第八十七話
翠色の光。
それは薬箱から溢れていた。
今までにない輝き。
薬草でもない。
調合した薬でもない。
薬箱そのものが光っている。
「……?」
シオンも少し驚く。
薬箱が勝手に反応するのは初めてだった。
その光に呼応するように。
薬箱の中から二枚の葉が浮かび上がる。
翠風の葉。
海鳴りの葉。
二枚はゆっくりと回り始める。
互いの光を重ねながら。
世界樹の診察記録も淡く輝く。
そこに新しい文字が浮かび上がった。
『応急処置』
その下に。
さらに文字が続く。
『三つ目の葉が揃うまで、完全な治療はできない』
『だが、痛みは和らげられる』
シオンは小さく頷いた。
「できる」
短い一言。
その瞬間。
薬箱から二枚の葉が飛び立つ。
アカネの胸元へ。
ふわり。
優しく触れる。
ジュッ――。
黒い首輪から白い煙が立ち上る。
「なっ!」
ガルムが叫ぶ。
「浄化の力だと……!」
首輪が軋む。
ギシ……
ギシギシ……
アカネの苦しそうだった呼吸が。
少しだけ落ち着く。
真っ赤だった炎も。
橙色へ。
さらに。
穏やかな炎へと変わっていく。
広場にいた人々が息を呑む。
「あの炎が……」
「静まってる……」
三年間。
誰にもできなかったこと。
神官にも。
司祭にも。
誰にも。
その時。
アカネがゆっくりとシオンを見る。
瞳に。
ほんの少しだけ光が戻っていた。
「……あたたかい」
その一言に。
老人が泣き崩れた。
「アカネ様が……」
「しゃべった……」
広場中がざわめく。
希望。
諦めていた希望が。
目の前で灯った。
だが。
その時だった。
バキン!!
首輪に大きな亀裂が入る。
しかし。
砕けない。
亀裂の奥から。
濃い黒い霧が噴き出した。
ゴォォォッ!!
空まで届く黒い炎。
その中心から。
ゼノの笑い声が響く。
「面白い」
「実に面白い」
黒い霧が渦を巻き。
広場の中央に巨大な姿を形作る。
人ではない。
獣でもない。
灰と炎でできた巨人。
十メートルを超える巨体。
燃えるような赤い眼。
人々が悲鳴を上げる。
ガルムですら後ずさる。
「あれは……」
ゼノの声だけが響く。
「これは首輪の本当の力」
「神樹の守人から奪った炎だ」
巨人がゆっくり腕を上げる。
その熱だけで。
石畳が赤く染まり始める。
ノアが震える。
「あれ……」
「違う」
シオンが静かに答える。
「炎じゃない」
全員が振り向く。
シオンは巨人を見つめていた。
薬師の目で。
そして。
ぽつりと呟く。
「悲鳴」
静寂。
「あれは炎じゃない」
「助けてって言ってる」
その瞬間。
巨人の赤い瞳が。
大きく揺れた。
まるで。
誰かに。
初めて本当の声を聞いてもらえたかのように。




