203Y年1月 北京/東京
中華人民共和国 北京市東城区 国家安全部
長安街を吹き抜ける冬の風が街を切り裂き、灰色の空から舞う乾いた粉雪が、紫禁城の壮麗な歴史的建造物と天安門広場を取り囲む無機質な高層ビルを等しく白に染め上げる。
天安門広場の東側、最高人民法院や公安部といった国家中枢機関が建ち並ぶ一角でも一際異彩を放つ、中国最大の情報機関・秘密警察、国家安全部の要塞のような庁舎。人民武装警察部隊の警備兵が立つ重厚な門の奥の会議室。壁に掛けられた巨大な高精細ディスプレイには、第1列島線の内側に収まる台湾、その北に連なる日本列島の地図が、解剖台に乗せられた臓器のように詳細に描き出される。
「……20世紀末、我が国の2人の若き軍人が提唱した『超限戦』。当時から全世界に衝撃を与え、今や、我が国が遂行すべき聖戦の教典となった」
最高級のマホガニーの家具と最新の暗号化通信機器が奇妙に調和する室内で、円卓の奥に座る李建国・国家安全部長が手元の資料を閉じ、口を開いた。彼の視線は地図上の台湾海峡を射抜いている。
「敵が全く気づかない静寂の中で、まず金融市場、経済力を奇襲し、その国力を根底から枯渇させる。続いて、深く潜伏させておいた論理爆弾を一斉に起動。電力、交通、通信、金融、マスメディア……。文明社会を支える中枢神経を、一瞬にして麻痺状態に叩き落とす。社会には恐慌が走り、街頭には暴動が溢れ、政府は機能不全の深淵に沈む。……ここで大軍が一挙に国境を乗り越え、城下の盟を迫る。血の一滴を流す前に、勝敗は決していなければならない。これが我々の理想とする新時代の戦争だ」
李部長の言葉に、周囲の幹部たちは無言で頷いた。 彼らが目指すのは、甚大な損害を伴う伝統的な大規模着上陸侵攻作戦ではない。それは、1949年、国共内戦時にいくつかの都市で共産党軍により行われた「和平解放」——いわゆる北平モデルの現代的再現であった。
「台湾解放は中華民族の偉大な復興、中国の夢の実現に絶対に欠くべからざるピースであり、新中国建国100周年までにどんな犠牲を払ってでも必ず実現しなければならない、全ての中国共産党員と中国人民の神聖な歴史的任務だ。だが、ロシア軍が陸続きのウクライナに侵攻したのとは、軍事条件が根本から異なる」
李部長はレーザーポインターで台湾海峡を指した。
「海峡は最狭部でも約140キロ。潮の流れは速く、冬場には強風と濃霧、夏場には無数の台風が通過する。この海峡は我々の前に立ちふさがる自然の要害だ。大艦船群が整斉と行動できる時期は春先と秋口に限定される。さらに解放軍の艦艇だけでは同時輸送能力に限界がある。結局、数千隻の民間貨物船を徴用せねばならん」
「更に、数十万規模の地上部隊の福建省周辺への集結、膨大な弾薬や物資の集積、民間船団動員といった準備に最低でも数カ月の期間を要する。現代の偵察衛星やSIGINT、OSINTの監視下でそれらを隠し通すことなど不可能だ。開戦の数カ月前から米日や台湾に手の内を露見させ、万全の迎撃態勢を整えさせることになる」」
彼はさらに地図を拡大し、台湾西部の海岸線をなぞった。
「上陸に適した地点は台北、台南、そして台中のわずかな箇所に限定される。しかも海岸から一歩踏み出せばすぐに密集した市街地だ。部隊を展開する地積などどこにもない。仮に内陸へ侵攻しても、島を南北に分断する中央山脈という天険が、東部進出を絶望的にさせている。加えて、分裂主義者の軍隊は侮れん。予備役を総動員すれば200万を超える兵士と、地形や建築物を巧みに利用した陣地配備、ミサイルやドローンの飽和攻撃、そして無数の機雷による海上障害……。鋼鉄の力だけでこれらを突破しようとすれば、人民解放軍は建国以来最大の出血を強いられるだろう」
「だからこそ、前世紀の血腥いノルマンディー上陸作戦モデルを超越した、新たな手法で臨まなければならない。我々の偉大なる教訓は、解放戦争における北平『平和解放』にある」
「武力による完全包囲と、銃口を突きつけた上での政治交渉。敵に『戦うだけ無駄だ』と確信させ、内部から崩壊を誘発させる……全く戦わずして勝てる、とは流石に言わん。巧みに戦うことで敵の戦意を喪失させる、知恵をもって戦うことで敵の心を潰す。そして、人員に死傷なし、財産に損害なしという大勝利を達成する。これが、マルクス・レーニン主義、毛沢東軍事思想、そして偉大なる周華平主席が提唱された新時代の強軍思想を真に実践する、中国の特色ある新型戦争だ」
部下たちの前で自らの作戦構想を中国共産党の公式イデオロギーに附会した李部長は、窓の外の雪景色に目をやった。
「そのためには、下準備が必要だ。台湾と日本の政治社会という肥沃な大地に、長時間をかけて『疑念』と『分断』の種を撒いておく。戦争が始まった瞬間、彼らが自分たちのリーダーを疑い、同盟国を憎み、武器を手に取る意味すら見失うように。脳を腐らせ、心を潰せば、鋼鉄の軍隊はただのガラクタに成り下がる」
「本来なら、日本と米国を完全に局外に置くことが理想だ。だが、『あの島』を放っておくわけにはいかん。あの場所を日本軍国主義の手から切り離さない限り、米日から分裂勢力への支援が送り込まれ、奴らの命脈をつなぎとめる『血管』となり、我々の作戦を根底から成り立たなくしてしまうだろう」
日本・東京都新宿区 防衛省
新宿区市ヶ谷本村町。江戸時代には尾張徳川家の上屋敷が置かれ、明治時代からは大日本帝国陸軍士官学校が聳えた市ヶ谷台は、今や防衛省本庁舎が鎮座する巨大なコンクリート要塞へと姿を変えている。靖国通りから見上げる丘の上、情報や通信関係部門が集中するC棟屋上には、巨大な通信鉄塔が冬の星座を突き刺すように銀色の肢体を伸ばし、赤い航空障害灯が明滅を繰り返していた。
C棟の地下、自衛隊サイバー防衛隊、ネットワーク運用隊のオペレーションルーム。都心の華やかな夜景から隔絶された窓のない密室で、24時間稼働する数百台のサーバーが発する微かな排熱音が澱むなか、防衛情報通信基盤の管理運用や通信監査に用いられる大型モニターが警告を示す真紅の光に染まる。
「……DIIに侵入を許したのか?」
ネットワーク運用隊司令は、眉間に深い皺を刻み、流れるログを凝視した。 外部ネットワークから物理的に遮断され、高度に暗号化されているはずの基幹システムに対し、執拗かつ巧妙な不正アクセスが確認されていた。
「はい。しかもDIIからさらに、陸自第15師団と第14旅団の戦術レベルの師旅団通信システムにまで、何者かが持続的なバックドアを設置しようとした形跡があります。現在調査中ですが、いずれかの駐屯地のWi-Fiルーターの脆弱性を突かれた模様です。手口から見て、中国系の高度で持続的なサイバー脅威、『Black Tech』系統によるものと推測されます」
司令の顔に苦い皺が刻まれた。
「沖縄の要石である15D、そして防衛警備計画において与那国島に機動展開する14Bか。明らかに最近の台湾情勢と連動していそうだな」
司令はモニターの端に表示されたデジタル時計に目をやった。時間は正確に刻まれているが、目の前のサイバー空間では、平時と有事の境界線がすでに曖昧になり、溶け始めていた。




