第九十六話
「次は君」
その言葉は。
静かだった。
責める声ではない。
怒りでもない。
ただ。
患者へ向ける声。
カインは固まった。
理解できなかった。
今まで。
誰一人。
自分へそんな言葉を掛けた者はいない。
灰の司祭。
敵。
教団の幹部。
そう呼ばれることはあっても。
「君」。
そう呼ばれたのは。
何年ぶりだろう。
「……私を?」
かすれた声。
シオンは頷く。
「うん」
「苦しそう」
カインは笑った。
いや。
笑おうとした。
しかし。
笑えなかった。
胸の奥が痛む。
ズキン。
ズキン。
世界樹の診察記録が。
淡く光る。
シオンはカインを見つめる。
その背中。
胸元。
魂。
そして。
静かに呟いた。
「灰色だ」
静寂。
ナギたちには見えない。
しかし。
シオンには見えていた。
カインの心。
そこには。
黒でも。
白でもない。
灰色の霧。
燃え尽きた灰だけが。
積もっていた。
「何が見える」
カインが尋ねる。
シオンは答える。
「諦め」
その一言で。
カインの肩が震えた。
図星だった。
「違う!」
初めて声を荒げる。
「私は救われた!」
「先生に!」
先生。
ゼノのことだった。
「世界は救えない」
「人は争う」
「だから終わらせる」
「それが救いだ!」
必死だった。
まるで。
自分へ言い聞かせるように。
その時。
ホタルがカインを見る。
涙を浮かべながら。
「お兄ちゃん」
静寂。
カインの瞳が揺れる。
「……え?」
ホタルは。
震える手を伸ばした。
「昔」
「花火を見せてくれた」
「覚えてる?」
炎脈が静まり返る。
アカネも驚いている。
カインが。
花火を?
カインの呼吸が乱れる。
頭を押さえる。
「やめろ……」
「思い出させるな!」
記憶が蘇る。
まだ少年だった頃。
火山祭。
夜空いっぱいの花火。
泣いていた小さな炎核の子。
「怖くないよ」
そう言って。
手を繋いだ。
あの日の自分。
優しかった自分。
「違う!」
カインが叫ぶ。
「私はもう!」
「そんな人間じゃない!」
シオンは首を横に振る。
「違う」
「今もそう」
「忘れてるだけ」
静寂。
ホタルが一歩近づく。
「お兄ちゃん」
「一緒に見よう」
「また花火」
その言葉と同時に。
ホタルの炎が。
夜空へ舞い上がる。
ぱあっ。
赤。
橙。
金色。
無数の光が。
火山の天井いっぱいに広がる。
まるで。
本物の花火だった。
カインは。
ただ立ち尽くしていた。
灰色だった瞳に。
小さな光が映る。
そして。
一筋の涙が零れた。
「……きれいだ」
その一言とともに。
首に掛けていた赤い数珠が。
音を立てて。
一粒だけ砕けた。
その瞬間。
炎脈のさらに奥。
まだ誰も気付いていない場所で。
ゼノが静かに目を開く。
「カイン……」
その表情から。
初めて余裕が消えていた。




