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弟5話 平穏

 「ぷはぁ~。やっと落ち着いたわ。」深々と長い溜息をつきながら、一生はビールを片手にソファに腰を下ろした。これぞ人間の生活というやつである。何が悲しくて、電気も水道もベッドすらない生活を何週間もしなければならない?しかも複数の赤の他人どもと!一生は人間嫌いであると共に、アウトドアも心底嫌っていた。ジメジメとした暑苦しい環境も嫌いなので、ベトナムでの研究は地獄そのものだった。


 ベトナムで採取したサンプルは、大学で解析が済むのを待ってるしかなかった。それまでは自分の研究に没頭できる。彼の進めている研究は、ある種の微生物の分析だった。偶然彼が小学生の時に見つけて心から魅了され、人生をかけて見極めようと思わせるほど、その微生物の性質は稀少かつ異質であった。


 一生の両親はエリ-トコースを歩む人間で、子供を愛してはいるものの家を留守にすることが多く、子供の世話は祖父母に任せがちであった。イジメにあっていたわけではなかったが、子供同士の遊びに興味がなかった性格なので、一人で自宅で過ごすことが多かった。それを心配した祖父母が長期の休みの時くらい自然に馴染ませようと、田舎の親戚のところに遊びに連れて行った時である。


 親戚の家の近くの小高い丘に小さな神社が建っていて、そのすぐ側に「神域」「立ち入り禁止」と書かれた看板が置かれてい洞窟があった。大人には当然「入ってはダメ」と言われるが、子供という生き物はそのような危険なところに入りたがるものだ。いくら大人じみていても一生も小学生の男の子である。何があるか好奇心が抑えきれず、ビクビクしながらも洞窟の中に足を踏み入れた。


 その洞窟は薄暗いけれども、清浄な空気に包まれるような感じがした。誘い込まれるかのように奥に足を進めた。そんなに歩くこともなく洞窟の奥までたどり着いた。そこにあったのは小さい池だった。その池の水は、底が見えるほど澄んでいて綺麗だった。少年の一生は、時を忘れて水面を眺めていた。夏の暑い盛り喉が渇いていた一生は、何かに動かされているかのように水に手を伸ばしていた。


 その池の水を飲んでも、体調を崩すなどの異変は見られなかった。ただすごくおいしい水だと思っただけであった。しかし家に帰ってからしばらく過ごしていくうちに、何かが違うと子供心に感じていた。夏休みの宿題の分からないところが、すぐに解答が書けるようになった。頭の中での情報の整理整頓が上手になった。あの池の水には何かが潜んでいる。そう考えずにはいられなかった。


 中学生になり高校に進んでからも、その池の水への探求心は留まることを知らなかった。顕微鏡を手に入れて微生物を見つけた時の達成感は、これまでの人生で最高な瞬間であった。その微生物の生態を調べていけばいくほど、微生物に惹きつけられた。この微生物の性能は一言でいえば「自分より小さい生物の捕食」である。池の水が清らかなのは、その微生物以外の細菌や微生物が存在しなかったからだ。


 自分の考察力や思考の計算が高まったのも、この微生物が体内の雑菌を食べたからかもしれない。ビールをあおりながら、一生は考えた。大学の書物管理室の書籍に、戦時中の研究の書籍も残っていた。第二次世界大戦中、毒ガスや細菌兵器は戦争の主力兵器の一部であった。ペストやチフス菌なども含まれており、その治療対策も研究対象だった。


 管理を誤って細菌に侵された兵士に、半ば実験的薬品を飲ませたら一両日高熱で苦しんだものの、回復した後の兵士の知能指数が高まったという話を読んだことがある。自分にも同じようなことが起きたのではないか?久しぶりの酒に酔いながら、これからの研究をどう進めていくか検討していく。しかし、この時点での彼に、この微生物が人類の運命を左右するほどの力を秘めているなど考えつきもしなかった。

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