203Y年2月8日 ニューヨーク
2月8日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 国際連合本部ビル
イーストリバーを望む国連本部ビルは、寒波によって白く凍りついていた。灰色の空からは細かい雪が舞い、マンハッタンのビル群を覆い隠している。
安全保障理事会において、中国による「平和の破壊及び侵略行為」を認定し、軍事行動の即時停止を義務付ける決議案が、常任理事国である中国とロシアの拒否権行使により廃案となったのは、事態発生の翌日だった。
日本、アメリカ、英国、フランス、韓国、オーストラリア、フィリピンなどの諸国は、直ちに1950年の国連総会決議377A「平和のための結集」決議に基づき、国連総会における「緊急特別総会」の招集へと踏み切った。
しかし中ロの代表団は、議題の採択手続きに対する異議申し立て、委任状審査委員会の開催要求、逐語訳の不備を理由とした審議中断の動議、深夜に及ぶ時間オーバーの演説、逆に日本の琉球民族弾圧と米国の台湾分裂勢力支援を批判する決議案提出など、あらゆる議事妨害を連発し、採決を迎えるまでに何日もの時間を空費させた。
その膠着の最中、各地域ブロックの外交姿勢はすでに鮮明な対比を描いていた。
現地時間で2月6日夕刻、ベルギーのブリュッセルにある北大西洋条約機構本部では、暗号化回線を通じた緊急のオンライン外相会議が招集された。
バルト3国国境地帯での所属不明武装勢力やドローンの侵入、重要インフラ破壊等をロシアによる組織的なハイブリッド攻撃と断定し、自国の「領土保全、政治的独立または安全が脅かされている」と認めたバルト3国からの要請による、北大西洋条約第4条に基づく正式な協議であった。
画面越しに32カ国の外相が並ぶ中、事務総長は重々しく口を開いた。
「バルトにおける危機は単独のものではない。大西洋とインド太平洋の安全保障は切り離せない。NATOはヨーロッパ東部における防衛態勢引き上げのみならず、日本の主権および領土一体性を全面的に支持し、台湾住民が自らの政治的な運命を自らの意思によって決定する権利、すなわち台湾において確立されている自由と民主主義を擁護し、中国の封鎖措置、ならびに北朝鮮軍を巻き込んだと疑われる非正規軍事行動を強く非難する。我々は同盟国およびパートナー国と連携し、いかなる力による現状変更の試みにも結束して立ち向かう」
欧州理事会も緊急声明を採択し、台湾海峡とルソン海峡における全ての国の船舶ならびに航空機の航行の自由維持を要求した上で、中国と北朝鮮に対する追加制裁パッケージの策定に入っていた。
一方、同日、ジャカルタの東南アジア諸国連合本部で開かれた緊急外相会議の空気は対照的だった。議長国インドネシアの調整のもとでまとめられた共同声明は妥協の産物となった。
「すべての国家の主権と領土一体性の尊重を再確認し、関係当事者に対し最大限の自制と、国際法に基づく平和的対話を求める」
中国や北朝鮮の名指しは避けられ、海上封鎖の違法性についての直接的な言及も見送られた。経済的に中国依存を深める国々と、中国の海洋進出に危機感を募らせる国々の間で意見はまとまらず、声明は原則論に終始した。
各国の温度差を孕んだまま、2月8日、ニューヨークの国連総会議場はようやく最終演説と採決の時を迎えていた。
演壇に立った日本の国連常駐代表、山崎和之特命全権大使は議場を見回した。
「中国による台湾の『隔離』は、国際武力紛争法における海上封鎖が合法となるための要件を何一つ満たしていません。これは明白な国際法違反であり、世界の安全保障と経済にとって不可欠な台湾海峡の平和と安定を、一方的な力によって破壊する行為です」
山崎大使は手元の資料をめくり、さらに語気を強めた。
「さらに深刻なのは、我が国の領土である与那国島を不法占拠した武装勢力の中に、北朝鮮軍の装備品や、朝鮮語を話す人員が確認されている点です。占領された与那国島は中国の軍艦と航空機に取り巻かれ、日本政府による接近が阻害されています。違法な核・ミサイル開発やテロリズムにより、中国自身がかつて賛成した安保理決議によって累次の制裁下にある北朝鮮の軍隊を、他国の領土侵奪に利用しているとすれば、断じて容認できません。これは国連憲章第2条第4項が禁ずる『武力による威嚇または武力の行使』であり、国連総会が明確な非難を行うべき事態です」
続いて米国の常駐代表であるマイク・ウォルツ大使が演壇に立ち、加盟国に賛成を呼びかけた。
「中国が台湾海峡で展開している『防疫』なる措置は、公海とデジタル空間に下ろされた新たな『鉄のカーテン』だ。台湾の通信を途絶させ、日本の島に北朝鮮の部隊を送り込む行為を、我々は『平和的解決』とは呼ばない。それは侵略だ。中国共産党は自国の国内法を国際法の上に置こうとしている。自由な航行を重んじるすべての国家は、この封鎖に明確な拒絶を示さなければならない」
英国の常駐代表、サラ・マッキントッシュ大使も演壇に立った。
「我が国は、公海における航行の自由を国際秩序の根幹であると認識している。一方的な航路封鎖は、世界中のサプライチェーンに対する挑戦だ。もし今日、この議場で現状変更の試みを追認するならば、国際法による支配の原則は根底から損なわれる。我が国はこの決議を支持する」
フランス代表のニコラ・ド・リヴィエール大使が続く。
「一方的な現状変更の試みは容認できません。感染症対策を口実に公海を遮断し、他国の通信ケーブルを切断し、不透明な武装工作員を潜伏させる。これが国際秩序を支える大国の振る舞いでしょうか。フランス共和国は、日本の主権と領土一体性、そして台湾海峡の平和と安定を支持します」
フィリピン代表のアントニオ・ラグダメオ大使は、周辺海域を抱える当事者としての立場から訴えた。
「我々は海を隔てた隣人として、この恐怖を理解している。南シナ海で起きてきたことが、今、台湾海峡と与那国島で繰り返されているのです。今日、台湾が封鎖され、日本の島が奪われるのを見過ごせば、次は我々の番になる。これは対岸の火事ではない。我々にとって生存に関わる問題です。フィリピン共和国は、本決議に賛成票を投じます」
ベトナム代表のダン・ホアン・ザン大使も演壇へ進んだ。
「ベトナム社会主義共和国は、すべての主権国家の領土一体性と独立を尊重する。国連憲章、とりわけ第2条第4項は、いかなる理由があろうとも武力による威嚇や行使を禁じている。現在起きている通信遮断や海上隔離は、平和的解決という国際社会の共通目標に反するものである。ベトナムは対話による解決を求めると同時に、いかなる形式の侵略行為にも反対し、本決議案を支持する」
しかし、広大な議場に並ぶ190あまりの加盟国の反応は二分されていた。
中国の常駐代表、傅聡大使が答弁台に立った。
「台湾海峡で行われているのは、我が国内における重大な致死的感染症への緊急的な防疫措置である。これは人道的な『隔離』であり、戦争ではない。台湾は中国の不可分の一部であり、国家間の武力衝突と同一視するのは悪意ある歪曲だ。これは中華人民共和国の伝染病防治法など、国内法令に基づいて行われている正当な法執行である」
傅聡大使は日本と米国を指し、強い言葉で突き放した。
「日本が主張する与那国島の問題にしても、通信が途絶した状況で何が起きているのか、客観的な証拠は一切示されていない。朝鮮民主主義人民共和国軍の関与などという荒唐無稽な言いがかりに至っては、自国の治安統制の破綻を他国へ転嫁するための捏造に過ぎない。中国脅威論を煽り立てる日本の右翼新型軍国主義勢力、そしてそれを背後から操る傲慢なアメリカの策動に、我が国は断固として反撃する」
続いて指名された北朝鮮代表の金星大使も、粗暴な声調で演壇のマイクを叩くように言い放った。
「日本の主張は、我が共和国の尊厳を傷つけるための下劣な謀略劇だ! 我が共和国軍の部隊が日本の島に入り込んだなどという捏造情報は、侵略主義的な再軍備を正当化するための自作自演に過ぎず、客観的な物的証拠は何1つ存在しない!もし我が共和国の名を軽々しく口にするならば、相応の報復措置を受けることになるであろう!」
議場の通路やロビーでは、中国外交官たちが発展途上国の代表団に対し、決議に賛成すれば進行中の港湾や鉄道インフラ整備融資を見直すという圧力をかけ続けていた。同時に、農産物の優先買い取りや追加支援の約束が、棄権を促す材料としてアフリカや中南米、中東諸国の代表へ提示されていた。
そして、運命の採決が始まった。
巨大な電光掲示板に、各国の投票結果が光の点で表示されていく。緑が賛成、赤が反対、黄色が棄権。
日米欧や太平洋の島嶼国が積み上げた緑のランプは、100を超えて伸びていった。しかし、それ以上に目立ったのは、広大な面積を占めるアフリカや中東、中南米諸国の「黄色」の光だった。
最終結果が表示される。
賛成120。
棄権63。
反対10。
賛成票は過半数を大きく上回った。しかし、緊急特別総会における「重要問題」の決議採択に必要とされる「出席し、かつ投票した加盟国の3分の2」という規定の前に、わずか数票差で届かなかった。
「……賛成票が必要多数に達しなかったため、本決議案は否決されました」
議長による事務的な宣告が、静まり返った議場に響く。議席に座る山崎大使は、重い息を吐いて書類を閉じた。
窓の外では、マンハッタンのビル街を覆い隠すように、冷たい雪が降り続いていた。




