第九十七話
カチリ――。
赤い数珠が砕ける。
たった一粒。
それだけだった。
だが。
炎脈全体が震えた。
カインは胸へ手を当てる。
「……痛い」
苦しそうに呟く。
シオンは静かに近づいた。
「そこ」
「傷だから」
カインは目を見開く。
「傷……?」
「うん」
シオンは頷く。
「治ってない」
世界樹の診察記録が光る。
新しい文字が現れる。
『灰は燃え尽きた証ではない』
『もう一度、火が灯る場所でもある』
ホタルがその文字を見つめる。
「灰の中にも……」
「光は残るんだね」
世界樹の葉が優しく輝いた。
まるで。
その言葉を肯定するように。
その時。
炎脈の奥から。
静かな足音が響く。
コツ。
コツ。
コツ。
誰もが振り向く。
暗闇の中から。
一人の男が歩いてくる。
灰色の法衣。
黒い杖。
穏やかな笑み。
そして。
深い悲しみを宿した瞳。
カインが息を呑む。
「……先生」
ゼノ
ゼノは静かに立ち止まる。
怒っていない。
焦ってもいない。
ただ。
弟子を見つめていた。
「カイン」
優しい声。
「戻りなさい」
カインの身体が震える。
長い年月。
その声だけを信じてきた。
救ってくれた人。
導いてくれた人。
家族を失い。
行き場をなくした自分へ。
手を差し伸べてくれた人。
ゼノは微笑む。
「その者たちは」
「お前を理解しない」
「だが私は違う」
「私はお前を知っている」
カインは俯く。
その言葉は。
嘘ではなかった。
ゼノは確かに。
自分を救ってくれた。
その時。
シオンが口を開く。
「うん」
ゼノが視線を向ける。
「助けてもらったんだね」
カインが小さく頷く。
「でも」
シオンは続けた。
「助けるのと」
「縛るのは違う」
静寂。
ゼノの笑みが。
ほんの少しだけ消える。
シオンはカインの首を見る。
そこには。
誰にも見えない。
細い灰色の糸。
ゼノへ繋がっていた。
「首輪」
ぽつり。
カインは震える。
「え……」
「君にもある」
静寂。
ホタルが息を呑む。
アカネも。
ノアも。
皆が気付く。
見えないだけで。
カインもまた。
囚われていた。
ゼノは静かに笑った。
「さすが薬師ですね」
否定しない。
隠そうともしない。
「弟子は」
「迷えば死ぬ」
「だから私が導く」
シオンは首を横に振る。
「違う」
「歩くのは」
「本人」
その一言で。
カインの瞳から。
涙が溢れた。
自分で歩く。
そんなことを。
考えたこともなかった。
誰かの後ろを歩けばいい。
それが正しいと思っていた。
しかし今。
初めて。
自分の足元を見る。
その時。
ゼノの杖が。
ゆっくりと炎脈の床を叩いた。
コン……
その音と同時に。
火山の最深部から。
巨大な鼓動が響く。
ドクン!!
ドクン!!
ホタルの表情が変わる。
「だめ!」
「まだ起こしちゃ!」
しかし。
もう遅かった。
炎核のさらに奥。
誰も足を踏み入れたことのない場所で。
封じられていた"何か"が。
ゆっくりと。
目を開いた。




