第Ⅰ章:碧き瞳を持つ少年
オレは何のために生きているんだろう……。
毎日、小鳥が囀る(さえず)頃に目を覚まして、毎日食べ物を食べて、毎日楽しく学校で生活して、帰宅してまたベッドに着いて寝る。そんな当たり前の生活すらオレには無い。平凡こそ幸せな日常というがオレにはそんな幸せすらありはしない。なんでオレはこの世界に在るんだ? 何故、オレは苦しい思いをしながらこの世に生きてるんだ? オレが普遍な世界を得られない理由は知っている。
人間だ。
オレは幼い頃からずっとこの眼の所為で忌み嫌われて来た。
『獣人』
『狼』
『悪魔の手先』
だと。胸が張り裂ける程に侮蔑されて来た。だが、オレは紛れもなく人間だ。「狼」でもなければ「悪魔」でもない。ただ周囲とは違った瞳を持っているだけでこんな扱いを受ける。狼のように鋭い目、悪魔のように冷酷な碧の瞳。
本当、オレは一体どうすれば―――
「では、この問題は……レイ・ウォーイ……―――」
このまま死を選ぶしか道は―――
「レイ・ウォーイ! 先生の話を聞いてるの!?」
「うわぁ!」
不意を突かれてオレは椅子から転がる石のように立ち上がった。
ガコンッと凄い音がした。
「す、すみません」
そんな風に慌てている俺を見てクラスの連中はヒソヒソと、
「狼がたったァ~!」
「獣が喋った!!」
「瞳、腐ってる~」
と非道い言葉を浴びせて来る。
それを聞いている先生までもがこう言うのだ。
「はい、静かに。狼は立ちませんし、話しませんよ。ただ吠えるだけです」
あからさまに差別や非難をしている連中を止めるどころかオレをからからかってやがる。―――ムカツク!
「では、この問題、答えて」
オレは普通に答えようとした。だが、オレの怒りと悲しみは散々言われて直ぐには収まらなかった。どうせ中学生だ。どうせ、こんな小さな学校だ。進学校でもなければ、退学させられる事はない。だからオレはこの不純な女の先生に人差し指を向けてこう言った。
「それはザビエルです」
ザビエルさんには申し訳ないが、まあ、連想する事は―――お判りの通りだ。この女教師は髪がスカスカなのでそう言ってやった。本当の答えは『イエズス会』だ。
数秒遅れて意味を理解した教師はキレた。
「レイ・ウォーイ! 先生をバカにするのではありません。大人の人をからかうとは何を考えているのです。後で職員室に来なさい。―――……たっく、これだから嫌われ者の狼は……」
流石のオレもその一言でキレた。
この人間までもオレのことを……!
「何を抜け抜けと。お前こそそれでも人間か? オレは認めねぇぞ。こんなのが先生とはなあ! いや、逆に認めてやる。こんな最悪最低の先生であるということをな!」
ドンッ! 黒板を叩かれる音がした。そして、ズカズカとオレの前までザビエル先生がやって来た。
「Mr.ウォーイ!! いい加減にしなさい! 貴方自分が何を言っているのか判っているのですか!?」
オレはどんなに怒鳴られても引き下がる事は無かった。憤ったオレの心は、収まることを知らない。
「判っていないのはあんたら人間だろう。ヒトなのにオレを何だと思ってやがる。『狼』や『魔物』や『バケモン』ってそんなに言って何が楽しい?」
ガゴン!! オレは自分の机と椅子を蹴り飛ばした。机の中には何も入っていなかったが、それでもやはり凄い音が騒ぎ立て教室に響く。
そして一瞬にして静まり返った教室にオレはハッとして我を取り戻し気付いた。こんな事をしていても、こいつらの思うツボじゃないか。このままだと、本当に獣みたいになって仕舞うのではないか―――と。
オレは舌打ちをした。
「こんな中にいるのは今日も御免だ!」
こんな場所はもう御免だ。オレは無言で帰り去ろうとした。しかし、カバンを手に掛けて帰ろうとするオレの肩を掴む者がいた。
「待ちなさい。今は授業中です。帰らせる訳にはいきません」
威圧のある先生の言葉だが、それで止まるオレではない。
オレはその女教師を軽く押した。
「キャアア! 益々病原菌が移った!」
それだけでこんな悪い始末をされる。
《バケモノだ! こいつやっぱり人間じゃねえ!》
クラスの中の誰もが言い、声に出さぬ想いを全身でそんな「気」を感じ取った。
「オレは……オレは―――!」
オレは最後まで叫ぶこと無く、学校を走り去って行った。
快く駆け去って行く風が街にある噴水広場の台に座るオレを過ぎ去って噴水している水の雫が行くべき場所から逸れてその水がオレの頬を濡らした。学校を抜け出したものの、家に帰る訳にもいかず、一先ず人通りの少ない広場へ足を運んだ。
この街には「狼人とその狼」を祀った石碑がある。それが今オレがいる所なのだが。
オレの家族と森の辺で別居しているが、両親は二人とも十年前に他界した。後に残ったオレと四つ離れた弟のシープティは母方の祖父母に預けられた。でもオレが6歳か7歳位になった頃オレは近隣の人々に、
『両親を喰ったバケモノらしいよ』
『4歳にして人を殺したんだって』、
『野獣の血が混ざっているらしい』
『黴菌一杯のゴミなのに何で死んでないの?』
などと挙げるときりがないが、面白半分で変な噂を立てる奴もいた。
「オレが何をしたって言うんだ? オレは何もしていない。オレは!」そんな声は誰一人として届く事は無い。
無論、その内これらを本気で信じ込む奴等が後を絶たなくなっていった。その後オレは祖父母からも殆ど見離された。今ではほんの少しの資金援助を祖父母から受け、一人暮らしを余儀なくされている。
いや、一人ではない、か。飼い猫であり友人であるリブズがいる。リブズは身体は殆ど白く、耳や脚などは茶色でプライドが高くてオレの大切な親友だ。
それと、オレの家には偶にしか来ない弟のシープティはオレと真逆の立場だ。人間に好かれ、何も自由無く暮らしている。ただ性格はかなり悪い方だとオレは思う。何故ならシープティは他人の陰口を平気で言ったり、平気で人の嫌がらせをしたりしている。彼も又、オレを半ば恐れているらしくオレには大きな危害を加えないが……。
ともかくオレはこんなに日が照っている内に何もする事も無い翳りのある自分の家に戻りたくはなかった。なので、こうして広場にいる。
―――それにしても空がキレイだ。ヒトの心もこんなふうだったらオレはどんなに良い事か。別にオレはナルシストでも何にも無いんだけどな……。
やはりこの境遇だ。それにこの環境で生まれ育った為、欲しくもない能力―――深層心理に潜む感情や想いつまり人間や動物の『気』を感じる力が身についている。オレは感傷に浸った。
さて、これからどうしようか。気力も無くボーッとして時計台の針を見た。15時半か。日没まであと二時間はある。何かを買って食べようとしても手持ち金が無い。あったとしても店員の視線や気が気になって嫌だし。
―――夕方まで時間をどう潰そうか……。
うとうととして睡魔が襲って来るオレの周りで突然鈴チリンと音がした。「何だ?」気になって辺りを見回した。
『ゥワン』
建物と建物の間から鈴の音が聞こえて来た。
……犬なのに猫用の鈴……?
そんな些細な疑問は敢えて深く考えないようにした。
「ワン!」
オレはその犬に向って鳴きマネをした。そこら辺の人間がするワザとらしい物マネではなく本物に近い鳴きマネを他にもすることがオレは出来る。まあ、殆ど言葉は通じないけど……。
「クゥーンワン! ほら、おいで。オレは敵じゃない。何もしないから」
優しく囁きかけるように何度か声をかけた。すると初めは警戒していたこの犬は次第に気を許してくれたのだろうか。一歩、また一歩と近寄って来てオレの手を嗅いで頬を舐めて来た。
『ワン!!』
「ハハ、くすぐったい。ほら、やめろって。お前カワイイなぁ……何処から来たんだ? 首輪つけてんだから飼い主いるだろう。心配してるんじゃないか?」
『クゥーン』
言葉を判っているハズもないのに犬は困ったように首を傾げた。
「悪い悪い。質問ばっかりだなオレ。……君はオレの事何って思っているんだろうなあ……。知りたいけどそれはそれで怖いな……―――」
『ワンワン』
「ハハハ! くすぐったいから止めろって! 判ったよ、元気を出せばいいんだろ?」
『ワン!』
「ありがとな、って何処に行くんだ?」
オレを励ますや否や急にこの犬が元来た路へと走って行ったかと思えば急に立ち止まった。
『ワンワン』
とオレに向けて吠えた。
「この犬、オレを誘っているのか?」
そう思ったオレはその犬の後を追いかけた。と同時に犬も「着いて来い」と言わんように前へと再び走りだした。
その時、時計の針は15時40分を指していたがオレは一瞬しか見なかった。
やはり犬の方が足が早かった。幾ら体力のあるオレでも息を切らしながら追いかけるのが精一杯だった。あっちこっち走って寄り道したり遊んでいたりしている内に茂みを抜けて辿り着いた先は、オレが通う中学校の裏庭だった。中学校は広場から約10分で着くはずであったがどうやら大回りをしたらしい。……またオレが嫌な場所へ逆戻りしてしまいオレは落ち込んだ。そんなオレを更に凹ますかのように少し離れた位置から人の声がした。耳を澄ます。……どうやら男の子の声らしい二人……いや、三人だ。裏庭はじめじめとして校舎や木々で作られた影で沈んでいるから誰もが気味を悪がって近付こうとしないのに此処へ来るなんて珍しい。
『ゥワン』
どうやらこの犬も物音に気付いたらしい。犬が急にふと前を見て声のする方へと駆けて行った。
「……」
オレは後を付けて行くか否か躊躇った。ヒトには近付きたくなかった。
でも、数分前、オレと遊んでいた犬だから行き先を気にならない訳がなかった。
オレは犬を追い掛けようとしたが、オレは慌てて茂みの裏に隠れた。一方、犬は主であるその中学生の少年達にフリフリと尻尾その内の一人に勢い良く飛び付いた。
『ワンワン!!』
よほど嬉しいのだろうか。オレを舐めていた時よりも嬉しそうにその少年を舐めていた。
「こら、戻って来るなり何だよ。ハハ、ご苦労だったなレーシル」
『クゥーン、ワン』
「でもさ、犬を学校に良く連れて来させたな。犬、見つかったら怒られるぞ」
飼い主の少年の右側に居るオレに向かって右側の男子が言った。
「大丈夫さ。裏庭だし」
犬の飼い主である少年は自信有り気に言い返した。
「類は友を呼ぶ。将にそうだね。手段は選ばないってか」
チビで中学生の癖に小便垂れな幼い口調のケイト・ディルトが言った。
―――ちょっと待て。手段は選べないってどういう意味だ!?
「あぁ、そういう事だ。おい、出て来いよ狼。そこに居るのは判ってるんだよ。そっちから出て来ねぇならおれらから行ってやろうか。
念の為彼らの死角に隠れて気配を消していたが最初から判っているという口振りで長身の犬の飼い主は言った。
(騙されたのか、オレ!? その犬に仕組んで……!?)
オレは自分の不甲斐なさを恨んだ。人が良すぎたかもしれない。
「どうなんだ!? オオカミさんよォ!?」
中位の背をした名前を知らない青年が詰め寄ろうとして来る。
「……チッ」
オレは舌打ちをし、渋々前へ出てやった。
「オォ! やっぱり狼も犬は犬だ。おれのレ―シルに反応しやがったか」
「あんたら、何な訳?」
「自分が狼って認めたか?」
チビで小便垂れのケイト・ディルトが言った。
……いちいち言い返すのが面倒になっただけだ。
こいつらオレに言わせれば同窓でTOC(Trio Of Curious物好き三人組み)だ。考え方がバカなマトリョウシカトリオだ。
「オレはあんたらに用は無い。帰らせてもらう」
「ちょっと待てや。僕たちは君に用があるんだ」
「日没まであと1時間半くらいだよな。チョット面かせや」
「お前を本物の獣にする方法をおれ達は知ってんだ。ちょいっと来いよ」
「何それ。オレは獣なんかに成りたくもないし、大体そんなこと出来るハズがない。これだから人間は」
吐き気がする。呆れてこれ以上物も言えなかった。しかし、そんなオレを無視して同じ級の情報通のティル・ロイドは続けた。
「それがあるんだよ。ちゃんと調べたからね。さて、と。お前がこれ以上人間気取りされたらおれら本物の人間が困るからな。サッサと半獣からおさらばして欲しいんだよ」
……今まで色んな人間を見たが、この種の奴も珍しい。
「あっそ。そりゃあご苦労だな。もういいだろう。オレは帰らせてもらう」
しかし、中位の背をした名前を知らない青年が帰路を塞ぐ。
「あのさぁ、僕も嫌なモノと付き合っている程物好きじゃねーの。それに待ってって言って待つ敵は居ねぇーっての。じゃあーな」
「チッ」
背を向けたオレの背後で舌打ちするのが聞こえた。
「折角イヤでも優しく宥めてやったのによ」
なんだ? この殺気は。嫌な『気』を感じる。その瞬間オレは慌てて地を蹴って強行突破して帰ろうとした。が、遅かった。
「止まりやがれバケモン!」
「ヴッ!」
三人の内の誰かがいきなりオレの頭を何かで殴って来た。
「なに……を……―――」
呂律が回らない。それどころか意識が朦朧として……。
「すこ~~~し眠ってもらうゼ! 狼サンよ」
殴ったのはその一瞬判らなかったが、恐らくケイト・ディルトだと声で判った。頭に浮かんだその思考がこの場で最後の言葉になった。少年達が騒いでいる声も頭の中に入って来なくなり、気付くよりも早くオレは意識を失った。




