第八十八話
「助けて」
「助けて」
「熱い」
「苦しい」
シオンには聞こえていた。
灰と炎の巨人。
誰もが災厄と恐れる存在。
その咆哮の奥に。
小さな悲鳴が。
何重にも重なっていた。
シオンは巨人を見つめる。
「痛いね」
静かな声だった。
しかし。
その一言で。
巨人の動きが止まる。
巨大な拳が。
空中で静止した。
広場が静まり返る。
ゼノが眉をひそめる。
「なぜ止まる」
巨人は答えない。
答えられない。
苦しみに飲まれ。
叫ぶことしかできなくなっていたから。
シオンは一歩前へ出る。
ナギが腕を掴もうとする。
「待て!」
しかし。
シオンは穏やかに笑った。
「大丈夫」
またその言葉だった。
不思議と。
聞くだけで少し安心する言葉。
シオンは薬箱を開く。
薬草は取り出さない。
代わりに。
翠風の葉。
海鳴りの葉。
そして。
世界樹の診察記録を取り出した。
三つが淡く光る。
診察記録に。
新たな文字が浮かぶ。
『炎核は怒っていない』
『悲鳴が噴火になっている』
シオンは小さく頷く。
「やっぱり」
火山は怒っていたわけじゃない。
炎神樹も。
災厄でもない。
痛みに耐えられず。
叫んでいただけだった。
その時。
ゼノが冷たく笑う。
「くだらない」
「炎は恐怖で支配するものだ」
「悲鳴など必要ない」
その言葉を聞いた瞬間。
巨人の赤い瞳が揺れた。
ほんの一瞬。
悲しそうに。
シオンはその変化を見逃さない。
「聞こえてる」
巨人へ向かって話しかける。
「もう少し」
「助ける」
その瞬間。
巨人の頬を。
一筋の炎が伝った。
涙だった。
燃える涙。
広場の誰もが息を呑む。
炎が泣いている。
老人が震える声で呟く。
「昔から言い伝えがあった……」
「炎神樹は」
「悲しい時ほど熱く燃えると」
誰も信じなかった。
ただの昔話だと思っていた。
だが。
違った。
本当だった。
その時。
アカネが苦しそうに目を開ける。
「……シオン」
初めて。
名前を呼んだ。
シオンは振り向く。
アカネは首輪を押さえながら。
必死に言葉を紡ぐ。
「炎核……」
「山の……奥」
「泣いてる」
息が途切れる。
それでも。
伝えようとする。
「わたしじゃない」
「本当に苦しいのは」
「炎核の子」
静寂。
世界樹の診察記録が強く輝く。
新しい地図が現れる。
火山内部。
溶岩のさらに奥。
そこに。
小さな光が一つ。
その周囲を。
三本の黒い柱が取り囲んでいる。
世界樹の文字が浮かぶ。
『第三の神樹はまだ生きている』
『炎核を救え』
その瞬間。
ゼノの笑みが消えた。
初めてだった。
焦りが表情に浮かぶ。
「その場所を知る者は……」
言葉が止まる。
シオンは静かに薬箱を閉じた。
そして。
火山を見上げる。
「迎えに行こう」
次に救うべき患者は。
アカネではなかった。
火山の最深部で。
たった一人。
泣き続けている。
炎核の子だった。




