203Y年2月6日 東京
2月6日
日本・東京都
戦後初の治安出動命令、その衝撃は列島を揺るがし続けていた。
永田町の国会議事堂周辺、各党本部では、野党幹部たちが険しい表情でマイクの前に立った。
「政府の決断は、この事態において唯一残された、国家存続のための苦渋の選択だ。我が党は総理の決断を断固支持する」
保守系野党・日本国民党の浅見代表が早々と立場を明確にする一方、野党第一党である中道リベラル、立憲改革連合の峰岸代表は、慎重に言葉を選びながら発言した。
「領土と国民の安全を守るための措置として、一定のやむを得なさは認める。しかし、武力行使に準ずる実力行使の歯止めと文民統制の確保、住民の権利侵害への配慮が不可欠だ。国会承認の手続きにおいて、政府の説明責任を徹底的に追及する」
それに対し、伝統的左派勢力の社会進歩党や共産革命党は、激しい語気で糾弾の声明を発表した。
「これは、平和を求める沖縄市民の声を力でねじ伏せ、ついには日本全土を軍靴の下に置こうとする暴挙だ! 緊急事態布告と自衛隊の治安出動は、国民の自由を奪い、銃口を市民に向ける強権的な軍事独裁への第一歩である! 大泉内閣は退陣せよ!」
なお、反グローバリズムやディープステート陰謀論を唱えて議席を伸ばしてきた極右系新興政党「日本主権同盟」は、現段階では賛否を公言せず沈黙を保っていた。
永田町の執行部にとって、事態は綱渡りの局面を迎えていた。与党・民自党の国会対策委員長が、人目を避けた衆議院第1議員会館の奥で、連立を組む日本創新の会の幹事長に眉をひそめて囁きかける。
「自衛隊法78条の規定通り、20日以内に国会の承認を取らねば部隊は撤収だ。衆院はうちとあんたらで過半数がある。だが、問題は参議院だ」
「ねじれの壁ですね。法律や予算の議決と違って、治安出動の国会承認には衆院の優越が利かない。参院で否決されれば、それで終わりだ」
「ああ。話のわかる野党を説得して何としてでも賛成を取り付けなきゃ、この国はおしまいだ。文民統制の強化、国会報告義務を付帯決議に盛り込む条件を提示しつつ、票読みを進めてくれ」
空は鉛色に垂れ込め、寒風が街路を吹き抜けていた。しかし寒さを打ち消すかのような異様な熱気が、各地の主要駅前や官庁街を覆っていた。
「日本を戦争に巻き込むな!」
「米軍は今すぐ撤退しろ!」
「台湾のために若者を死なせるな!」
新宿駅南口の広場は、色とりどりの幟やプラカードを掲げた群衆で埋まっていた。拡声器から流れる怒号がビル街に反響する。
歩道の一角では、ヘルメットにタオルで顔を隠した極左暴力集団セクトの高齢活動家たちがアジテーションを飛ばしていた。
「軍隊の銃を国民に向ける治安出動粉砕!」
「階級闘争の火蓋を切れ!」
彼らは警視庁機動隊のポリカーボネート製の盾に体当たりを繰り返し、怒号と揉み合いを展開していた。
「押すな! 暴力行為をやめなさい!」
規制線のロープがきしむ。横須賀の米海軍基地ゲート前でも、左翼活動家たちが鉄柵を揺らし、基地労働者の車両を塞いで大混乱を引き起こしていた。
しかし、街を歩く大多数の国民は、デモの喧騒を冷ややかな目で見やり、足を止めることなく通り過ぎていた。
「また騒いでるよ」
「でも、本当に物資が止まったら困るよな……」
政治的な過激思想には同調しないものの、社会の動揺は、広く深く市民生活を侵食していた。
短文投稿型SNSや動画投稿サイトでは、ハッシュタグがタイムラインを埋め尽くしていた。
#徴兵制反対、#第三次世界大戦、#長崎に核、#飢餓から日本を守れ――
『@User_ShieldJapan: 【拡散希望】佐世保基地から長崎県に米軍の戦術核が運び込まれたとの内部告発! 日本が核攻撃の標的にされる! 政府はこれを隠蔽している! #長崎核持ち込み #米軍撤退 #台湾有事は日本有事ではない』
『@News_Leaker_X: 防衛省が「国民保護計画」の名目で徴兵名簿を作成中。18歳から30歳の全男女に赤紙が届く。台湾有事は日本の若者を間引きするための陰謀だ。 #徴兵制復活 #自衛隊反対 #台湾有事は日本有事ではない #大泉内閣総辞職を求めます』
『@Blockade_Watch: 既に東シナ海は封鎖された。食糧自給率38%の日本はあと2週間で食料が尽きる。スーパーから物が消える前に備蓄を! #買いだめ #飢餓』
それらは加工されたフェイク動画や、出所不明の文書画像を伴っていた。長崎県佐世保市の米軍基地周辺で、黄色い放射能標識のついたコンテナを運ぶトラックの動画――数年前にドイツの演習映像を切り貼りして作成されたもの――は、短時間で数百万回再生され、人々の疑心暗鬼を刺激した。
都内のスーパーマーケットでは、開店前から長蛇の列ができていた。食料供給の停止を信じた市民たちが、米、水、缶詰、トイレットペーパーをカートに詰め込んでいく。棚からは商品が消え、殺気立った客同士の怒号が店内に響く。
「1人2点までだって言ってるだろう!」
「うちの家族を見殺しにしろって言うのか!」
官邸や防衛省の電話回線は、抗議と問い合わせで繋がりにくい状態が続いていた。松沢内閣官房長官が連日のように記者会見を開く。
「国民の皆様に重ねて申し上げます。我が国への核持ち込みの事実は一切ありません。徴兵制の検討を行っているという情報も完全な虚偽です。冷静な行動をお願いします」
東京都千代田区 中央合同庁舎第2号館 警察庁
皇居の南方、桜田門交差点の角、警視庁本部と法務省旧本館、いわゆる赤レンガ棟に挟まれた霞が関2丁目の中央合同庁舎第2号館。その20階、警察庁警備局と外事情報局が入居するフロアは、他部局とは一線を画す厳重なセキュリティで遮断されている。マルチモニターを見つめる対中国防諜担当、外事第2課課長補佐の警視が、腕組みをする課長に画面を示した。
「……典型的な認知戦です」
「発信元の特定はどうなっている」
「海外のプロキシサーバを経由したボットネットです。外国の工作機関が、日本の社会不安を煽るために事前に用意していたシナリオを一斉に流布していると見て間違いありません。デモの現場では極左セクトが騒ぎを拡大させ、ネット空間で一般層の恐怖をかき集めて増幅させています」
「……数年前まで、中国の偽情報工作といえば、書き込みの量は多いものの、そのほとんどが中国国内向けの硬い宣伝をそのまま機械翻訳したようなレベルの低い、はっきり言って失笑ものばかりだったが。いつの間にここまで効果的な工作を行えるようになったんだ」
「未確認ですが、米国中央情報局からのレポートにあった参考情報として、ソ連時代から伝統的に情報戦に習熟しているロシアの情報保安機関がここ1年ほど、対欧米SNS工作の経験豊富な何人もの『政治技術者』を、『技術交流』のために中国国家安全部に送り込んでいる。そのような噂も――」
窓の外からは、遠く霞が関の交差点で叫ぶデモ隊のシュプレヒコールが微かに届いていた。
東京都千代田区 国会議事堂
事態の切迫を受け、衆議院安全保障委員会と参議院外交防衛委員会による合同審査会が開かれ、審議の効率化が進められた。しかし、本会議場の重い扉の内側では、依然として激しい討論の応酬が続いていた。
「違憲の治安出動を撤回せよ!」
「これは国民への宣戦布告だ!」
共産革命党や社会進歩党の議員たちが壇上で叫び、議長の制止を無視して演説を引き延ばす。
だが、議事堂の控室で与野党国対幹部が交わした合意文書が事態を動かした。民自党・日本創新の会に、日本国民党が即座に同調。更に立憲改革連合の党内においても峰岸代表ら穏健保守派が必死の説得にあたり、与党と合意が成立。文民統制の国会報告義務を付帯決議に盛り込むことで、可決に必要な過半数を確保したのだ。
まず衆議院本会議において、賛成多数で治安出動命令が承認された。
衆議院から議案書が送付され、直ちに開かれた参議院本会議。議長席の木槌が乾いた音を立てた。
「本案の採決を行います。賛成の諸君の起立を求めます」
反対派の激しい罵声が吹き抜けの天井に反響する中、中央通路を挟んだ議席の半数以上が立ち上がった。
「賛成多数。よって本案は可決されました」
東京都千代田区 内閣総理大臣官邸
法的手続きが完了した安堵も束の間、内閣情報集約センターに各省庁からの緊急情報が相次ぎ、危機管理センターのオペレーションルームへ逐一転送されていた。
経済産業省から出向している総括係長が受話器を置き、報告の声を張り上げた。
「資源エネルギー庁より緊急連絡。九州電力の基幹送電網が切断されました。福岡、佐賀、長崎の3県にわたり大規模停電が発生しています」
「原因は判明しているのか」
「山間部における複数の基幹送電鉄塔の倒壊です。巡回員の初期確認によれば、支線の基礎ボルトが意図的に外され、爆破された痕跡が確認されたとのことです」
「総務省総合通信基盤局より報告。宮古島および石垣島において、NTT西日本の通信交換局から火災が発生しました。敷地外周フェンスの切断と発火器具が発見されており、人為的な破壊工作と推定されます」
「国土交通省危機管理室より入電。関門橋の北九州側上り線において、大型トラック1台が炎上。車両は積載物が激しく燃焼しており、消火活動のため上下線とも通行止めとなっています。運転手は車両を放置して現場から逃走、現在警察が行方を追っています」
「関門トンネルの通行状況はどうなっている」
「交通集中により両坑口で大渋滞が発生、流入制限が敷かれています。本州と九州を結ぶ道路交通網が事実上、麻痺状態にあります」
オペレーターがさらに画面を更新する。
「同じく国交省鉄道局経由、JR九州からの報告です。九州新幹線の新玉名から熊本駅間において、線路沿いの信号通信機器箱および軌道回路が複数箇所で破壊されました。これにより保安装置が作動し、博多・鹿児島中央間の全線で運転を見合わせています」
モニターに表示された日本列島の運行・通信状況図は、九州と南西諸島を皮切りに、情報の灯や運行路を示すラインが次々と消えていく斑模様を描き出していた。




