第六十六話
「海鳴りの庭が沈みます」
広場が静まり返った。
宴の音も。
笑い声も。
楽器の音も。
すべて止まる。
潮の香りを纏った少女だけが立っていた。
黒髪。
蒼い瞳。
濃紺の旅装。
長い旅をしてきたのだろう。
服には塩の跡が残っていた。
「沈む……?」
ナギが眉をひそめる。
少女は頷く。
「このままだと」
「あと三ヶ月」
短い言葉だった。
だが十分だった。
三ヶ月。
それは危機と呼ぶにはあまりにも短い。
広場の空気が重くなる。
その時。
シオンが近付いた。
少女は少し警戒する。
知らない相手だ。
当然だった。
しかし。
シオンは言った。
「疲れてる」
静寂。
ナギが額を押さえる。
始まった。
「目の下」
「あと脱水」
少女が固まる。
「え?」
「水飲む?」
差し出されたのは水だった。
薬ではない。
説得でもない。
まず水。
少女は呆然とする。
そして。
なぜか涙が出そうになった。
三週間。
休まず旅をした。
誰にも頼れなかった。
海鳴りの庭では皆が不安で。
自分も必死だった。
だから。
最初に言われた言葉が。
疲れてる。
それだったことが。
少しだけ嬉しかった。
「……いただきます」
少女は水を受け取った。
ごくり。
一口飲む。
冷たい。
美味しい。
なぜだか泣きそうになる。
その様子を見て。
ミルが小さく微笑んだ。
この街らしい。
まず話を聞く前に。
お腹が空いてないか。
疲れていないか。
そこから始まる。
それがルーメンだった。
少しして。
少女は落ち着きを取り戻した。
改めて自己紹介をする。
「私はマリナ」
マリナ
「海鳴りの庭の守人です」
守人。
神樹を守る者。
翠風の庭で言えばセレスのような立場だ。
シオンたちは席につく。
歓迎会はそのまま緊急会議になった。
マリナは地図を広げる。
海の地図だった。
ルーメンから遥か南。
群島地帯。
無数の島々。
その中心に海鳴りの庭がある。
「元々、海鳴りの庭は海を鎮める神樹です」
マリナが説明する。
「嵐を抑え」
「潮流を整え」
「島々を守っています」
ジークが頷く。
神樹らしい役割だ。
それぞれの庭には使命がある。
しかし。
マリナの顔は暗かった。
「今は違います」
地図の一点を指差す。
そこには大きな渦が描かれていた。
「海が荒れているんです」
「年々ひどくなっています」
「島が沈み始めています」
静寂。
レインが顔をしかめる。
「神樹の病気?」
マリナは首を横に振る。
「分かりません」
「神樹自体は元気なんです」
全員が驚く。
神樹が元気なのに。
海は荒れている。
矛盾している。
シオンも考え込む。
珍しく。
すぐに答えが出ない。
その時だった。
ユグが小さく呟く。
「誰かが泣いてる」
静寂。
全員が振り向く。
ユグの瞳は遠くを見ていた。
神樹と繋がる彼女には聞こえる。
微かな声が。
「海の下から」
「ずっと」
「助けてって」
空気が変わる。
ミルの耳もぴくりと動いた。
彼女にも聞こえた。
本当に微かに。
遠い。
遠い海の底から。
誰かの泣き声が。
その夜。
ルーメンの神樹の芽は珍しく眠らなかった。
淡い光を放ち続ける。
まるで。
海の向こうにいる何かへ応えるように。
そして深夜。
シオンは神樹の芽のそばで一枚の古い石板を見つける。
今までなかったもの。
誰も置いていないもの。
そこには古代文字でこう刻まれていた。
『海の底に沈む庭を探せ』
そしてその下には。
見覚えのない第八の紋章が刻まれていた。
七つの庭ではない。
誰も知らない。
もう一つの印だった。




