第六十九話
黒い柱は夜空を貫いていた。
海鳴りの庭の方向。
あまりにも巨大だった。
雲を突き抜け。
星空まで届いているように見える。
誰も言葉を失った。
マリナだけが震えていた。
「間に合わない……」
小さな声。
守人として。
彼女は知っている。
あの黒い柱が何を意味するのか。
「神樹の結界が壊れ始めてる」
静寂。
風が冷たくなる。
海導きの光たちも落ち着かない。
海中で慌ただしく動いていた。
まるで避難しているように。
その時。
ゴン……
船の下から音がした。
全員が身構える。
ゴン……
もう一度。
何かがいる。
しかも巨大だ。
ジークが船縁から覗く。
「見えないな」
夜の海は暗い。
何も見えない。
しかし。
シオンだけは海を見つめていた。
「来た」
その瞬間。
ザバァァァァン!!
海面が爆発する。
巨大な影が飛び出した。
悲鳴。
波しぶき。
船が大きく揺れる。
現れたのは。
巨大な鯨だった。
銀色の身体。
青く輝く模様。
体長は船の数倍。
神秘的な存在だった。
マリナが目を見開く。
「守護鯨……!」
守護鯨
海鳴りの庭を守る伝説の生き物。
守人でも滅多に見られない。
その守護鯨は船を見つめる。
いや。
正確には。
シオンを見ていた。
蒼い瞳。
深海のような瞳。
しばらく見つめた後。
ゆっくり鳴く。
ヴォォォォォォ―――
低く。
遠くまで響く声。
すると。
シオンの胸元の種がまた光る。
守護鯨は頷いた。
まるで確認したように。
そして。
海へ潜る。
だが消えない。
船の前方を泳ぎ始めた。
「案内してる」
ミルが言う。
確かにそうだった。
守護鯨は一定の距離を保ちながら進んでいる。
マリナの表情が変わる。
「神樹からの使いです」
「急げってこと?」
ナギが聞く。
マリナは静かに頷く。
事態は想像以上に深刻なのだろう。
そして翌日。
ついに海鳴りの庭が見えてきた。
誰も歓声を上げなかった。
あまりにも異様だったからだ。
本来なら美しい群島。
青い海。
白い砂浜。
そう聞いていた。
だが。
目の前の光景は違う。
海は荒れ狂っていた。
巨大な渦。
砕ける波。
傾いた島々。
沈みかけた港。
空には黒い雲。
まるで世界の終わりだった。
そして。
その中心。
海の中から伸びる巨大な樹。
青い神樹。
海鳴りの庭の神樹。
しかし。
神樹そのものは美しかった。
葉は青く輝き。
生命力も感じる。
病気には見えない。
それなのに。
海だけが狂っている。
シオンは眉をひそめる。
「変」
「何が?」
「神樹元気」
「でも海苦しい」
静寂。
マリナもそれが分からなかった。
ずっと。
何年も。
原因が見つからなかった。
その時。
ユグが突然胸を押さえる。
「聞こえる!」
叫ぶような声だった。
全員が振り向く。
ユグの瞳が大きく開いている。
「下!」
「海の下!」
「泣いてる!」
助けて。
助けて。
助けて。
今までとは比べものにならない。
はっきり聞こえる。
海の底から。
深い深い闇の底から。
そしてその瞬間。
神樹の根元付近の海面が割れた。
ゴゴゴゴゴ……
海が左右へ押し退けられる。
巨大な裂け目。
海底へ続く道。
誰も息を呑む。
そこにあった。
夢で見たものが。
巨大な門。
そしてその前で。
白銀の髪の少女が眠っていた。
千年もの間。
誰かを待ち続けるように。




