203Y年2月7日 ホルムズ海峡/フジャイラ
2月7日 ホルムズ海峡 国際水域
ペルシャ湾の出口、オマーン領ムサンダム半島の切り立った石灰岩の崖が、青い空を区切るように突き出していた。対岸のイラン領ララク島周辺には強い日差しによる密度の変化で蜃気楼が立ち上り、岩礁が海面に浮いているように揺らめく。世界の原油の約5分の1が通過するこの海峡は、午後の湿り気を帯びた熱風に包まれていた。
海面はエメラルドグリーンを呈しているが、水深の浅い海域特有の潮流が、鈍く光る波紋を描いている。その中央部の国際水域を、パナマ船籍のタンカー「フォルモサ・エメラルド」が、30万トンの原油を満載して低速で航行していた。全長330メートルの船体には、台湾の大手海運会社のロゴが刻まれている。
「船長、水上レーダーに多数の反応。北、イラン領海側から接近してきます」
ブリッジに2等航海士の声が響いた。フィリピン人船長が双眼鏡を覗き込むと、白い航跡を引いて近づいてくる十数隻の小型ボートの群れが視界に入った。イラン革命防衛隊海軍所属の高速攻撃艇だ。50ノット近い速度で波を越えるその船体には多連装ロケットランチャーが搭載され、黒い塗装が陽光を受けている。
『こちらイラン・イスラム革命防衛隊海軍。貴船は環境汚染の疑いがある。停船し、臨検に応じよ。繰り返す、主機を停止せよ』
VHF無線の国際緊急周波数から、ペルシャ語訛りの英語が響いた。
「こちらは国際航路を航行中の商用船舶だ。汚染の事実はない。航行の自由を行使している」
船長がマイクに向かって返答したが、高速艇の群れはタンカーの船体へ至近距離まで詰めてきた。1隻が、船体に向けて14.5ミリ重機関銃の射撃を開始した。
鋼鉄を打つ乾いた連続音が響き、タンカーの外壁に火花が散る。同時に、上空から重いローター音が近づいてきた。IRGCの旧ソ連製Mi-17ヘリコプターがタンカーのデッキ上空でホバリングに移ったのだ。砂漠色迷彩の機体から吹き下ろす気流が、甲板上の海水を霧状に巻き上げる。
「強行接舷してくるぞ。全員、ブリッジを施錠しろ。退避区画へ向かえ」
船長が叫び終える前に、ヘリから吊るされたファストロープを伝って、黒い戦闘服を着た革命防衛隊の兵士たちが甲板へ降り立った。彼らの手には使い込まれたAK-47突撃銃が握られている。
「扉を開けろ。抵抗すれば撃つぞ」
兵士の一人が、ブリッジの強化ガラスを銃床で叩いた。数分後、制圧されたブリッジの床に船長たちが座らされていた。
「……これが国際社会でどんな事態を引き起こすか分かっているのか。不法な拿捕だ」
船長が抗議すると、部隊の指揮官は窓の外、東の方角を指差した。
「お前たちの船会社は、北京の友人に多大な迷惑をかけている。我々はその手伝いをしているに過ぎない」
「フォルモサ・エメラルド」は本来の針路を外れ、イラン南部、ホルムズガーン州バンダレ・アッバース港を目指して回頭を始めた。
アラブ首長国連邦 フジャイラ首長国 フジャイラ市
オマーン湾の海を背に、切り立ったハジャール山脈の山肌が陽光を浴びている。16世紀に築かれたフジャイラ砦の泥煉瓦の塔が、小高い丘の上から近代的なビル群を見下ろしていた。かつて漁業や真珠採りの拠点だった地は、今や世界第3位の船舶用燃料供給拠点となっている。
沿岸部には直径80メートルを超える石油貯蔵タンクが並ぶ。アブダビの砂漠を380キロメートルにわたって横断してきた「ADCOPパイプライン」の終着点だ。ペルシャ湾とホルムズ海峡というチョークポイントを迂回し、直接インド洋のオマーン湾へ原油を搬出できる戦略的拠点である。
リゾートホテルの砂浜に近いフジャイラ郊外、UAE陸軍の防空陣地でアラビア語の指示が飛んだ。
「目標捕捉。複数、低空より接近」
砂漠用迷彩服を着たUAE陸軍防空中隊の操作手たちがコンソールを見つめる。米国製ペトリオットPAC-3地対空ミサイルシステムの四連装ランチャーが、山脈の方角へ仰角を上げた。
山脈の稜線を越え、低空を飛来したのは、イエメンのホーシー派が放った自爆型ドローン「サマド3」と、巡航ミサイル「クズ」の編隊だった。防空レーダーの死角を突くため、深く刻まれた谷間を縫うようにして港湾施設へ迫る。
「迎撃開始」
中尉の号令とともに、ペトリオットが白煙を曳いて打ち上がった。数秒後、ハジャール山脈の上空で閃光が弾け、ドローンの破片が岩肌へ落ちていく。しかし飛来する目標の数は、防空システムの同時処理能力を逼迫させていた。
「低空の1目標、迎撃網を通過。着弾まで15秒」
1発の巡航ミサイルが対空火網を抜け、港湾北部の石油ターミナルへ突入した。
閃光に続き、石油貯蔵タンクが内部の原油とともに吹き飛んだ。地面を揺らす重低音が響き、熱波がフジャイラの街並みへ広がり、建物の窓ガラスが割れる。青空へ向かって黒煙が立ち昇っていく。
積み出し岸壁では配管が破損し、流出した原油が海面に広がって火が燃え移った。ホルムズ海峡の迂回ルートが機能を失った瞬間だった。
この様子は上空を飛行していた米空軍のMQ-9B無人偵察機によって捉えられ、バーレーンの米海軍第5艦隊司令部へ送られていた。
現場海域へ急行可能な戦力として、台湾海峡での有事を受け、増援としてインド洋を東進中だったアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦「ハルゼー」と「ストックデール」の2隻が存在していた。しかし、海峡とパイプラインの双方が機能を停止した状況を受け、第5艦隊司令部は苦渋の判断を下した。
「両艦へ打電。東進を中止し、反転してホルムズ海峡へ向かえ」
ユーラシア大陸の東西で同時に発生した事態が、米軍の戦力を分散させていた。




