第六十八話
出航の日。
港は朝から賑わっていた。
ルーメン中の人々が集まっている。
「いってらっしゃーい!」
子どもたちが手を振る。
職人たちは荷物を積み込む。
薬師たちは薬箱を運ぶ。
ガロンは最後まで船を点検していた。
「よし!」
「沈まん!」
マリナが苦笑する。
「普通は沈まない前提なんですけど」
「海は怖いんだ!」
真顔だった。
その横で。
シオンは船体を見上げている。
「大きい」
人生初の船だった。
ミルも興味津々だ。
「海初めて」
ユグも頷く。
「私も」
樹に近い二人は内陸育ちだった。
やがて。
出航の時間が来る。
船がゆっくり港を離れる。
歓声。
手を振る人々。
遠ざかるルーメン。
シオンは振り返る。
神樹の芽が見えた。
小さい。
でも。
確かにそこにある。
帰る場所。
それを思うと。
少しだけ胸が温かくなった。
「帰ったら大きくなってるかな」
ミルが呟く。
「なる」
シオンが頷く。
その答えに。
ミルは嬉しそうに笑った。
そして。
船は外海へ出る。
そこから三日間。
平和だった。
本当に平和だった。
魚が跳ねる。
海鳥が飛ぶ。
夜は満天の星。
ナギは船首で風を浴びる。
ジークは釣りに夢中。
レインは酔った。
盛大に酔った。
「もうだめ……」
甲板に倒れている。
マリナが笑う。
「海鳴りの庭の子どもでも最初はなります」
シオンは薬を渡した。
「飲む?」
「神様……」
薬師が神扱いされた。
その頃。
ユグは海を見つめていた。
表情が少し硬い。
ミルが隣に座る。
「聞こえる?」
ユグは頷いた。
「近づいてる」
助けて。
助けて。
あの声が。
日に日に大きくなっている。
まるで。
こちらへ気付いたように。
その夜だった。
見張りをしていたナギが異変に気付く。
「……なんだ?」
海が光っていた。
青白い光。
海面の下。
何かが泳いでいる。
巨大な影。
一つではない。
何十。
何百。
無数。
ナギは警戒する。
しかし。
敵意は感じない。
むしろ。
その光は船を囲みながら進んでいる。
マリナが甲板へ飛び出してきた。
そして。
目を見開く。
「そんな……」
震える声。
「海導きだ」
「海導き?」
ジークが聞く。
マリナは信じられないものを見る顔だった。
「海の神樹に選ばれた船だけに現れる守り手です」
静寂。
つまり。
海鳴りの庭の神樹は。
彼らが来ることを知っていた。
待っていた。
その時。
シオンの胸元の種が光る。
そして海の光も応える。
青い光。
緑の光。
二つが共鳴する。
すると。
海面に文字が浮かび上がった。
誰も見たことのない古代文字。
だが。
なぜかシオンだけは読めた。
「え?」
ナギが振り向く。
シオンは文字を見つめる。
そして。
静かに読み上げた。
「急げ」
光が揺れる。
さらに文字が続く。
『封印が限界だ』
その瞬間。
海の遥か先。
水平線の向こうで。
巨大な黒い柱が空へ伸びた。
ゴォォォォォ―――!!
海そのものが悲鳴を上げる。
マリナの顔から血の気が引く。
「あれは……」
海鳴りの庭の方向だった。
そして。
誰も知らない。
深い海底で。
巨大な門がゆっくりと軋み始めていた。
まるで長い眠りから目覚めるように。




