第九十二話
炎脈の奥。
黒い泥が波打つ。
その中から。
一人。
また一人。
灰の騎士が立ち上がる。
十人。
二十人。
三十人。
その数は増え続ける。
全員が黒い泥に覆われ。
瞳だけが赤く光っていた。
ナギは剣を握る。
「囲まれたな……」
ジークも前へ出る。
「突破するしかない」
しかし。
シオンは動かなかった。
騎士たちを見つめている。
じっと。
その瞳を。
「違う」
また同じ言葉。
ナギは苦笑した。
「また患者か?」
シオンは頷く。
「うん」
「みんな」
「守ってる」
静寂。
その時。
一番近くの騎士が。
震える腕で剣を持ち上げた。
ゆっくり。
シオンへ向ける。
だが。
切っ先は震えていた。
迷っている。
苦しんでいる。
そして。
かすれた声で呟く。
「……戻れ」
「もう……」
「ここは……」
「戦場だ」
その言葉に。
アカネが目を見開く。
思い出した。
この声。
「バルド隊長……」
バルド
幼い頃。
いつも訓練をつけてくれた人。
笑うと目尻に皺が寄る。
優しい隊長。
その人だった。
バルドは泥に飲まれながらも。
まだアカネを守っていた。
「隊長!」
アカネが一歩踏み出す。
バルドの瞳が揺れる。
「アカ……ネ……様」
ほんの一瞬。
赤い光が消えた。
元の優しい瞳が戻る。
「……生き……て……」
言葉は最後まで続かなかった。
黒い泥が全身を覆う。
ゴォォッ!
苦しそうな咆哮。
再び剣を構える。
今度は完全に操られている。
シオンは静かに薬箱を開いた。
世界樹の葉。
翠風の葉。
海鳴りの葉。
三枚が淡く輝く。
「まだ」
「足りない」
治すには。
炎核の葉が必要だ。
だから。
今は応急処置しかできない。
その時。
ノアが前へ出た。
「シオン」
「ぼくが歌う」
静寂。
全員が振り向く。
ノアは少し緊張したように笑う。
「世界樹の歌」
「少しだけ覚えてる」
アルヴァも驚いていた。
そんな歌が残っていたのか。
ノアは目を閉じる。
そして。
静かに歌い始めた。
優しい旋律。
懐かしい響き。
まるで。
春風のような歌。
炎脈全体へ。
穏やかに広がっていく。
すると。
灰の騎士たちの動きが止まった。
一人。
また一人。
剣を下ろしていく。
黒い泥が。
少しずつ。
少しずつ。
剥がれ落ちる。
バルドの瞳から。
涙がこぼれた。
「……ありがとう」
その一言だけだった。
だが。
十分だった。
カインは穏やかな笑みを消した。
初めて。
表情が崩れる。
「世界樹の子守歌を……」
「なぜ君が知っている」
ノアは歌い続ける。
その歌に導かれるように。
炎脈のさらに奥。
火山の最深部から。
もう一つの歌声が重なった。
透き通るような。
美しい歌。
悲しみではない。
希望を願う歌。
アカネが涙を流す。
「炎核……」
「起きて……」
その瞬間。
火山全体が。
大きく脈打った。




