203Y年2月3日 与那国島
沖縄県八重山郡与那国町 与那国空港
高度数千メートルから雨雲を切り裂いて降下してくる巨大な影――米国へ精密機器を輸送するインドの民間機、として国土交通省福岡航空交通管制部にこの時間の飛行計画を提出していた、ロシア製の超大型輸送機、アントノフ124「ルスラーン」。機体にはインドの実在する民間貨物航空会社の塗装が施されていたが、その胴体下部には、本来の設計には存在しない異様なパイロンが密かに増設され、マットブラックに塗装された奇怪な形状の無人航空機をまるで仔を抱くコウモリのように抱え込んでいた。
与那国島の北西沖合約30キロメートルの空域に差し掛かった瞬間、パイロンの火工品ボルトが音もなく破砕され、小型ドローンが夜の闇へと切り離される。
ドローンを分離するや否や、ルスラーンの操縦士は操縦桿を限界まで押し込み、機体が空中分解しかねないほどの急激な降下角で海面スレスレの高度まで一気に沈み込んだ。レーダーの死角となる超低空、波頭を舐めるような墜落寸前の乱暴な機動によって、自衛隊の防空レーダー網から見て水平線下へ、その巨躯を強引に隠蔽したのである。
一方、切り離された小型ドローンは単独で巡航高度を維持し、搭載された電子戦ポッドをフル稼働させていた。あらかじめ受信し記憶していた航空宇宙自衛隊・宮古島分屯基地の固定レーダーサイトや、石垣島北方上空で警戒監視にあたる早期警戒機E-2Dから照射されている捜索レーダー波の波形・周波数を瞬時に解析した上で、デジタル無線周波数メモリ技術を駆使し、ルスラーンの巨大な機体のレーダー反射断面積と完全に一致する偽装反射波を合成して、空中に放射し始めたのだ。さらに民間機のトランスポンダ信号まで正確に模倣して発信し続け、提出されていたフライトプラン通りの針路と速度を保ちながら、何食わぬ顔で太平洋の彼方へと抜けていく。この電子の身代わりとなった無人機は、予定海域に達したのちパラシュートを出して海面へ着水し、夜陰に紛れて待ち受ける中国船籍の貨物船によって密かに回収される段取りとなっていた。
航空宇宙自衛隊や国土交通省福岡航空交通管制部のレーダー画面上では、インド籍の貨物機が何事もなく予定航路を飛行しているようにしか見えていなかった。
仮にルスラーンの急降下という不審な兆候に一瞬気付いた管制官がいたとしても、即座に対処することなど到底不可能な状況であった。この時間帯、中国大陸・江蘇省南京空軍基地から、沖縄本島方面へ向けて突進してきた、核兵器も搭載可能な中国空軍のH-6K爆撃機、6機の編隊に対し、航空宇宙自衛隊南西航空方面隊・第9航空団のアラートハンガーで待機していた4機のF-15JSI要撃戦闘機は、全機がすでに緊急発進を命じられて那覇基地を飛び立ち、沖縄本島方面での対領空侵犯措置に全戦力を割かれて出払っていたからだ。
超低空で海面を滑走するように突入してきたルスラーンのコックピットでは、最新の合成視覚システムが、灯火の消えた与那国空港の滑走路を赤外線と3次元地理データによって、緑色の蛍光で鮮明に描き出していた。
「接地まで10秒。――逆噴射用意」
耳を劈くような4基の巨大な転換式ターボファンエンジンの咆哮が、静まり返った島の空気を震わせた。本来、与那国空港の2000メートル級の滑走路では運用不可能な巨体だが、燃料を極限まで絞り込み、特殊な高揚力装置を駆使した決死の強行着陸だった。
タイヤがアスファルトを削り、凄まじい摩擦音とともに白煙を上げる。ルスラーンの巨躯は機体重量を力技でねじ伏せるようにして、滑走路の端からわずか数メートルの地点で停止した。
完全停止とほぼ同時に、機首のノーズカーゴドアが、重々しい金属音を立てて上方へと跳ね上がる。そこから溢れ出したのは、怪物のような暗視装備と自動小銃を携えた「兵士」の集団だった。その数、およそ450名。
「動くな! 全員その場に伏せろ! 抵抗すれば射殺する!」
暗闇のターミナルビルに怒声が響き渡った。空港に残っていた数少ない職員や数名の警察官たちが何よりも驚愕したのは、その警告が完璧な、自然なアクセントの「日本語」だったことだ。
「な、なんだ、お前たちは……自衛隊なのか!?」
震える声で問いかけた空港職員の胸元に、一筋の赤いレーザーサイトが落ちる。
「黙っていろ。命が惜しければ指示に従え」
国籍不明、しかし日本語を自在に操る武装集団は無駄のない動きで空港関係者と警察官を次々と拘束し、プラスチック製の結束バンドで手首を締め上げていった。数分のうちに、日本最西端の空の玄関口は、宣戦布告なき侵略者の橋頭堡へと変貌した。
空港を制圧した部隊の約半数は、現地協力者が事前に手配していたと思しき軽トラックや、空港内に残されていた車両を徴発し、即座に各方面――空港に比較的近い祖納地区、南側の比川地区、そして西部の久部良地区へと動き出した。
沖縄県八重山郡与那国町
沖縄県道216号線を東進して祖納地区に突入する1隊はまず、集落への途中に立地する沖縄電力与那国電業所に1個分隊を派遣して従業員らを拘束し、島の電力を掌握した。更にその近傍にて、異変に気付き空港へ小型警ら車を走らせていた八重山警察署与那国駐在所の巡査部長を銃で脅迫し拘束。何ら妨害を受けず集落へ突入し、祖納港及び同旅客ターミナル、中心部の与那国町役場とやや内陸に位置する小中学校――深夜のため、宿直員以外は無人である――、そして石垣海上保安部与那国駐在所及び石垣税関支署与那国監視署――それぞれ常駐人員は1名のみ――といった公共施設に兵員を送り込んで占拠、集落の西側を流れる田原川の3本の橋や、海保駐在所・税関監視署の東側の田園地帯など道路上に手際よく車両検問を設置していった。
一方、西部、与那国駐屯地の目と鼻の先にある久部良地区では、数日前から、中国系資本のホテル建設にあたる「作業員」「技術者」「監督者」や、「観光客」として民宿に滞在していた男たちが、深夜の静寂の中、アタッシュケースや二重底のボストンバッグから、消音短機関銃や手榴弾を取り出した。
彼らはまず八重山警察署久部良駐在所に押し入り、警察官とその妻子に銃を突きつけて後ろ手に縛り上げた。更に、久部良港の岸壁や旅客ターミナル、多目的集会施設、携帯電話基地局なども次々と手中に収めていく。
日本本土との連絡を絶たれた島民たちは、家のすぐ外で何が起きているのかすら知る由もない。ただ窓の外を通り過ぎる不気味な軍靴の足音と、闇の中で明滅する赤いレーザー光だけが、与那国島がすでに「日本」から切り離されたことを告げていた。
空港から南下する主力部隊の車列は比川地区の入り口に差し掛かった。待ち受けていた潜伏部隊と合流し、彼らは手際よく検問所を設置していった。




