第六十一話
神樹の種が輝く。
緑色の光。
優しく。
暖かく。
どこか懐かしい光だった。
精霊王の瞳が大きく揺れる。
「アリア……」
思わずその名が零れる。
百年間。
呼び続けた名前。
待ち続けた名前。
種はゆっくりと宙へ浮かんだ。
黒衣の男が初めて表情を変える。
「その種は……」
余裕が消えた。
シオンはその変化を見逃さない。
「知ってる?」
「……」
男は答えない。
代わりに黒い蔦が増殖する。
神樹へ。
さらに深く。
命を奪うように。
その瞬間。
精霊王が吠えた。
ガアアアアアアアア!!
百年ぶりの咆哮。
風が爆発する。
黒い蔦が吹き飛ぶ。
森中の木々が揺れる。
だが。
男は笑った。
「今さらか」
「百年間も憎んでいたくせに」
その言葉は刃だった。
精霊王の身体が震える。
図星だった。
憎んだ。
恨んだ。
神樹を。
世界を。
そして。
自分自身を。
アリアを信じ続けられなかった自分を。
その時。
シオンが精霊王の前へ立った。
「違う」
精霊王が顔を上げる。
「?」
シオンは考えながら言葉を探す。
難しい。
人の気持ちは苦手だ。
でも。
今言わなければならないと思った。
「待った」
「百年」
「すごい」
静寂。
誰も予想していなかった言葉だった。
精霊王は呆然とする。
「怒った」
「悲しかった」
「でも待った」
シオンは真っ直ぐ見上げる。
「それは信じてたから」
風が止まる。
精霊王の瞳が揺れる。
百年間。
誰もそう言わなかった。
皆。
執着だと言った。
愚かだと言った。
忘れろと言った。
だが。
信じていたから待った。
シオンはそう言った。
精霊王は何も言えなかった。
その時。
種の光が強くなる。
そして。
一人の女性の姿が現れた。
淡い光の幻。
白い外套。
優しい笑顔。
誰もが息を呑む。
「アリア……」
精霊王の声が震える。
エアリアは涙を流していた。
初めて見る。
父が語り続けた友人を。
百年前の薬師を。
アリアは微笑んだ。
そして。
精霊王を見る。
「ごめんね」
その一言だった。
たった一言。
だが。
百年分の想いが込められていた。
精霊王が膝をつく。
巨大な身体が震える。
怒りが崩れる。
憎しみが崩れる。
長い長い時間をかけて積み上がったものが。
涙と共に崩れていく。
「帰ると言っただろう」
震える声。
「待っていた」
アリアは悲しそうに笑った。
「知ってる」
「だから来た」
幻なのに。
その声は確かに届いていた。
黒衣の男が叫ぶ。
「やめろ!」
初めて焦りを見せる。
「それ以上思い出すな!」
黒い蔦が暴走する。
神樹を締め付ける。
森が悲鳴を上げる。
だが。
シオンは男を見ていた。
そして。
ようやく気付く。
「この人も病気」
ナギが頭を抱えた。
「また始まった!」
しかし。
シオンは真剣だった。
男の身体からは。
あの時のヴォイドに似た気配がする。
孤独。
嫉妬。
喪失。
積み重なった感情。
百年という時間の中で。
誰にも気付かれなかった心の病。
シオンは静かに言う。
「名前ある?」
男が固まる。
その問いは。
かつてルーメンで消えた影にも向けたものだった。
そして。
黒衣の男の瞳が初めて揺れる。
まるで。
忘れていた何かを思い出しかけるように。




