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未読

 結局、長野さんがラインの内容を見ることはなかった。返信は遅い方だったが、さすがに無断欠勤と未読となると心配になる。


『どうしたんですか?』


画面の向こうで私の吹き出しだけが宙ぶらりんと浮いている。


「まだ見てませんねぇ」

「せやろ?」


スマホに視線を落としたまま手抜き弁当を食べている私に愛妻弁当の具を摘み上げた係長はどや顔で言う。私は自分のお弁当の中身をと眺め、本日の色合いを再考する。やっぱり人参よりもミニトマトで赤を添えるべきだったかしら。冷凍の人参バター炒めを摘み上げ、口へと放り込む。数年前よりも格段に美味しくなっているが、やっぱりへにゃりと潰れ、何とも言えない汁が口に広がる。ただ……と係長の愛妻弁当を覗き見る。


 気になるのは彼の動作ではなく、「うまい」とも「まずい」とも言わず、ただ黙々と箸を上げ下げしているだけの彼と自分との共通点が多すぎることだった。私はさっきから係長が摘まむだろうものを避けながら、自分の具材を選り好んでいるのだ。


 結婚も十年経つと冷凍食品が多くなるのかもしれない。さっきから彼の摘み上げるおかずたちは、私が愛用しているものばかりなのだ。しかも、冷凍ではないなと思うものはどう見ても昨日の残りを卵で和えたもの。私がよくする嵩増し法だったのだ。そして、現在摘み上げられている唐揚げは私もよく使う「うまい、安い」が揃った一品だった。きっと奥さんの見る目はあるのだろう。色々な意味で。それに、以外と指が綺麗だという発見もあった。全く意外だ。


「長野さん独り暮らしやからな。何かあったら俺らが気ぃ付けといたらな色々遅れるやろ?」


どうも係長は今『係長』ではないらしい。係長はそんな時、人を呼び捨てにしないから分かりやすい。ただ単に同期を心配する一同期。おそらくそんな感じ。少し警戒心は足りない気はするが、そういう人だから仕方ない。


「そやったら、係長が行きはったらいいじゃないですか?」


私だって長野さんのことが心配である。でも、勝手な同期愛に振り回されるなんて意味が分からない。もしかしたら、何となく、係長に言われて行くということが気に喰わないだけかもしれないけれど。


「いや、行きたいのは山々なんやけどな、明日子どもと一緒にな、釣りに行く約束しててな。ほんま、自由の効いた独身時代が懐かしいわ」


その言葉に僅かにむっとしてしまう。多分二人を包むはずの空気は変わったはずだった。私は冷たい視線を係長に投げかけるが、もはや人形相手に嫉妬しているような、そんな滑稽さすら醸し出している気がした。

人に頼みごとをしておいて、独身時代は懐かしいって。それは独身者に言ってはいけない言葉です。特に、そろそろ何かと焦り出す私には。弁当箱を包んでいた巾着にマイ箸と空っぽで嵩を低く収納したお弁当箱を丁寧に包み、蝶結びをする。係長は四角い弁当箱に風呂敷包みをし終えたところだった。そして、魔法瓶から湯気の立つお茶をとぷとぷ音を立て、コップに移していた。


「じゃあ、日曜日に行きはったらどうですか?」

「いや、一日も早く気付いたった方がいいやろ?」


考える振りだけして、彼はそれをも拒否した。もういいわ。そんな投げやりな気持ちから私の口が喋り出す。別に長野さんのことが嫌いなわけでもなし。気に掛かっていたことでもあるし。


「高熱とかだったら女手の方が役に立ちそうですよね。それに不倫疑われても嫌ですもんね」

「そやろ。そんなことでトレンド飾りたくないしなぁ。だから、お前に頼んどんねや」


そこは全力で否定して欲しいところだけれど、係長はそういう人である。なんというか、その人と形を知っていないと、疑われるタイプ。


「あいつのとこ、猫が来たってゆってたから余計に心配でな。うちらの地域では猫がきたっていうと不吉やったから」

「不吉、ですか? っていうか、係長って長野さんと同郷なんですか?」


私は驚きながら、長野さんが飼っていた猫を思い出す。といっても、話に聞いていただけだけど。子どもみたいだって長野さんはその猫をとても可愛がっていた。でも、その猫が来たのは別に最近というわけでもなく、三年前くらいじゃなかっただろうか。


「せやで。知らんかったんか? お前は市内やろ? 俺らは花柳。同じ中学やってな。ここで再会してん。すごいやろ?」


花柳市は大阪市内に出るだけだと十分かからないくらい。そこから地下鉄に乗りついで、船場と呼ばれるここまでとなると一時間弱。その上での職場で再会とは、確かにすごいと思う。最近は機能性タンクトップやレギンスなども出しているが、宮下商会は工場含め規模五〇名程の靴下業者なのだから。ここを選んで採用され、配属まで同じという確率は結構低いだろう。少女漫画なら確実に運命かもしれない。でも、自慢することではないと思う。運命の相手だったわけでもないのだから。


 しかも驚いているのはこっちのはずなのに、何故か粟を食った顔で返されてしまうのは、そもそもなんなのだろう。聞いたこともないし、興味もないことだったのだから、仕方がないだろうに、どうしてそんなに驚くのだ?奇妙な出来事に言葉を失っていただけなのに、係長は全く意外の形相を私に向けてきて、まるで勉強不足かのようにこと細かに教えてくれた。聞いてもいないのに、……。今日はとことんついていない。

何でも係長は高校進学と共に親の都合で引っ越して、花柳を離れたらしいが、その不吉の部分は全く触れてこない。根も葉もない不倫ネタではなく、不吉の方が気になる。何と言っても、今私はその不吉に近付くことになっているのだから。


 この目の前にいる、何故か不吉を言わない男によって。


「あの、その不吉って聞くと呪われるとかいう奴ですか? あっ、でも長野さんめっちゃ可愛がってましたよ。写メとかもいっぱいあって。すごく懐いてる感じでしたよ。不吉とは程遠い感じですよ」


「そうやったらいいねんけどな。長野さん、昔から猫好きやったからなぁ。可愛がるのは想像出来るわ」

そう言ってから梁坂係長は大きく息をついてから言葉を繋いだ。


「不吉っちゃあ、不吉やし。呪いっちゃあ呪いやねんけどな。どっちかって言うと化け猫の類かな。乗っ取られるとか、喰い殺されるとか……いろいろ言われてたからな」


「めっちゃ不吉じゃないですか?」


思わず声が大きくなってしまった。


「猫のせいで同級生が一人死んでるしな」


 いつの間にか、私は係長に殺されるようなミスでもしたのだろうか。一体、どうしてそんな不吉なことを、今、さらりと言ったのだろう。自分で尋ねたことを棚に上げておいて、私は自然と係長を睨み返す。


「迷信やけどな」


そんな私を見て、やっと何か感じたのだろう。係長が苦笑する。


「分かってますよ」


誰もいないはずの背後から、声を掛けられる恐怖が思い出された。急に背中に氷を転がされたような、猫じゃらしで首を撫でられたような。真夜中のトイレで冷蔵庫の音に驚くような。何となく肌が粟立った。



 いい大人だから信じない。だけど、喰い殺されたり、乗っ取られたりするようなことに、どうして部下のしかも女子に頼むのだろう。もうこれには疑問しか感じられなかった。




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