。鞄からスマホを取り出して既読の付かないラインを眺めた後、電話マークをプッシュする。自分のスマホから聞こえる聞き慣れたコール音を聞きながら、薄っぺらい扉に穴でもあけてしまいそうなくらい見つめる。


 一分程鳴らし続けたが長野さんの部屋から、音が聞こえることはなかった。


「出かけてるんかな?」


声を出す必要は全くなかったが自分を納得させるために声を出してみて、更に自分を落ち着かせる。スマホの画面には電話マークとキャンセルの文字。手には汗がじっとりと纏わり付いていた。スマホを鞄にしまうとハンカチを出して、その汗を拭く。ついでに首筋に伝う汗も一緒に拭い、大きな息を吐く。帰ろう。しかし、その前に念のため係長にも連絡を入れておくべきだろうか。ショートメールでいいかな、ともう一度スマホを視線を落とした時、猫の声がした。心臓が飛び上がった。


 猫は不吉。係長の言葉が瞬時に巡る。


「お宅、長野さんの知り合い? 長野さんいてはった?」


人の声に視線を動かすと二件向こう、3号室の扉の向こうから四十半ばと言えそうなおばちゃんが声を掛けていることに気が付いた。そして、その足元にすりよる黒猫。


「えぇ、会社の者です。連絡が取れなくて伺ったんですが、いらっしゃらないようで」


「そやねん。お宅も困ってはるみたいやけど、うちも困っててな。この猫なんか懐いてんねんけど、長野さんの仔やねん」


長野さんの黒猫……。よく見れば、黒猫とは言えず、お腹の部分は白く、手足に白ソックスを履いている。「靴下会社の社員の猫やからなぁ」と長野さんなら言いそうだ。その猫がまた「にゃあ」と高い声で鳴き、おばちゃんを見上げる。


「あぁ、そうなんですか。長野さんどうされたんでしょうね? 何か知ってはります? えっと、いつ頃からかとか?」


「そやなぁ。よう分からんねんけど、この仔が来たんは昨日からかなぁ? 厳密に言えば、長野さんがおった時から時々遊びに来とったしなぁ、ハルぼんは」


「男の子ですか?」

「メスや」


おばちゃんは丸こい人懐っこい顔をてらてらしながら男前に笑った。


「長野さんはハルカって呼んどったわ」


なんというか、長野さん。ご近所づきあいも結構大変だったのではないだろうか。そして、早々に切り上げた方がいいような気がしてきた。このままだと、連絡先の交換とか言いそうなおばちゃんだ。


 いや、実際本気で長野さんを探すのなら、連絡してもらった方がいいのだろうけど、それは係長に任せよう、と私はそのまま棚の上に上げてしまった。


「あ、そうなんですね。すみません、お騒がせして。また来ます」

「あっ、ほな、長野さん見つかったらハルぼん預かってるでって伝えといて」


私は会釈し、了承したが、きっとその顔に作った笑顔は引き攣っていたことだろう。



 ハルカちゃんが獲物を見極めるかのようにして、じっと私に視線を突き刺していた。



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