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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第6章 「灰降る国」

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第八十六話

ぽたり――。

アカネの涙が石畳へ落ちる。


ほんの一滴。

だが。

シオンは見逃さなかった。

「泣いた」

その一言で。

広場の空気が変わる。


ガルムが目を見開く。

「そんなはずは……」


三年間。

アカネは笑わなかった。

泣かなかった。

怒らなかった。

感情を失っていた。


それなのに。

今。

涙を流した。

シオンは優しく声をかける。

「聞こえる?」

返事はない。

けれど。

アカネの指先が。

ほんのわずかに動く。


シオンは微笑んだ。

「大丈夫」

「もう少し」

「迎えに来た」

その言葉が届いたのか。

アカネの瞳がかすかに揺れる。


その時だった。

ガルムが怒鳴る。

「捕らえろ!」

灰の司祭たちが一斉に動く。

黒い法衣。

灰色の杖。

十人。

二十人。

広場を囲む。


ナギが剣を抜く。

「やっぱりこうなるか!」

ジークも前へ出る。

「シオンはアカネを!」

レインが風を巻き起こす。

灰が舞う。

ミルとユグは子どもたちを避難させ始める。


混乱の中でも。

シオンだけは動かない。

視線はアカネへ。

そして。

そっと首輪へ触れた。


ビリッ!!

黒い雷が走る。

周囲から悲鳴が上がる。

だが。

シオンは手を離さない。

熱い。

冷たい。

痛い。

いくつもの感覚が流れ込む。


そして。

見えた。

首輪の中。

真っ暗な檻。

その中で。

小さくうずくまるアカネ。


赤い髪は色を失い。

膝を抱えて震えている。

「……だれ?」

か細い声。

シオンは檻の前にしゃがみ込む。

「薬師」

短い返事。


アカネは少し首を傾げる。

「助けに来た」


静寂。

その言葉に。

アカネの瞳から涙が溢れる。

「ほんと?」

「うん」

「遅くなった」

アカネは首を横に振る。

「来てくれた」

「それだけでいい」


その言葉は。

ルナと同じだった。

長い孤独の中で。

待ち続けた者の言葉。


その時。

檻の奥から黒い霧が湧き上がる。

「邪魔をするな」

低い声。

首輪の意志。

いや。

誰かが首輪を通して話している。


黒い霧が人の形を取る。

銀色の仮面。

ヴェルグではない。

だが。

エルドでもない。

知らない男だった。

「私は灰の司祭の長」

「ゼノ」


ゼノ

「その娘は神樹を繋ぐ器」

「返してもらう」

シオンは静かに首を横へ振る。

「返さない」

「患者だから」


ゼノが一瞬言葉を失う。

まただ。

この薬師は。

何を相手にしても。

考え方が変わらない。


ゼノの瞳が冷たく細まる。

「ならば」

「お前ごと燃やす」

その瞬間。

現実世界の首輪が真っ赤に輝いた。


アカネの身体から炎が噴き上がる。

広場全体を包み込むほどの巨大な炎。

人々が悲鳴を上げる。


しかし。

炎の中で。

シオンはアカネの手を握ったままだった。

「大丈夫」

「熱は下げる」


その言葉とともに。

シオンの薬箱が。

淡い翠色の光を放ち始めた。

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