第六十四話
『ようやく二つ目の庭が目覚める』
神樹の声は大地そのものだった。
空気が震える。
風が止まる。
森全体が耳を傾けているようだった。
誰も動けない。
神樹が直接語るなど。
伝承にも残っていない。
精霊王ですら呆然としていた。
『小さき薬師よ』
声はシオンへ向けられる。
シオンは首を傾げる。
「はい」
いつも通りだった。
ナギが小さく吹き出す。
神樹相手でも変わらない。
『よくここまで辿り着いた』
神樹の根元から光が広がる。
翠風の庭。
そして遠く離れたルーメン。
二つの庭を結ぶ光の道。
その光景が空へ映し出された。
まるで幻のように。
そして。
新たな景色が現れる。
巨大な世界樹。
空を突き抜けるほど大きい。
その周囲には七つの光。
七つの庭だ。
ミルが震える。
「世界樹……」
神樹は続ける。
『昔、世界は一つだった』
幻が変わる。
豊かな大地。
多くの種族。
自由に行き来する人々。
争いもあった。
だが。
命の流れは繋がっていた。
『しかし世界は壊れた』
空が裂ける。
大地が割れる。
光が砕ける。
誰も見たことのない災厄。
神話の時代の大崩壊。
『世界樹は自らを七つに分けた』
七つの光が飛び散る。
それぞれが世界の各地へ。
七つの庭になった。
生命を守るために。
世界を繋ぎ止めるために。
『七つの庭は鍵である』
静寂。
レインが息を呑む。
「鍵……?」
『世界を支える鍵』
『七つ全てが失われれば』
神樹の声が重くなる。
『世界は再び崩壊する』
空気が凍る。
誰も言葉を発しない。
ルーメンの神樹。
翠風の庭。
それらはただの聖地ではなかった。
世界そのものを支える柱だった。
その時。
シオンが聞く。
「あと何個?」
神樹は少しだけ楽しそうだった。
『五つ』
『海』
『砂漠』
『天空』
『火山』
『星』
五つの庭。
まだ見ぬ神樹たち。
そして。
神樹の声が少し沈む。
『だが三つは既に危機にある』
静寂。
セレスが青ざめる。
精霊王も顔を曇らせる。
つまり。
翠風の庭だけでは終わらない。
世界中で何かが起きている。
『そして敵もまた動いている』
空に映る影。
黒いローブ。
巨大な塔。
見知らぬ紋章。
ノアですら知らない存在。
『彼らは世界樹の復活を望まぬ』
『七つの庭を壊そうとしている』
静寂。
これまでの敵は前触れだった。
神樹計画。
ノア。
すべては一部に過ぎない。
もっと大きな何かがある。
その時。
神樹の光が弱くなる。
語れる時間が終わりに近い。
『薬師よ』
シオンを見る。
『お前は治そうとしている』
『人を』
『街を』
『森を』
『神樹を』
『それで良い』
優しい声だった。
まるで昔から知っているような。
『だから進め』
『治し続けろ』
『世界を』
光が強くなる。
そして。
最後に一つの映像が映った。
広大な海。
嵐。
そして海の中心に立つ一本の樹。
青く輝く神樹。
その根元に立つ一人の少女。
黒髪。
蒼い瞳。
こちらを見ている。
まるで待っているように。
『第三の庭が呼んでいる』
その言葉を最後に。
神樹の声は消えた。
静寂。
だが。
翠風の庭は変わっていた。
枯れていた枝に新芽が生まれている。
風が戻る。
鳥の声が聞こえる。
精霊たちの光も舞い始める。
百年眠っていた森が。
ようやく目を覚ましたのだった。
そして。
ルーメンへ帰る旅の始まりと共に。
新たな物語。




