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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第5章  海鳴りの庭

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第七十一話

パキン――。


砕けた鎖は一本だけだった。


だが。


その音は海底全体に響いた。


ゴゴゴゴゴ……


巨大な門が震える。


海が荒れる。


空の黒雲がさらに渦を巻く。


海鳴りの庭の神樹でさえ枝を揺らしていた。


恐れている。


そう見えた。


「下がって!」


白銀の少女が叫ぶ。


全員の前へ出る。


細い身体。


今にも倒れそうなほど弱っている。


それなのに。


門を守ろうとしていた。


たった一人で。


千年以上。


ずっと。


「君は?」


シオンが尋ねる。


こんな状況で。


だが少女は答えた。


「ルナ」


ルナ


「門番です」


その声は静かだった。


そして。


どこか諦めているようだった。


「ずっとここにいたの?」


ミルが聞く。


ルナは頷く。


「うん」


「一人で?」


「うん」


静寂。


誰も言葉を失う。


千年。


気が遠くなる時間だ。


一人で。


誰とも会わず。


ただ門を守り続ける。


それがどれほど過酷か。


想像もできない。


その時。


シオンが近付く。


「何?」


ルナが首を傾げる。


シオンは薬箱を開いた。


薬草。


栄養剤。


そして。


焼き菓子。


「食べる?」


静寂。


ナギが吹き出した。


ジークも笑いを堪えている。


門が壊れそうなのに。


まず食事。


だが。


ルナの瞳が大きく見開かれる。


「え……」


千年。


誰かから何かを差し出されたことなどない。


誰も来なかったから。


だから。


小さな焼き菓子を見つめたまま固まる。


「甘い」


シオンが説明する。


「美味しい」


ルナは恐る恐る受け取った。


一口。


さくり。


静寂。


次の瞬間。


涙が溢れた。


ぽろぽろと。


止まらない。


「おいしい……」


本当に。


本当に久しぶりだった。


誰かの優しさに触れたのは。


その様子を見て。


門の奥から再び笑い声が響く。


ククク……


今度は少し近い。


赤い瞳がさらに開く。


そして。


声が響いた。


『滑稽だな』


全員が身構える。


重い声。


古い声。


世界が生まれる前から存在していたような声。


『封印が解けるというのに』


『菓子を食べているのか』


ナギが剣へ手をかける。


ジークも前へ出る。


しかし。


シオンは違った。


門を見つめる。


赤い瞳を見つめる。


そして。


「君も食べる?」


静寂。


完全な静寂。


海が止まる。


風が止まる。


ルナも固まる。


マリナも固まる。


守護鯨ですら動きを止めた。


誰も予想しなかった。


門の向こうの怪物へ。


焼き菓子を勧める人間がいるなんて。


数秒。


いや。


十数秒。


沈黙が続く。


そして。


『……は?』


門の向こうの存在が。


初めて困惑した。


ナギは頭を抱える。


「なんで通じてるの!?」


だが。


シオンには分かっていた。


少しだけ。


ほんの少しだけ。


あの声が。


ノアと似ていたことに。


怒りの奥に。


長い孤独があることに。


その時。


シオンの胸元の種。


翠風の庭の葉。


そして海鳴りの庭の神樹。


三つの光が共鳴する。


淡い光が門を照らした。


すると。


巨大な門の表面に文字が浮かび上がる。


誰も読めない古代文字。


しかし。


ルナだけが青ざめた。


「そんな……」


震える声。


「嘘……」


「どうした?」


ナギが聞く。


ルナは門を見つめたまま答える。


その顔は絶望に染まっていた。


「封印の残り時間が……」


静寂。


「三十日しかない」


海鳴りの庭の危機どころではなかった。


もし封印が解ければ。


世界そのものが揺らぐ。


そして。


門の向こうの存在は。


静かに笑った。


まるで。


その日をずっと待っていたかのように。

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