第九話
獣人たちに案内され、
シオンたちはルーメン西区へ向かった。
中心街から離れたその区域は、
さらに荒れていた。
道端には割れた樽。
崩れた柵。
湿った空気。
そして――。
「……臭う」
シオンが立ち止まる。
獣人の男が振り返った。
「わかるのか?」
「水腐ってる」
ナギが眉をひそめる。
近づくにつれて、
確かに変な臭いがした。
西区の共同井戸。
石造りの古い井戸だった。
だが周囲には泥水が溜まり、
桶も汚れている。
シオンはしゃがみ込む。
井戸水を少し掬い、
匂いを確認した。
それから真顔で言った。
「これ飲んでるの?」
「……まずいのか」
「かなり」
獣人たちの顔色が変わる。
シオンは井戸の縁を見る。
苔。
汚れ。
虫。
排水も悪い。
「病気出る」
「やっぱりか……」
男たちがざわつく。
最近、
腹痛や熱が増えていた。
子どもも何人か倒れている。
シオンは静かに考え込んだ。
頭の中で、
原因と対策を組み立てていく。
「掃除必要」
「あと煮沸」
「……ぼふつ?」
「しゃふつ…水を沸かす」
ナギが首を傾げる。
「そんなので変わる?」
「変わる」
シオンは即答した。
「見えない病気がいるから」
その言葉に、
獣人たちは不安そうな顔をする。
見えない病気。
この世界では、
まだ病や衛生の知識が薄い。
だからこそ、
疫病は恐れられていた。
シオンは井戸の周囲を歩き回る。
そして、
ある場所で止まった。
「……ここ」
「ん?」
「排水詰まってる」
石の隙間に、
泥とゴミが溜まっていた。
水が淀み、
虫が湧いている。
シオンは袖をまくる。
「掃除する」
ナギが目を丸くした。
「今!?」
「今」
「いや道具とかは!?」
「借りる」
もう動き始めていた。
獣人たちは呆然と見る。
普通、
薬師はこんなことをしない。
薬を売るだけだ。
泥だらけになって、
井戸掃除なんかしない。
なのに。
シオンは躊躇なく手を突っ込んでいた。
「シオン!」
ナギが慌てて駆け寄る。
「素手だと危ない!」
「……あ」
「今気づいた!?」
ナギは深いため息を吐き、
近くにあった古布を投げる。
「これ巻け!」
「ありがとう」
「あと後でちゃんと手洗う!」
「うん」
素直だった。
リリが小さく笑う。
獣人たちはまだ戸惑っていた。
けれど。
少しずつ、
その目が変わり始めていた。
「……なぁ」
若い獣人の男がぽつりと呟く。
「手伝うか?」
シオンが顔を上げる。
数秒、
きょとんとしたあと。
「助かる」
その言葉に、
男は少し照れくさそうに鼻を掻いた。
やがて。
一人。
また一人。
住民たちが集まり始める。
泥を掻き出し、
桶を洗い、
周囲を整える。
静かだった井戸に、
人の声が戻っていく。
ナギはその光景を見つめていた。
たぶん。
ルーメンはずっと、
諦めていたのだ。
どうせ変わらないと。
だから誰も動かなかった。
でもシオンは違う。
壊れているなら直す。
困っているなら助ける。
ただそれだけを当たり前みたいにやる。
ナギは小さく笑った。
「……ほんと変な薬師」
その時。
井戸の縁に立っていたシオンが、
ふらりと揺れた。
「シオン!?」
ぐらっ、と身体が傾く。
慌ててナギが支える。
シオンはぼんやりした顔で呟いた。
「……お腹すいた」
沈黙。
次の瞬間。
周囲から笑い声が上がった。
初めてだった。
この井戸で、
誰かが笑ったのは。




