人生の転機
ちょっと重たいお話なので、心が沈んでいる日に読むのは注意かもです。
午前3時過ぎ。
直樹の働いているコンビニは、休憩時間を午前3~4時に設定している。しかしこれは形上での休憩時間であり、直樹がワンオペで勤務しているこの間に、客が来た際は当然接客をしなくてはならない。
しかし、その休憩時間に期限切れの廃棄を食べても店長は黙認してくれるので、とにかく食費を浮かせたい直樹は文句を言わずに従っていた。
今日は梅おにぎりが2つ、廃棄になっていた。
レジ裏の小さな机とパイプ椅子が置いてあるだけの薄暗い休憩室でおにぎりのフィルムを剥がしながら、直樹はさっきの若者が自分に言い捨てた言葉を思い出す。
あの若者の言葉はただの腹いせだったのだろう。
おそらく、彼はもう自分がなんと言ったかも正確には覚えていない。
それほど軽く発せらせた言葉が、直樹の心には深く刺さったままだった。
直樹は、自分の過ちで麻衣を傷つけたあの日から、自分に何度も思いつく限りの暴言を投げ続けていた。
自分の今の環境も贖罪だと思えば、不満を言うのも烏滸がましい。
今思えば、そう考えることで必死に自分を保っていたのかもしれない。
それが今、あの若者のちっぽけな一言で必死に保ってきていた心に大きな傷が入ってしまった。
そのことに気付かないふりをするように、
直樹はおにぎりを口いっぱいに頬張った。
1人の客の影もない深夜のコンビニに、誰に聞かせている訳でもない、ぱりっとした海苔の音が響く。
口いっぱいの米を噛み締めていると、
米の甘みと梅の酸味がだんだんと口に広がる。
直樹は理由も分からないが、この梅の酸味に酷く孤独を感じた。
梅の酸味が口に広がるのと同調するように、
鼻の奥がつんと痺れ、じわっと視界が歪んでいった。
何か具体的な理由がある訳でもない。
だが、2つ目のおにぎりを胃に落とし込んだ後も、
直樹の両目からは涙が溢れ続けていた。
しかし、無情にもコンビニの自動ドアが開き、ひどく軽快な入店音が流れてきた。
直樹は1度ズズッと鼻を啜り、腕で雑に目を擦った。
おにぎりのゴミを捨て、ひと呼吸置いてから、眩しすぎる店内へ入る。
「いらっしゃいませ。」
少し掠れた直樹の声が響く。
客は定年を迎えたくらいの初老の男性だった。
服装を見るにおそらく、朝釣りにでも行くのだろう。
軽食とコーヒーを買い、軽い礼を言って直ぐに出ていった。
もうあの薄暗い休憩室には戻りたくないと思った直樹は、
思考を忙しさで塗りつぶすように、店内の掃除を始めた。
その後ぽつぽつと客足が増えて、ようやく直樹はいつものように無心に働けるようになった。
午前6時半。7時から交代の金髪の青年が来た。
「お疲れ様です、おはざっす、直樹さん。」
「おはよう。渚くん。」
渚は19歳の駆け出しのバンドマン。いつも7時から昼過ぎまで、このコンビニでバイトをしている。
最近仲良くなってからは、6時半にはここに来て、バンドの事や店長の愚痴などを話し合うようになった。
しかし、今日は直樹にとって渚の若い眩しさが、
じりじりとさっきの傷を照らされているようで、辛かった。
渚には悪いが、接客の忙しさを理由にして休憩室に渚を押し込んだ。
その後も、なるべく渚と関わらないようにしながら
午前7時までバイトを行い、最後に軽く渚に挨拶をして直樹は逃げるように帰路に着いた。
今日は土曜日だからか、しゃっきりとスーツを着て歩いているサラリーマンよりも、私服でペットの散歩をしている人達や制服ではなく、部活動に向かうような格好をした学生が多かった。
そんな人達を視界の端に入れながら、早足で自宅に向かった。
直樹の自宅は一応二階の部屋だが、オートロックもない古い鉄筋づくりのアパートだ。
カンカンと小気味の良い音を鳴らしながら、
ところどころ錆が見える金属製の階段を上がって、
通路を通り2階の自分の部屋へ向かう。
鍵をあけ、キィと不愉快な音をたててドアを開く。
「...ただいま。」
そんな言葉を、誰もいない、最低限の物しかない、がらんとした5畳の部屋に言ってみる。
返事など返ってくるはずが無いとわかっていながら、
心の奥底で少しの期待してしまっている自分に落胆する。
直樹はシャワーどころか、着替える気力もなく体をベッドに投げ出す。
頭の中を「疲れた」と「寂しい」で埋めつくしながら、朝日が差込み少し黄色みがかった天井を見つめる。
何分経ったのだろうか。いや、何時間かもしれない。
ようやく少し気力が戻ってきた直樹は、とあることを思い出す。
毎週金曜の夜に結果が発表され、いつも土曜日の夜勤明けのこの時間に確認していた唯一の楽しみ。
そう、宝くじである。
「まぁ、当たるはずがない」と直樹の6年間毎週買い続けているデータが頭の中で胸を張って主張する。
ただ、その片隅に「もしかしたら...」という小さな期待を見つけてしまう。
この期待は1度見つけてしまうと、あっという間に、頭の中を支配して、胸を張って言えるはずだったデータが頭の中から退場させられる。
直樹は体も心も疲れ切っているものの、気が逸りながらスマートフォンの宝くじアプリを開いていた。
〈結果未確認〉の欄が「1」になっている。無事開票は終わったようだ。
直樹は〈結果未確認〉を押し、そのまま毎週通りの流れで〈結果を開票する〉を押した。
直樹の目に飛び込んできたのは
『1等当選。 700,000,000円』の文字だった。
宝くじのアプリは数回遊びで買ってみた程度しか使ったことがないので、半分イメージで書いてます。ご了承ください。




