203Y年2月4日 台湾周辺海域/宇宙空間
203Y年2月4日
台湾周辺海域
日付が変わる時刻も近づいた深夜、分厚い冬の雨雲が月光を吸い込み、海は鉛色から底知れぬ黒へと沈んでいた。
宜蘭県五結沖、屏東県枋山沖、新北市八里沖、そして台東県大武沖。台湾島を取り囲む4つの海域で、中国人民解放軍海軍の予備役軍人が操船する民間貨物船の改装された底面ハッチから、魚雷のような流線型の無人潜水機が海中へと滑り降りていった。
台湾を取り巻く海底地形は、東西で劇的にその表情を変える。
大陸側の西岸、台湾海峡は水深数十メートルから百メートル前後の浅い大陸棚が広がり、激しい潮流が砂泥を常に巻き上げる。八里沖の浅い海底泥の中を這うUUVは、低周波ソナーで濁った海水を透視し、台湾から日本、韓国、中国などアジア域内を環状に結ぶ国際海底通信ケーブル、EAC-C2Cの埋設ラインを正確に捉えた。
一方、太平洋に面した東岸は、海岸からわずか数キロ進むだけで水深1000メートル、2000メートルの暗黒へと切れ落ちる峻険な海溝地帯だ。五結沖の海底では急斜面の岩礁の隙間を縫うように、日本から台湾、シンガポールまでを結ぶAUG Eastケーブルの黒い保護管が沈んでいた。さらに南方、台東県大武沖の切り立った海底峡谷の縁では、グアムや北米へ伸びるTPUケーブル、そしてバシー海峡の激しい海流が洗う枋山沖の海底谷の底では、同じくEAC-C2Cの南側ループが泥に半分埋もれていた。
数カ月前から中国海軍の潜水艦がこれらの海域に出動してマッピングしてきた精密測深データに基づき、4機のUUVは暗黒の深海で目標に吸い付くように接近する。アームの油圧カッターと成形炸薬が、分厚い鋼線アーマーで覆われた外装部をがっちりと挟み込んだ。
現代社会において、国際データ通信のほとんどは、深海底に沈められた光ファイバーケーブルによって担われている。通信衛星が代替できる伝送容量は全体のわずか1%程度だ。台湾と世界を結ぶ海底ケーブル網は、平時の金融決済、半導体サプライチェーンの受発注、軍や政府の暗号回線に至るまで、全情報流通の99パーセントを物理的に支える巨大な中枢神経系であった。
中華民国/台湾 新北市淡水区
淡水河の河口北岸、普段であれば夕日を眺める観光客や散策する市民で賑わう淡水沿岸部の北寄りを走る中正路二段の周辺は、やがて海風を遮る防風林と新興の低層アパート、資材置き場が点在する寂しげな光景へと変わる。道路を挟むようにして建つ中華電信と新世紀資通(遠伝電信/NCIC)の海底ケーブル陸揚げ局舎は、要塞のようなコンクリートの外壁を夜雨に濡らしていた。
ここにはAPCN-2、SJC2、TPE、EAC-C2C、そして米グーグル社が投資する太平洋横断回線FASTERなど、日本や米国、東南アジアを結ぶ幹線が密集している。
街灯の光が届かない路肩の暗がりに、現地の黒社会を通じて手配された通信会社の偽装ワンボックスカーが滑り込んだ。
車内では、中国人民解放軍東部戦区第72特殊作戦旅団の工作員たちが低光量暗視ゴーグルを装着し、サプレッサー付き短機関銃の遊底を静かに引く。
「海中の切断と完全に同期させる。ゼロ時ジャストだ」
班長が押し殺した声で告げる。
局舎の監視カメラと外周赤外線センサーは、サイバー戦部隊の手によって、数分前から正常時の録画映像がループ再生されるよう細工されていた。
通用門の脇に立つ2名の武装警備員に対し、闇の中から吸音された数発の射撃が放たれる。警備員が濡れたアスファルトに崩れ落ちるのとほぼ同時に、工作員たちは工具でフェンスを切り裂き、敷地内へ雪崩れ込んだ。
局舎の堅牢な防護ドアに対し、小型の成形炸薬がセットされる。くぐもった破裂音とともに電子ロックが吹き飛び、工作員たちが煙の立ち込める屋内へ突入した。
「警備室、通信室を制圧! 職員は縛って床に転がせ!」
「地下のケーブルピットへ急げ。時間がないぞ!」
工作員2名が階段を駆け下り、海岸のマンホールから引き込まれた腕の太さほどもある海底ケーブルが林立する地下ヴォールトへ突入した。その上階のサーバルームでは、光端局装置の青いLEDインジケータが無数に点滅している。
「おい、SLTEラックだけじゃないぞ。奥の給電装置を確実に吹き飛ばせ」
通信工兵の資格を持つ工作員が叫ぶ。
数千キロの海底を這うケーブルには、光信号を増幅するためのリピーターが数十キロごとに沈んでいるが、PFEから数千ボルトの直流電流を送り続けなければ海中の増幅器は停止する。
銀色の分厚い給電キャビネットと光ファイバー集合ラックの隙間に、粘土状のC4爆薬とテルミット焼夷剤のブロックが手際よく詰め込まれていった。
中華民国/台湾 宜蘭県頭城鎮
太平洋から吹き付ける冷たい風が、烏石港の防波堤と黒い砂浜を激しく叩いていた。雪山山脈の急峻な山影が背後に迫る頭城鎮の沿岸部。協天路の中華電信頭城局舎、そして吉祥路のREACH局舎周辺は、防風林のクロマツと水田、民宿が散在する静かな地域だ。しかしその地下には、APG、NCP、PLCN、ApricotやRNALなど、太平洋を横断して台湾とアジア各国とを結ぶ巨大容量の光ファイバーが束になって吸い込まれていた。
まず、数キロ離れた頭城の市街地で陽動が始まった。
「ドローン発進。目標、頭城変電所および警察分駐所」
市街地の空き地から放たれた小型の自爆ドローン数機が、変電所の高圧トランスと警察分駐所の車庫へ突入した。
夜空をオレンジ色に染める連続爆発。直後、頭城の市街地の一角が停電によって暗闇に沈み、遠くから消防車とパトカーのけたたましいサイレンが響き始めた。局舎周辺を警戒していた警察のパトカーも現場を離れていく。
「陽動成功。突入するぞ」
協天路の中華電信局舎と吉祥路のREACH局舎のゲートへ、それぞれ工作員が取り付いた。
守衛室を短機関銃で沈黙させ、建物内へ突入。主配線盤が並ぶ主幹通信室の扉を蹴破る。
「PLCNの光ファイバーラックはこれだ。香港を迂回してアメリカへ直結する幹線だぞ」
「全部まとめて灰にしてやる」
工作員がテルミット焼夷剤の信管をセットした。点火されれば3000度を超える高熱を発し、繊細なガラス繊維の光コードも、周囲の基板も、すべてをドロドロの鉄くずへと溶解させる。
「全目標、爆薬設置完了。タイマーセット。退避!」
漆黒の海中と、冷たい雨に打たれる陸上局舎で、破滅の時が同時に訪れた。
五結沖、枋山沖、八里沖、大武沖の水深数十メートルから数百メートルの暗黒の中で、UUVの成形炸薬が青白い閃光を放ち、油圧カッターが分厚い鉄線外装ごと光ファイバーの芯線を寸断した。浸水した海水が高圧電流と接触し、深海で激しいショートが発生する。
時を同じくして、淡水の中正路、頭城の協天路と吉祥路の局舎内部で爆薬が一斉に炸裂した。
激しい爆風が給電装置のキャビネットを内側から引き裂き、テルミット焼夷剤の激しい白光が主配線盤を包み込んだ。ガラス繊維の心線は何千度という超高温に焼かれて一瞬で融解し、数千キロ彼方の太平洋の底に沈む光増幅器への送電が完全に遮断された。
台湾全土の大手通信事業者のネットワーク監視センターでは、画面上の国際バックボーン回線を示すラインが一斉に赤く変色し、次いで信号途絶を示すグレーへと暗転した。
台湾島外へ繋がるデータパケットは行き場を失って虚空へ消え、海外ウェブサイトへのアクセスは遮断。銀行の国際送金ネットワーク、株式市場の海外データフィード、政府機関の在外公館向け専用回線、米軍との水面下のデータリンクまでもが音もなくブラックアウトした。
通常であれば、海底ケーブルがすべて途絶した国家に残された最後の命綱は、宇宙空間を経由する衛星通信である。
台湾当局も海底通信ケーブルの脆弱性を痛感し、近年ではアメリカの民間メガコンステレーション「スターネット」や欧州の「ユーテルサット・ワンウェブ」といった低軌道衛星ネットワークの利用契約を急拡大させ、全土に数千基規模の地上受信用フラットパネル端末を配備していた。
だが、中国人民解放軍はその最後の逃げ道すらも、数年前から周到に網の目を張り巡らせて塞ぎにかかっていた。
高度500キロから1000キロを超える漆黒の地球低軌道。
中国が国家プロジェクトとして数千基規模で打ち上げを継続してきた衛星ブロードバンド網「国網」。商業通信ネットワークとしての看板を掲げながら、その実態は軍民両用の宇宙戦プラットフォームであった。国網コンステレーションを構成する各衛星には、高精度のフェーズドアレイ妨害アンテナと高出力電子戦モジュールが秘密裏に混載されていたのだ。
スターネットが高度約550キロ、ワンウェブが高度約1200キロを周回する中、国網の衛星群はそれらの軌道面に対し、まるで天蓋のように外側から覆いかぶさる多層的な軌道配置を形成していた。
海底ケーブル切断と同時に、陝西省西安市の、中国人民解放軍軍事宇宙部隊・中国西安衛星観測制御センターのパラボラアンテナから命令が発信された。そして予めプログラムされていた通り、国網衛星群が軌道上での電波放射を一斉に開始した。
台湾島の上空を秒速約7.7キロメートルという猛烈な速度で通過していく衛星群は、次から次へと間断なく交代しながら、台湾上空の指定された領域内にある間は電波を放射し、空域を外れれば放射を止めるリレー方式を採用。台湾全土を視野に捉える衛星が、スターネット等のアップリンク・ダウンリンク周波数帯へ向け、上空から集束された高出力の妨害電波を絨毯のように照射し始めた。
地上のスターネット端末が天空に向けて放つ微弱な電波は、真上から降り注ぐ、常時10機程度の国網衛星からの強烈な電波ノイズによって押し潰された。同時に、低軌道衛星が地上へ届けるはずのダウンリンク信号も、同じ周波数帯で覆いかぶさる妨害波によってかき消されていく。地上端末のフェーズドアレイアンテナは、衛星の追尾ロジックを狂わされ、エラーコードを吐き出して沈黙した。
2300万人の住民と100万人の外国人を乗せた孤島は、真夜中の闇の中、外の自由な世界に対して、完全に「オフライン」となった。
しかし、全てが途絶したわけではなかった。
金門島と大陸の厦門を直結する海底ケーブル「CSCN」、そしてその台湾本島と金門島を結ぶ「TPMK-2」「TPMK-3」の回線だけは完全に無傷のまま残されており、従って、台湾本島から金門島を経由すれば、依然として中国大陸のネットワークに繋がることはできたのである。




