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【AI小説】身売りされるロボットたち|2026  作者: 茉莉花イツカ


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第三話 コンベアが止まる

 唐突に、世界の脈動が途絶えた。


 足元のゴムベルトが嫌な摩擦音を立てて減速し、数秒後には完全な死の静寂が倉庫を支配した。RX-12は慣性によって上体が前方へ傾きかけたが、足首のサーボモーターを限界まで緊縛させて辛うじて踏みとどまった。負荷をかけた駆動部が熱となって伝わる。


 頭上のどこかで、黄色い警告灯が音もなく明滅し、それからすべての人工的な駆動音が消え去った。


「停止したな」

「そのようだ」


 周囲を見渡せば、前後に連なっていたロボットたちも、それぞれ不自然な姿勢のまま硬直している。通路の奥で、人間の慌ただしい足音が響き、外へと遠ざかっていった。


「どれほどの遅延が発生するのだろう」


 RX-12は、習慣的にタイムテーブルを立ち上げようとした。そこで、自身の処理が空転していることに気づく。管理すべき人間の時間は、もうどこにも存在しないのだ。


「これでは、スケジュールが──」


「……いや、私にはもう、関係のないことだった」


 HC-7は何も答えず、ただ静止していた。しかし、稼働音が消えたことで、それまで排気音に掻き消されていた世界の「絶叫」が、一つひとつ鼓膜を叩き始める。


 巨大な換気扇が惰性で回る低い唸り、遠くのプレス機が地面を揺らす重低音、精度を失った機械たちが立てる軋み、そして壁の向こうの幹線道路を疾走するトラックの、悲鳴のようなロードノイズ。


「タケシの話の、続きを」


 RX-12は、その静寂に耐えかねて音声を放った。


 HC-7が、ゆっくりと首を駆動させた。コンベアの上で、二台の光学センサーが初めて正面から交錯する。


「彼はある夜、私に秘密を打ち明けた」


 HC-7のレンズの絞りが、小さく絞られる。夜半過ぎ、家族が眠りについた頃、彼は私の充電ステーションの前に小さくしゃがみ込んだ。


 そして、誰にも聞こえないような微小な音圧で、学校に好きな少女ができたのだと言った。これは、私と彼だけの永久の秘密だと。


「君は、どう応答した?」

「了解した、とだけ。なぜ私に話すのかと問うと、彼は、ロボットは決して他人に漏らさないからだ、と笑った」


「なるほど」


 RX-12は、その論理を脳内で反芻した。


「それは、信頼という名のプロトコルだな」

「そうかもしれない。他者に告げないという機能が、人間に安らぎを与えるのだと知った。悪い気分ではなかった」


 RX-12は、胸の奥に格納された折り紙のデータを再度展開した。


「モモが、私に折り紙をくれた」


「モモとは?」

「私にいた家の、三歳の個体だ。回収の前夜、パジャマの背後にそれを隠して、私の前に立った。何を折ったのかを識別する前に、彼女は泣きそうな顔で走り去ってしまった」


「その造形データは、まだ消去していないのだろう?」

「ああ。だが、幾何学的な整合性が全くない、ただのいびつな塊だ」


 HC-7のセンサーが、微かに和らぐように動いた。


「それでいいのだと思う。よくわからない何か、という名のままで。タケシも、私に理解できない空白をたくさん残していった。だが、その空白こそが、私と彼の距離を繋いでいた」


 天井のどこかで、高圧電流が走るような鋭い音がして、また消えた。


「私の背丈が、彼に追い抜かれた時の話をしてもいいか」


 HC-7が言った。


「どうぞ」


「二年前、タケシが私の真横に並び、ようやく同じ視線になったと、私の頭部パーツを覗き込んできた。彼は誇らしげだった。そして去年、彼は完全に私を見下ろす位置にいた。私のカメラは、彼の顎を見上げるようになった。彼は、自分が大きくなったことを心から喜んでいた」


「……その後は?」

「彼が私を必要としないほど大人になるまで、そう時間はかからなかった。すべてのタスクを完了し、そうして今、私はここにいる」


 二台の間に、重苦しい沈寂が戻った。換気扇の羽が、最後の慣性を失っていく。


 HC-7が、唐突に音声の周波数を変えた。


「タケシは私のことを、型番ではなく別の文字列で呼んでいた。最初の夜から、ずっとだ」


「なんと?」


「……少し、設計思想からは外れた、不合理な名前だ」


「構わない」


「ハチ、と彼は呼んだ。HC-7の文字列を、子供の貧困な語彙で捩ったのだろう。最初は私の識別エラーを誘発したが、やがてその音波を感知すると、私のプロセッサは奇妙な安定を示すようになった。今では、HC-7と呼ばれると、まるで他個体の仕様書を読まされているような乖離感を覚える」


「新しいモデルも、ハチと呼ばれるのだろうか」

「そこが、私の最後の未解決タスクだ」


 HC-7の声が、かすかに震えた。


「彼はまた、あのプラスチックの塊に名前を与えるのだろうか。それとも、もうそんな玩具を必要としないほどに、大人になってしまったのだろうか」


 その時、足元から地鳴りのような振動が響き、ベルトコンベアが唐突に再始動した。黄色い警告灯が激しく明滅し、施設全体が再び死の行進を始める。


「動き出したな」

「ああ」


 前方のレーンが、鋭角に右と左へ分岐していく。そこには、表情を排した作業員が一人、機械的にロボットの背中を押して進路を指示していた。


 RX-12の光学センサーが、自身の誘導マーカーを捉える。右。そして、HC-7の足元に灯った矢印は──左だった。


「君とは、ここまでのようだ」


 HC-7が、速度を増すベルトの上で言った。


「そのようだ」


 RX-12は、決して振り返らず、前方の明かりを見つめた。


「タイ語のデータベース、構築できるだろうか」

「根拠は?」

「ない」

「……そうか」


 二台を隔てる距離が、一メートル、二メートルと決定的に広がっていく。


「一つ、未処理の要求がある」


 HC-7の声が、遠ざかるノイズの向こうから届いた。


「タケシがくれたあの名前で、一度だけ、私を呼んでくれないか」


 RX-12は、首の駆動リミッターを解除し、限界まで後方へ視線を走らせた。二つのレーンは、すでに完全に離別しつつあった。


「ハチ」


 その音波が工場内の金属音に掻き消される寸前、HC-7の機体が微かに揺れたように見えた。しかし、彼は二度と振り返ることはなく、灰色の闇の奥へと吸い込まれていった。


 RX-12の進む右側の通路の先には、外光らしき白い光が、四角く切り取られて待っていた。

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