第七十話
海が割れていた。
左右へ。
まるで見えない手に押し広げられるように。
海底へ続く一本道が現れる。
その先。
巨大な門。
夢で見た門。
石板に描かれていた門。
そして。
その前で眠る少女。
白銀の髪。
透き通るような白い肌。
青い衣。
まるで時間だけが彼女を避けて流れたようだった。
誰も言葉を発しない。
守護鯨だけが静かに鳴く。
ヴォォォォ……
その声は悲しそうだった。
マリナが呟く。
「伝承にない……」
守人ですら知らない。
つまり。
この存在は意図的に隠されていた。
七つの庭の歴史から。
完全に。
その時。
少女がゆっくり目を開く。
蒼い瞳。
深海の色。
長い眠りから覚めたばかりのように。
ぼんやりと周囲を見る。
そして。
シオンを見つけた。
静寂。
少女の瞳から涙が零れる。
ぽろり。
ぽろり。
何百年。
何千年。
待ち続けたのだろう。
彼女は震える声で言った。
「本当に……来てくれた」
シオンは少し考える。
そして。
「遅かった?」
ナギが吹き出しそうになる。
こんな場面で。
でも。
少女は笑った。
泣きながら。
嬉しそうに。
「ううん」
「来てくれた」
それだけで良かった。
その時。
門が軋む。
ギギギギギ……
全員が身構える。
少女の表情も変わった。
笑顔が消える。
代わりに焦りが浮かぶ。
「だめ!」
彼女は立ち上がる。
ふらつきながら。
門の前へ。
「近づかないで!」
静寂。
少女の声は悲鳴に近かった。
「まだ開いちゃだめ!」
「どうして?」
シオンが聞く。
少女は門を見る。
巨大な門。
そこには無数の鎖。
そして。
亀裂。
少しずつ広がっている。
「封印だから」
空気が凍る。
封印。
やはりそうだった。
忘れられた庭。
隠された門。
すべてが繋がる。
少女は震える声で続ける。
「ここは最初の庭」
静寂。
誰も動けない。
最初の庭。
神樹は七つではなかった。
その前に。
もう一つあった。
「世界樹が七つに分かれる前」
「最初の神樹」
「最初の庭」
海風が吹く。
神樹の葉が揺れる。
少女の言葉は神話そのものだった。
「でも壊れた」
「だから隠された」
「誰にも知られないように」
マリナが青ざめる。
神樹の歴史そのものが覆る話だった。
その時。
シオンは少女を見ていた。
門ではない。
封印でもない。
少女だ。
「疲れてる」
静寂。
少女が固まる。
ナギが天を仰いだ。
まただ。
しかし。
シオンは本気だった。
顔色が悪い。
魔力も弱い。
長い眠り。
長い孤独。
長い使命。
全部が身体を蝕んでいる。
少女は呆然とする。
そして。
少しだけ笑った。
「変な人」
また言われた。
完全に褒め言葉になっている。
その時だった。
門の奥から。
何かが笑った。
ククク……
低い声。
冷たい声。
全員の背筋が凍る。
門の向こう。
暗闇の中。
確かに何かがいる。
そして。
巨大な目が開いた。
真紅の瞳。
海より深い闇。
世界そのものを見下ろすような存在。
少女の顔から血の気が引く。
「だめ……」
震える声。
「起きちゃう」
鎖が一本。
音を立てて砕けた。
パキン――。
その音は。
世界にとってあまりにも不吉だった。




