表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花柳村の猫は啼く  作者: 瑞月風花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/14

環状線に乗って


 窓の外から雀の声が聞こえている。しかし、休日用にと設定した目覚まし時計はまだ鳴らない。

 ベランダの遮光カーテンは閉まったままだが、網戸にしている窓からは、熱風が吹き込んできていた。

空梅雨の上、早々の梅雨明け宣言が行われるかもしれない、と言われた空は青く開けることが多く、入道雲だろう雲すら見える日さえわずかではない。雷雲でもあるらしい入道雲だが、暇つぶしに眺めるスマホの週間予報では、太陽がずらりと並んでいた。

午前中でこれだ。午後はさらに暑くなるのだろう。暑いと思いながらも夏布団を被ったままの私は、小学校の頃に流行った『ばばされ』を、何故か思い出していた。

鬼婆から命からがら逃げてきたという男がその経緯を話し、「あぎょうさんさぎょうご」と言って、息絶える。「あぎょうさんさぎょうご」それをその日以内に解かなければならない。解けば呪いは回避、もし解けなければ、一週間の間背後から掛けられる声に『ばばされ』を三回。もしくはその話を三名の人に伝えれば回避。言うのを忘れると殺される。確かそんな物だった。

結局解けなかった私に与えられたペナルティは一週間怯えながら『ばばされ』を言い続けること。

 多分何度かしくじっていたはずだけれど、結局殺されることもなく、一週間が経った。

 手の中にあったスマホが騒ぎ出す。

 AM8:00に設定していた目覚ましが、鳴り出したのだ。ストップ表示をスライドし、ほんの少し時が止まったような一瞬のあと、私は起き上がった。

遮光カーテンを開けてレース越しの朝陽を浴びて伸びをすると、やはり熱風が私を撫でていく。

この暑さの中、嬉しくもないお出掛け。うんざりしながらも「よし、おはよう」と気合いを入れ、朝の支度を始めることにした。

お気に入りの茶葉を取り出して、60度設定のお湯をティーポットに注ぎ、トーストをオーブンで焼く。目玉焼きをレンジでチンして作り、昨日の作り過ぎた煮物を冷蔵庫から取り出す。

 これでもちゃんと夕飯は作っている。

 土曜日だというのに、なんて規則正しい生活なのだろう。ローズの香りを醸し出すコップの湯気を吸いこんだ後、暑さに輪を掛ける贅沢空間を少し後悔した。

 やっぱりアイスティにすればよかった……。

香りに逃げなくてはならない朝を恨みがましく思いながら、バターたっぷりのトーストを齧る。

煮物は余計だけれど、私の最大限のお洒落な朝食。気分を上げて行かなくちゃ。

ただ、梁坂係長が交通費込みのランチ代として二千円もくれたことには感謝している。

「絶対に行けっていう引導を渡されたんやろうけどねぇ……」

ほんの少し空を眺めて、ぼやいてみるがもちろん誰も答えないし聞いていない。敢えて聞いているものがいるとすれば、ベランダから見える電線に止まる雀くらいだろう。

 彼らは早朝には騒がしく鳴きだして、今頃は私が毎日食べた後に出るパンくずを待って止まっているのだ。

「係長は今日家族サービスなんやって」

雀は、私が出てきても飛び立つこともなく、服が叩かれるのを待ちながら、音に驚きながら僅かに羽ばたくだけ。きっと、ほんの少し懐かれているのだろう。とりあえず答えない雀にだけ報告しておく。

 後はパタパタするだけで、私は雀に気取られないようにジーンズにTシャツになり水回りの掃除を始め、掃除機をかけ、洗濯は乾燥までセットして、顔を作った。

 だけど、長野さんに会うのだから、いつものメイク。淡い色を選んでいくだけ。

 鏡に映る私は、『ばばされ』の答えを思い浮かべていた。

「ばばされ」の答えは「あ行三」「さ行五」

すなわち『うそ』

そう

『嘘』なのだ。

 ショルダーバッグに必要なものが詰め込まれているかを確かめた後、雀がベランダでちょんちょん飛んでいる姿を横目に玄関の扉を開けた。


 現在長野さんの住んでいる場所は環状線で言えば、私の住んでいる場所と90度向こうへ行った場所にある。私の住むハイツからなら30分ほどで最寄り駅には着くだろう。

しかしだ。私の住んでいる場所と長野さんの住んでいる場所が駅から遠いという難点がある。徒歩15分。だから、優に一時間はかかってしまう。一時間かければ、方向を変えれば県外の観光地にだってつく距離。

しかし、観光地にたどり着くくらい不便だったとしても、日常を暮らすにはちょうどいい場所だったのだ。

削れる場所と費やせる時間がぴったり沿う場所が今のマンション。それに、一人で生きていくと考えれば全く不便ではないのだ。

おそらく、長野さんだって同じなのだろう。

 電車に揺られながら、教えてもらった長野さんの住所をGナビさんに打ち込んで、そう思った。

視線を窓へ向けると、既に大阪城が見えて来ていた。青い空に溶け込む碧色はいつ見ても美しいと感じられるようになった。不思議なことに、子どもの頃はただ『お城っ』と興奮するだけだった大阪城が興奮剤ではなく、精神安定剤になるとは。一呼吸して、鞄の中からスマホを取り出し、ラインを確かめるが、やはり既読にはなっていない。そして、とりあえず、メッセージを打っておく。

『大丈夫ですか? 連絡が取れないとみんな心配しています。係長から住所教えてもらったので、今からご自宅の方へ向かいますがよろしいでしょうか?』

宙ぶらりんな吹き出しが二つ増えただけだが、突然行くのだから、何となく言い訳を作っておかなければならないと思った。

返事が返ってくればそのまま途中下車でもいいし、梅田まで出てしまってお洒落なランチでもいいかもしれない。それか、天王寺でハルカスでも眺めてこようか。

スマホを片手に手近な夢を叶えてみようかと考える。普段は絶対に上ろうと思えない値段にも、二千円あればハルカスに上って下界を眺めて見るのもいいかもしれない。梅田のグランフロントもまだあまり開拓していないし、ルクアも制覇していない。制覇する前に、また新しい場所ができてしまったくらい。

せっかく早起きしたことだし、無駄遣いになることだけはやめておこう。そう思いながら、車窓に視線を流して過ごす。ホームセンターの大きな看板があったかと思えば、トタン張りの壁があり、遠くに景色が拓けたと思えば、急に昭和レトロな看板群が見え始める。ごっちゃごちゃの景色。

最寄り駅のアナウンスで、再びスマホを覗く。

しかし、返事は返って来なかった。せめて既読になってくれればいいものを。

改めて徒歩15分。歩き慣れない町をその時間歩くのは至難だ。そして、Gナビさんも完璧ではない。

まず東出口の所を西出口から出てしまった私は、再びぐるぐる回り出したGナビさんが訂正した徒歩20分という時間を歩くことになっていた。

ほんとうにつくづくついていない。

 そして、その目的地である長野さんのハイツは、高架下をくぐり、その向こうの静かな下町の中にひっそりと佇んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ