第七十三話
黒い柱が二本。
昨日は一本だった。
それが一晩で増えた。
海が荒れている理由。
封印が弱っている理由。
誰かが動いている。
その証拠だった。
マリナの顔は青ざめている。
「ありえない……」
「何が?」
ナギが聞く。
「結界の外からじゃない」
静寂。
「内側から壊されてる」
全員の表情が変わる。
外敵ではない。
既に海鳴りの庭の中にいる。
それも。
かなり前から。
ルナも門を見上げる。
「私も感じてた」
「誰かが封印に触れてる」
「ずっと少しずつ」
千年の封印。
普通なら壊せない。
だが。
毎日。
ほんの少しずつ傷を付け続ければ。
話は別だ。
その時。
門の向こうの存在が笑う。
『ようやく気付いたか』
赤い瞳が細くなる。
『愚かな者どもよ』
『封印は自然に壊れたのではない』
静寂。
『あれは招かれたのだ』
空気が凍る。
招かれた。
つまり。
協力者がいる。
海鳴りの庭に。
その時だった。
守護鯨が突然鳴く。
ヴォォォォォォ!!
警戒。
危険。
今まで聞いたことのない声。
同時に。
海底が揺れた。
ドォォォン!!
巨大な衝撃。
全員が足を取られる。
門の周囲の岩壁が崩れる。
そして。
暗い海底の向こうから。
人影が現れた。
黒い外套。
銀色の仮面。
十人。
いや。
二十人。
静かに歩いてくる。
その姿を見た瞬間。
ルナの顔色が変わった。
「封門教団……」
静寂。
誰も知らない名前。
だが。
ルナだけは知っていた。
千年前から存在する組織。
忘れられた庭と共に歴史から消された集団。
「なんで生きてるの……」
震える声。
先頭の人物がゆっくり仮面へ手をかける。
外す。
現れたのは。
若い男だった。
二十代ほどに見える。
だが。
その瞳だけが異様だった。
長い年月を生きた者の目。
男は微笑む。
「お久しぶりです」
ルナが後退る。
「……エルド」
エルド
男は優雅に一礼した。
「千百三十七年ぶりですね」
ナギたちは息を呑む。
数字がおかしい。
千年以上前の人物が。
なぜ生きている。
エルドは門を見る。
そして。
嬉しそうに笑った。
「あと少しです」
「やめて!」
ルナが叫ぶ。
エルドは首を横に振る。
「なぜです?」
穏やかな声だった。
だからこそ怖い。
「彼は悪ではありません」
静寂。
門の向こうの赤い瞳が細くなる。
エルドは続ける。
「彼は犠牲者です」
「世界に捨てられた存在です」
「だから私は救う」
海が揺れる。
神樹が震える。
その言葉に。
どこか真実が混じっていた。
ルナは唇を噛む。
反論できない。
なぜなら。
彼女も知っている。
門の向こうの存在が。
最初から怪物だったわけではないことを。
その時。
エルドの視線がシオンへ向く。
そして微笑んだ。
「薬師様」
初めて会ったはずなのに。
名前を知っている。
「あなたには感謝しています」
「?」
「翠風の庭を救った」
「海鳴りの庭にも来た」
「本当に優しい方だ」
ナギの背筋に寒気が走る。
この男。
ずっと見ていた。
どこかで。
ずっと。
エルドは静かに言う。
「だからこそ」
「あなたなら理解できるでしょう」
そして。
門を指差した。
「彼を救いたいと思いませんか?」
静寂。
その問いに。
シオンは少しだけ考えた。
そして。
迷いなく答える。
「思う」
今度はエルドが固まった。
予想外だった。
完全に。
予想外だった。
「でも」
シオンは続ける。
「封印壊すのはだめ」
静寂。
「怪我治す」
「みんな助ける」
「それでいい」
海風が吹く。
ルナが目を見開く。
ナギは苦笑する。
ああ。
やっぱり。
シオンは最初から変わらない。
敵も。
味方も。
怪物も。
神様も。
全員助ける気なのだった。
そして。
門の向こうの赤い瞳が。
初めて。
ほんの少しだけ笑った。




